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専門コラム「指揮官の決断」

第31回 

東北でよかった・・・・

カテゴリ:コラム

なんとも東日本大震災の被災地の方々が気の毒でたまりません。

なぜ東北の復興に当たる政治家が選りすぐりのお粗末な人物ばかりが充てられるのか、新手のいじめかとさえ疑いたくなってきます。

復興担当大臣が不用意な発言によって更迭されたことは皆さまご承知ですが、昨年は東北地方を直撃した台風の被害調査のために派遣された政府の被害調査団長であった内閣府政務官が長靴を履いていなかったために水浸しの道路を内閣府職員におんぶされて渡る様子を報道されるという失態を演じ、震災のあった年には当時の復興担当大臣が宮城県知事に完全に上から目線の暴言を吐いて更迭されるという事態が生起しています。

これらについては、すでに当コラムでも問題点を指摘しています。(専門コラム『指揮官の決断』 No.009 「役人には危機管理はできない」http://aegis-cms.co.jp/291 No.011 「長幼の序?」http://aegis-cms.co.jp/314 をご覧ください。)

元復興担当大臣の場合は、自衛隊が学校の運動部のような先輩後輩の関係で律されるようなアマチュアの組織ではなく、階級と指揮系統による鉄の掟で規律される組織であるという認識もなく、記者会見の基本的なルールも知らない、政治家として必要な最小限の常識を持っていなかった人物が選任されているので、ある意味で本人も気の毒です。

内閣府政務官の場合は、現場に全く関心なく中央の机の上のみで仕事をしていた典型的なエリート官僚が政治的野心を持って政治家となっただけなのに、いきなりそのような危機管理の場に引っ張り出されたのであり、その程度の政治家であることが判明したのですから、今後より大きな間違いを犯さないように閣僚等の要職に就けないなどの措置が必要でしょう。それが本人のためでもあります。

しかし、なぜこのような不適格者ばかりが選任されるのでしょうか。それぞれの政権が東北を馬鹿にしているとしか思えません。

前復興大臣の場合は、その3週間前にも記者会見で激高して記者に向かって「出て行きなさい」「二度と来ないでください」と言い放つなどの態度が問題視された閣僚です。記者会見後「感情的になってしまった」などと言って陳謝した舌の根も乾かぬうちにまたしても舌禍を演じるというのは政治家としての資質が疑われても仕方ありません。

この前大臣が激高した記者会見は、新聞では「出て行きなさい」と放言したことだけが書かれていますが、そのやり取りの一部始終は復興庁のウェブサイトに掲載されています。

これを見るとフリージャーナリストの執拗な意図的な質問に堪忍袋の緒が切れたというところであることがわかります。

このフリージャーナリストの質問というのが悪意を感じさせる執拗なもので、一般人なら感情的になるのも無理はないと同情を禁じ得ませんが、それに対して記者会見で激高するというのは政治家としては素人です。

大阪の橋下市長の記者会見を見ていると、記者との間に凄まじいバトルを繰り広げていますが、彼は極めて論理的に応酬して相手を黙らせています。記者が拳銃を一発撃つと重機関銃で撃ち返して木っ端みじんにするという勢いです。これは相当の自信がないとできることではありません。

勉強が足らず、議論に自信がないと、論理的に応酬することが出来ないため感情的になり、非論理的な言辞を弄することになります。これでは相手の思う壺です。

最後まで論理的な議論をすることができないということは、勉強不足だということです。政治家は国政のあらゆる分野について死に物狂いの勉強をしなければなりません。一方のジャーナリズムは自らの発言に責任を取りませんから、読者を獲得できるとなればどのような手も使います。国益や公益を守ることを任務とする政治家が、その術中にはまって政治が混乱するなどということはあってはならないのです。

また、「東北でよかった・・・」という発言は、首都圏に近かったらもっとひどいことになっていたという意味であり、東北ならいいという意味ではないと弁明がされましたが、そもそもこれが弁明になっていません。

泥棒に入られた人に「隣のうちだったらお宅よりお金持ちなのでもっと大金を盗まれたかもしれないので、お宅でよかったですね。」と言っているのと同じなのです。まともな神経で言えることではありません。その程度のことに思いが及ばないというのがこの人物の政治家としての能力の限界を示しています。

私が執拗なまでにこのような問題を取り上げているのは、こういう閣僚や政務官が出てくることに危機管理上の大きな問題が潜んでおり、看過できないからです。

私はプロトコールが危機管理において重要な要因であることを繰り返し申し上げています。(詳しくは 専門コラム「指揮官の決断」プロトコールが危機管理に重要な理由 http://aegis-cms.co.jp/127 をご覧ください。)

私がここで言うプロトコールとは、組織の外部との関係すべてを指しています。つまり、顧客との関わり方、マスコミへの対応要領その他、組織が外部と関わりを持つ際に行うべきこと、注意すべきことなど一切が危機管理上非常に重要だということです。

プロトコールは、深く突き詰めていけば限りなく留まることを知らない世界です。たとえば日本が得意な「おもてなし」についても、どこまでやれば終わりという終点はありません。まず通常では人が絶対に気が付かないような細部にまで気を配り、徹底して追求していくことの積み重ねが、他の追従を許さない「おもてなし」につながっています。

日常のほんの些細な事柄を見逃さず、そこに気を配り、しっかりと対応していくことが習慣となり、さらにはその組織の体質や伝統となっていくことが、一方で危機の芽を見逃さない、危機の原因を作らない、そういう組織風土を生んでいきます。つまり脇の堅い組織になるのです。

様々なことに気を配ることができる、あらゆるものを完璧にあるべき姿にする努力を惜しまないということが危機に強い組織を作るうえで極めて重要なのです。軍隊が済々とした行動、端正に手入れされた制服、節度ある起居動作、装備品の徹底した手入れなど見た目を非常に重要視するのはこのためです。

政治家や官僚が発言をするとき、その発言の一部だけを切り取られて真意と異なる伝えられ方をすることはよくあることです。ジャーナリストはそのような取材が出来れば大手柄ですので、強引にでもそのような発言を引き出そうとします。

私も自衛隊で制服を着ていた頃、大きな訓練やイベントに際して担当幕僚としてマスコミに対するブリーフィングをした経験を何度も持っていますが、そのような意図に基づく執拗な質問攻めに遭うことは珍しくもなく、ブリーフィングの場ではないプライベートなところで、いきなり詰め寄られてコメントを求められるなどということも何度も経験しています。

こういう時は記者がある言葉をどうしても引き出したいという意図があるのが普通なので、当方も何があっても、「仮に」という前提をつけてもその言葉を口にしないという覚悟を決めて過ごしていました。結果的に、より執拗に付きまとわれるということになりましたが、結局その記者は、発言の前後をどう切っても、どのように加工しても彼らの意図した発言になるような言葉を引き出せず、推測の記事を出さざるを得なくなります。

そのようなことは私ですら何度も経験していることであり、省庁のトップや政権の中枢にある人物であれば日常に起こっていることです。

したがって、そのような職にある人は計算しつくした発言をしなければなりません。手を抜いてはならないのです。

私が危機管理上の看過しがたい問題が潜んでいるというのは、彼らが、このような計算や配慮に手を抜いているからです。

前内閣府政務官はテレビのカメラが構えられている前で恥も外聞なく内閣府職員の背中を借りています。

元興担当大臣は、報道陣が群がっている前で堂々と発言したうえで、「今のはオフレコ。報道したらその会社は終わり。」と恫喝しています。

前復興担当大臣は、派閥のパーティの席であり、公的な記者会見の場ではなかったかもしれませんが、東北でよかったという発言をしています。

つまり、政権を担当する者としての緊張感が欠如しているのです。

元大臣の場合には、自民党から政権を奪ったという過信、政務官及び前大臣の場合には安定的に高い支持率に対する過信があるのでしょう。どう考えても脇を絞めて事に臨んでいるとは思えません。 

危機管理に重要なことは、ありとあらゆるものに意を払い、あるべきものをあるべきようにしておくことの努力を怠らず、それが何気なくできる程度にまでレベルを引き上げておくことなのですが、その努力をしていないというのは、政権を奪回して依然としてかなり高い支持率を得ているという驕りがあるのではないかと懸念されるところです。

緊張感欠いた驕っている政権に我が国の危機管理を任せることはできません。北朝鮮をめぐる情勢は緊張の一途をたどっています。二度続けてミサイルの発射に失敗した金政権はかなり焦っているでしょうし、米軍は日本海にパワープロジェクションを行っています。一触即発の事態が生じないという保証はどこにもありません。少しでも対応を誤ると取り返しのつかない事態に進展する恐れがあります。

日本がその真価を問われる判断をしなければならない事態が迫っているかもしれないのです。

このような時機に緊張感のない閣僚や政務官を起用する政権にしっかりとした危機管理を期待することはできません。国政の極めて大切な局面で、ジャーナリストの術中にあっさりとはまってしまうような素人の政治家ではなく、しっかりとした見識を持ったプロの政治家に出てきてもらわなければ困るのです。

東北の方々の思いを察するにお気の毒でならないとともに、大変な危機感を抱かされているこの頃です。