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専門コラム「指揮官の決断」

第37回 

「敬礼:指先が何を語るか」

カテゴリ:コラム

私はこれまでに言葉に拘ったコラムを二回書いてきました。また、トップの言葉についても何度か触れてきました。(No.021 「たかが言葉、されど言葉」 http://aegis.cms.co.jp/477 No.034 「言葉が軽すぎる・・・」 http://aegis.cms.co.jp/595 No.035 「たかが言葉、されど言葉」再び  http://aegis-cms.co.jp/600  )

皆様もご存じのように、人が何かを語るのは必ずしも口だけではありません。

男は背中で語ることがありますし、私は鈍いのかよく分からないのですが、女性は髪をかきあげる仕草でいろいろ語っているようです。

目は口ほどにモノを言い、とよく言われますが、ペットを飼っている方はよくおわかりです。犬などは本当に目でいろいろ語り掛けてきます。

今回は、指が何を語るかという話です。

海上自衛隊に在職中、ある時、異様な事態に気が付いたことがあります。

女性自衛官が増えてきたのに呼応するように、隊内ですれ違う時に「お疲れ様です」と声をかけられることが多くなったのです。

海上自衛隊は、朝8時に陸上の部隊は日章旗、艦艇は自衛艦旗の掲揚を行います。そしてその8時までは出会ったりすれ違ったりするときは挙手の敬礼をしながら「お早うございます」と挨拶することが習慣となっていました。そして8時を過ぎると、敬礼だけをするのです。

ところが女性自衛官が朝8時以降でも「お疲れ様です」と声をかけてくるのです。

そのうちに女性自衛官だけではなく、若い隊員がみなそう言うようになってきました。

例えば、深夜、当直の交代で艦橋や戦闘指揮所に向かっている時、当直を終えて戻ってくる若い隊員とすれ違う際に、「お疲れ様です」と敬礼されるのです。

そっちは当直を終えてきたので「お疲れ」かもしれないけど、こっちはこれから当直なんだよ、と言いたいのを我慢して答礼していました。

ある部隊に指揮官として着任した際、その部隊は女性自衛官が特に多かったこともあり、この「お疲れ様です」という挨拶が日常化していました。いつどこで敬礼されても「お疲れ様です」なのです。

私は危機感を覚えました。自衛隊は芸能界ではありません。「お疲れ様で~す。」というような挨拶がまかり通っていいはずがないというのが私の思いでした。

彼女たちに訊くと、入隊教育を受けた部隊で、「女性は黙りこくって敬礼するのではなく、優しい言葉を付け加えよ」として「お疲れ様です」と言い添えることを指導されたのだそうです。

宝塚の歌姫たちは「清く、正しく、美しく」を合言葉に育てられるようですが、海上自衛隊の女性自衛官は「強く、正しく、麗しく」を合言葉に入隊教育を受けます。

例え厳しい戦闘配置に就いて男子隊員と同じ責任を負わされたとしても、女性であることを忘れてはならないというこの教えに反対するものではありません。

しかし私は、この指導の浅はかさに言葉を失いました。

この指導は挙手の敬礼の尊厳を大きく損なうものです。

自衛官はすれ違う時の挨拶も、部隊への着任の申告も、挙手の敬礼で行います。艦長が上陸する時に副長が見送るのもこの敬礼ですし、国旗の掲揚降下時も敬礼を行います。転出していく隊員を見送る時も、二度と帰って来れないかもしれない任務に出撃する部隊を見送る時もこの敬礼で送り出すことになります。

30年間の勤務の間に何万回の敬礼をしてきたのか分かりません。数多くの上司や先輩に敬礼をし、数多くの部下や後輩から敬礼を受けてきました。

その都度、敬礼や答礼をする指先にはいろいろな想いを込めていました。

退官する上司を送る時は「ご指導ありがとうございました。」という思いを込めますし、転出する部下を送る時には「頑張れよ」とのサインを送ります。

教育部隊の指揮官として、毎朝の課業整列時に総員の前で台に上がる際には、入隊したばかりの若い隊員たちが一斉に「お早うございます」と元気な声を出して敬礼するのに対して、こちらも思い切り元気な敬礼を返していました。

殉職した同期生の棺を見送ったときの敬礼は指先が震えていたかもしれません。

それほど、敬礼というものは重い、意味のあるものであるべきなのです。すべての想いや覚悟を5本の指に込めるのが敬礼です。

女性らしい優しさを示すのであれば、そのような敬礼をすればいいのです。

もともと海上自衛隊はサイレント・ネイビーという性格を大切にしてきており、余計なことは言わない、黙っていても、誰も見ていなくてもやるべきことはしっかりとやるということを誇りとしてきたはずだったのです。したがって敬礼も原則的には黙って行うのですが、朝の挨拶はすべきだろうということで国旗掲揚までは「おはようございます」という挨拶をすることが例外的に習慣となっていたのです。

それが「お疲れ様で~す」でその伝統が破壊されそうになっていると危機感を抱きました。

ついに私は自分の部隊に対して「お疲れさまです」禁止令を出しました。疲れて帰ってきた者に「お疲れさまでした」と声をかけるのはいいが、そうでない場合の「お疲れさまで~す」を禁止したのです。我ながらつまらない指示を出しているものだとうんざりしながらです。

その思いを理解してもらうのには時間がかかりましたが、私は二言目には「俺たちは芸能人ではない」と言い続けました。

半年ほどたったある日、すでに退官したかつての上司がある大手企業の顧問となり、その会社の社長が交代の挨拶のために私の部隊に表敬にお出でになった際、社長を紹介するために同行して来ました。ついでに社長に部隊の施設を見て頂こうと構内を案内したのですが、帰り際にその元上司が私に近寄ってきて、「君のところの隊員は、皆端正な敬礼をするなぁ。」と囁いて行きました。

私が言い続けてきたことを皆が理解してくれていたことに私自身が気が付いた瞬間でした。分かる人が見ると分かるのです。

冒頭に述べたように、モノを語るのは口だけではありません。目も指先も語りますし、背中も語ります。女性なら髪をかき上げる仕草で語ることができるのだそうですし(私のような者には通訳を通さないとダメかもしれませんが。)、とにかくいろいろなもので語ることができます。

指揮官は眉で語ることがあります。と言うより、眉がモノを言ってしまうことがあるのです。十分に気をつけなければなりません。眉のほんの数ミリの動きが、部下のやる気を出させたり、逆に削いだりします。 

感情は正直ですから、よほど気をつけないと顔に出てきます。特に眉には出やすいようです。役者でもなければ、その動きを外に出さないことは難しいかもしれません。といって常に演技をしている訳にもいきません。

どうすればいいのでしょうか。

私はこの専門コラムの連載を始めた時に「指揮官の覚悟」という文章を掲げました。(http://aegis-cms.co.jp/46 )

ここには次のように書いてあります。「指揮官とは、誰よりも耐え、誰よりも忍び、誰よりも努力し、誰よりも心を砕き、誰よりも求めず、誰よりも部下を想う。」

この覚悟を持った指揮官は演技をする必要がありません。眉の動きに気を使う必要もありません。自然体でいいのです。

この覚悟のない指揮官が見せてはいけない表情であっても、覚悟のある指揮官なら見せてもいい表情というものがあるのです。