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専門コラム「指揮官の決断」

第403回 

日本航空123便墜落事故の謎  その2

カテゴリ:危機管理

承前

前回に引き続き、1985年8月12日に起きた日本航空123便の墜落事故についての記事です。

前回は、イントロダクションとして、事故について語られる様々な憶測のうち、当コラムで言及できる内容が何か、筆者がこの事故といかなるかかわりを持っていたかについて語りました。

今回からが本論です。

たしかに、この事故に関しては謎が多いような気がしますし、巷をいろいろな噂が飛び交っていることも事実です。

様々な論点がある中、当コラムは当コラムの考え方に従い、弊社で文責を負うことのできる内容に限定し、かつ、その中でも事実、及び科学的に事実が証明されていること、公理とされていることと、伝聞推定の内容を峻別して議論を展開しようと考えています。

元米空軍中尉の手記

この事故に関する青山透子さんの書物にも記載があり、多くの方も言及されていることに、米空軍の輸送機が横田帰投中に捜索を命ぜられ、御巣鷹山で遭難機を発見し、海兵隊のヘリが現場に向かっているとの情報でその場に留まったが、ヘリからは炎がひどくて近づけないので少し移動するという連絡があり、その旨を司令部に連絡したら、作業を中止して戻るように命ぜられ、横田帰着後、上官からかん口令を布かれたというものがあります。

このことは、事故から10年後、元米空軍中尉で、当時そのC-135に乗り組んでいたマイケル・アントヌッチ元空軍中尉がサクラメント・ビーという新聞に手記を寄せたことから明らかになりました。これはカリフォルニア州のサクラメントで発行されているローカル紙です。

筆者は、この手記を疑っています。なぜなら、だれもこの手記の裏を取らず、それを事実として議論を組み立てているからです。

筆者はこのマイケル・アントヌッチという元空軍中尉を知りませんが、米国社会を少しでも知っている方なら、元中尉という肩書が珍しいと思われるかと存じます。第2次大戦中やベトナム戦争中に動員された軍人の中には戦争が終わると同時に除隊した元中尉がたくさんいますが、1980年代に元中尉というのは珍しい経歴です。

米軍士官になる途はいくつかあります。高校を卒業して士官学校や兵学校に入って任官する方法、大学などで奨学金をもらいながらROTC(予備将校士官養成課程)の単位を取って、卒業後に任官する方法、あるいは一般大学から士官候補生学校(OCS)に入校して数か月の訓練を受けて任官する方法などが一般的です。

規則で、任官後、何年以内にどの階級に昇任しなければならないということが決まっています。これは階級のピラミッド構成を維持するためです。

そのため、任官後7年、普通は大尉の時に、それ以降、軍に残るかどうかを決断します。少佐になるのは将来とも軍人として生きていくという覚悟のある少数の者だけだからです。

大尉で除隊しても、その軍歴はビジネスの世界で大きく評価されますので、堂々とビジネスの世界に入っていく人々は少なくありません。むしろ大学に進学するために、この制度を利用して奨学金を得て、軍歴を持ってビジネスの世界に進む人も大勢います。

筆者も、米国でCEOとして勤務していた時に、多くの元大尉の経営者と会いました。

アントヌッチ元中尉がどのコースで空軍士官となったかは不明ですが、多くの人々が大尉で除隊しますので、元中尉というのは、ひょっとすると何かの問題で中尉での除隊を余儀なくされたのかもしれません。

それをうかがわせることも無いではありません。

上官から秘密にせよと言われている内容を新聞に手記として載せているからです。

筆者は元海上自衛官ですが、海上自衛隊が秘密の解除をしない限り絶対に口にできないことは民間人になった今でもたくさんあります。在職中に知り得た秘密は退職後も守る義務があるのです。彼はその守秘義務に違反していることになります。

ということで、筆者はこの元中尉の証言を疑っています。特に、捜索を命ぜられてというくだりは虚偽記載であると思っています。

前回記載したとおり、筆者は米空軍のネットを聴取していましたが、米空軍は関東エリアを飛行中の米軍機に対して情報を伝え、もし見かけたら報告せよと言っていたにすぎないからです。それがかなり遅くまで続いておりましたので、米空軍の管制当局が、一方でそのような放送を行いつつ、片方で輸送機からの報告を得ていたとは考えにくいのです。

また、この記事に関し、TheStars&Stripes紙が在日米空軍にその事実を確認しようとしたのですが、在日米空軍は「記録がない。」という回答をしているそうです。このことは、二つの可能性を示唆しています。

一つは、10年経っているので記録は廃棄されているということ。もう一つは、そのような事実がないので、記録もないということです。

厚木の米海兵隊の出動

厚木の海兵隊がヘリで現場に急行し、降下する直前で引き換えるように命令が出たというのは、まったくの出鱈目だと考えています。

当時も現在も厚木に海兵隊員はいますが、彼らは基地警備を担当している隊員たちであり、航空救難用のヘリコプターを装備しているわけではありませんし、その訓練を行っている部隊ではありません。

たしかに米海兵隊はすさまじい訓練を行う世界最強の戦闘集団かもしれませんが、全員がヘリコプターから降下して攻撃に転ずる(リペリングと言います。)の訓練を受けているわけではありませんし、航空救難を行うためには降りるだけはなく収容した遭難者を機内に吊り上げるためのホイストと呼ぶ装置や捜索のためのサーチライトなどが装備されている専用機でなければなりません。

厚木の海兵隊はそのようなヘリコプターを持っていませんでしたし、現在も持っていません。

つまり、厚木の海兵隊が現場で救難作業を行おうとしていたのに、日本国政府の要請により中止したという話は全くの出鱈目です。

また、日米安保条約の観点からもこの話は信じられません。

日本国政府の要請なしに米軍が日本国内の航空機の事故の救難に出動するなどということはありえません。

東日本大震災の際の米軍の「トモダチ作戦」も米軍が勝手に始めたのではなく、日本海に進出するために太平洋を驀進中であった米空母機動部隊の指揮官が救援に向かう必要があると判断して独断で針路を三陸沖に向けたのが事後的に承認され、米国から支援提供の申し出があり、横須賀にMFCC(Maritime Fleet Coordination Center )が作られ、その結果として「トモダチ作戦」となったものです。

このMFCCには筆者も若いころに10日間ほど勤務したことがあり、共同演習の調整業務を行っていました。これは常設の組織ではなく、必要に応じて設置される連絡所ですが、設置の手順などは決まっており、共同訓練などを行う際には、その設置も訓練の一環として行われます。

日本国内の災害に対し、米軍が勝手に行動するということは、よほど目の前で火災や交通事故や海難事故などが起きていない限りありません。その際は、軍と軍という関係ではなく、目撃者としての保護義務や海員の常務という考え方での行動になり、事後的に了解が取られることになります。

いずれにせよ、「厚木の海兵隊が・・・」という話はデマにすぎません。

米軍の実情をよくご存じないと海兵隊なら何でもできると思ってしまうのかもしれませんが、厚木や横須賀にいる海兵隊員は基地警備を専門としていますので、上陸作戦に動員するにしても、再錬成訓練を行ってからでなければ出動させることができませんし、まして、航空救難という特殊技能を必要とする作業には出動できません。

事故の翌日、御巣鷹山の事故現場から奇跡的に生存していた少女を陸上自衛隊員が抱き上げてヘリコプターに収容するシーンが有名になりましたが、あのヘリコプターは救難用のホイストを装備した機体で、地上には衛生員がいて、所要の処置をしており、少女を抱きかかえている隊員は第一空挺団の伝説的な猛者だったということです。空挺団はヘリからの降下訓練や落下傘降下訓練を日常的に行っているので、何とか出来たのですが、厚木の基地警備の海兵隊員には到底できない芸当です。

日本国政府の要請で米軍は救難を中止?

日本国政府の要請で米軍が救難を打ち切ったというのは、ある意味で事実でありますが、話が飛躍しすぎています。

米空軍座間基地からUH-1というヘリコプターが状況確認のために離陸したのは事実のようです。ただ、航空自衛隊のヘリが現地に向かっているという連絡があったので戻ってきたというのが真相で、現場で降下を開始しようとしていたのではありませんでした。米軍からの申し出は、現地から遭難者を運ぶためのヘリコプターと医療班の支援の申し出だったのですが、ホイストやサーチライトを装備するような航空救難用の機体ではなかったので、航空自衛隊や陸上自衛隊で十分という判断があって、その申し出を受けなかったということです。

火炎放射器

さらに、森永卓郎氏も言及していますが、ネット上で言われているのは、御巣鷹山の遭難現場には救助隊の到着よりも先に陸上自衛隊のレンジャー部隊が到着し、生存者を火炎放射器で焼き殺して口封じをしたということです。

ここまで言われたら、陸上自衛隊は名誉棄損でそのような噂をネット上にさらけ出しているYouTuberを訴えるべきだと思いますが、この発言が公益を図るために行っていると本人が信じているために訴えることができません。

陸上自衛隊の名誉のためにあえて筆者から説明します。

そもそもレンジャー部隊という呼称自体が何の調査もしていないことを示しています。陸上自衛隊にはレンジャー資格を持った隊員はいますが、レンジャー部隊という部隊はありません。

また、陸上自衛隊の火炎放射器は武器ではなく、施設機材として扱われています。

陸上自衛隊創設時に米軍から供与されたものが普通科に配布されていますが、その有効射程と取扱者の安全性が著しく劣るため兵器として用いられることはなく、陣地正面の草を焼き払って敵の近接を防止する程度にしか使われておらず、訓練もほとんど行われていないようです。実際にも雪害の災害派遣で雪を解かすために使用したことがあり、また、コレラ菌で汚染されたバナナが輸入された際に、その焼却処分に用いられた程度です。

これを使って、山中で救助隊よりも早く現場に進出して生存者を焼き殺したというのですから、すごい話です。この話を流布させているYouTuberによれば、海上自衛隊が撃墜した日航機の証拠隠滅のために陸上自衛隊のレンジャーが出動してきたことになりますが、統合運用が始まっている今でも大変なオペレーションを、当時、どうやってそのように迅速にやってのけられたのか不思議で仕方ありません。

しかも、何百体というご遺体の検視報告書にもそのような記述はありません。また、参加したレンジャー隊員が、事故後40年近くたって、まだ一言もその件について語っていないというのも首をかしげます。たしかにレンジャー資格を授与された隊員というのは特別な訓練を受けた選ばれた隊員ではありますが、そのようなことをしたら、かならずバレてしまいます。当時の陸上自衛隊がそのようなリスクを負ってまで、同胞を焼き殺すなどと言う前代未聞の作戦を展開したという話は到底信ずることができません。

ただ、この話に関して申し上げれば、陸上自衛隊がそのようなことを行うことができなかったという証明も、そのような事実はないと説明できるものも持ち合わせておらず、当時の自衛隊を知るものとしての常識的な感でしかありませんので、第三者に対する意味のある説明となっていないことは認めざるを得ません。

ただし、元米空軍将校の話が裏が取れずに胡散臭いこと、海兵隊が救助を開始しようとしたときに帰還を命ぜられたという話も出鱈目であることから、この話の信頼性も大いに疑うべきと考えます。

そもそも、この問題における噂話の最も肝心な点が出鱈目であることは証明できていますので、この火炎放射器の話だけが事実だと言うのは唐突な感じが否めません。

その肝心な点については、今後ご説明いたします。