専門コラム「指揮官の決断」
第164回チャタムハウスルールをご存じですか?
マスコミとの付き合い方は危機管理の重要課題
当コラムは危機管理の専門コラムであり、私どもは「意思決定」「リーダーシップ」及び「プロトコール」を重視している旨を度々お伝えしています。
この中でちょっと難しいのが「プロトコール」という概念かと思います。
これはもともと外交儀礼や儀典書などを意味する外交用語ですが、弊社では組織とステークホルダーなどの組織の外部とのかかわりあい方の一切を指しています。
つまり、来客時のお茶の出し方に始まり、ウェブサイトやパンフレットの作り方、広告の打ち方、海外企業との付き合い方などの組織が部外者と付き合う際の作法を含むあらゆる関係の作り方であり、ある意味ではブランディングの問題とも言えます。
その組織と部外との関係で極めて重要なのがマスコミとの付き合い方です。
これを誤ると何でもないことがスキャンダルとなり、あるいは大変な事態であるにもかかわらず評価を高めることができるという極めて微妙な問題を含んでいます。
例えば、先に危険なタックルで話題をさらった日本大学アメリカンフットボール部の事案が記憶に新しいかと思いますが、この時、プレスクラブで記者会見に応じた違反タックルを行った選手がしっかりとした受け答えをした反面、翌日に慌てて記者会見を開いた日本大学側が、記者会見を仕切った担当者が記者会見のルールを全く知らない素人であったこともあり、危機管理が全くできていないという烙印を押されてしまいました。危機管理学部を持つ大学として恥ずかしいことです。
一方、アルジェリアのプラントでテロリストによる人質事件で従業員を失った日揮は、大変不幸な事件ではありましたが、その対応の見事さから一定の評価を得ています。
お隣の韓国に目を向けても、先に法務大臣を辞任したチョ・グク氏は記者懇談会に臨み、実に11時間にわたる記者との一問一答に対応しましたが、最後まで淡々と応じ、不勉強な記者が追求しきれず、かつ、体力的にも劣ったのか記者の方が居眠りをする始末であり、ついにその矛先をかわしてしまいました。
結局辞任に追い込まれましたが、これは検察の追及をかわすことができないという判断だとされています。
マスコミと付き合うには一定のルールがあることを理解しておかなければなりません。
マスコミとの付き合い方にはいろいろな留意点があるのですが、それら留意点ではなく今回はルールについての話です。
記者会見はもちろんですが、そうでなくとも大勢の方が集まっているところで話をする場合、一定のルールを定めておくことが必要な場合があります。
私はセミナー講師を生業としているわけではなくコンサルタントなので大勢の方の前で話をするということはあまりやりませんが、それでも全くないかというとそうでもありません。
大学の非常勤講師として学生の前でしゃべらなければならないこともありますし、私の専門とする事項に関してセミナーをやってくれと頼まれることもないわけではありません。
あるいは私的に参加している団体で話をすることもあります。
現在の私は公的立場にいるわけではないので、自分の責任で話をして、その責任を自分でとればいいので、話の内容はあとで引用されてもかまいませんし、録音などを録られるのも問題とはしていません。
しかし、公的立場にある方が大勢の前で話をする際には一定の配慮を必要とする場合があります。
オフレコとは
その一例が「オフレコ」と言われるものです。
これは、その場で話されたことはその場限りとして部外には漏らさないというルールです。
報道を仕事とする記者にとってはこれは大変なことなので、もし本当に報道されたくなければそのような内容を記者に話さなければいいのですが、そこにも一定の思惑が働く場合があります。
筆者もかつて海上自衛隊の制服を着ていた頃に記者ブリーフィングを行ったことが何度もあります。
その中で、オフレコで話をしたこともあります。
記者ブリーフィングにおけるオフレコにはいろいろな種類があります。
話した内容を一切報道してはならないというオフレコもあれば、一定の条件が整うまでオフレコというものもあります。例えば、明日の正午まではオフレコなどといって時間制限をしたりする場合などです。
記者を前にして報道されたくない内容をわざわざ何故しゃべるのかということにもいくつかの理由があります。
一つは、背景説明などをしておいて、記者の理解を深めようとする場合です。そのようにしないと誤解してとんでもない記事になるおそれがあるからです。
あるいはいきなりびっくりするような内容の発表をするのではなく、ある程度事前に流しておいて衝撃を和らげるという意味のオフレコ発表もあるかもしれません。
私の場合は圧倒的に前者でした。
このオフレコによる説明は記者との信頼関係がないとできません。
したがって、オフレコの発表をする前に「これから話す内容はオフレコです。」と宣言し、了解できない記者には退出を求めます。オフレコを約束してくれた記者だけに話をするのであり、特定の記者を排除するものではありません。
しかし私の経験でもオフレコと約束してもリークする記者はいます。しかも説明した内容と異なる内容で報道し、それを別の取材で得た情報だと言い張る者も珍しくありません。
したがって、こちらもリークされることを前提に、そのような説明をすることもあります。
こうなると狸の化かし合いの様相を呈してきますが、それも一つのマスコミ対策です。
いずれにせよ「オフレコ」にするには事前にそれを宣言し、了解できない記者には退席を求める必要があります。
かつて東日本大震災に際し、復興担当大臣が宮城県に乗り込み、県知事の応接室で県知事が先に入って待っていなかったことに腹を立て、「人を迎える際には自分が先に入って待て。長幼の序を知っている自衛隊ならそうするぞ。」と航空自衛隊出身の県知事を叱責し、さらには「知恵を出さない県には何にもしてやらない。」など言う暴言を吐いたことがありました。(専門コラム「指揮官の決断」第11回 No.011 長幼の序? https://aegis-cms.co.jp/314)
その際、その復興担当大臣は、それらの発言をしたあげく、「今のはオフレコです。」と言って、「報道した会社は終わりだから。」と報道の自由に対する弾圧を公然と行ったのですが、この復興担当大臣は報道のルールを全く理解していません。
オフレコは事前に宣言しなければならないのです。
付言すれば、自衛隊ではお客様を迎えるに際して自分が先に応接室に入って待つなどという間抜けな対応はしません。
指揮系統の上官であれば玄関まで自分が迎えに出ますし、そうでなければお客様にまず応接室に入って頂き、落ち着かれたところを見計らって自分も入室するのが常です。
また自衛隊は階級社会ですので、「長幼の序」は考慮しません。年齢ではなく階級がものを言います。
要するに常識のない大臣だったのでしょうが、オフレコのルールというのはそういうものです。
チャタムハウスルール
ここでオフレコとちょっと違うルールについてお話をします。
それが今回のテーマであるチャタムハウスルールと呼ばれるものです。
最近、ある方のご紹介で国際交流に貢献する団体の会員となりました。月に一度、現役の外交官が話をしてくれる朝食会があり、外交の第一線の話が聞けるので、朝早く東京のホテルまで出かけています。
この朝食会では現役の外務省の高官が話をしますので、ジャーナリストなども多数メンバーとして出席しています。
ここでも毎回オフレコでお願いしますと言われるので「変だな。」と思い、主催者に確認したことがありました。そこではっきりしたのは「オフレコ」ではなく、「チャタムハウスルール」でお願いしますということでした。
チャタムハウスルールの起源などの話をしていると長くなりますので割愛しますが、要するに、聞いた話を外で話すのは結構だが、誰がその発言をしたかというのは伏せるようにということです。
外交問題を扱うことが専門のジャーナリストや大学教授などが多数聞いていますので、そこでの話題について完全にオフレコにしてしまうと彼らが参加する意味がなくなります。といって、現職の外交官がこう言ったなどと雑誌などに書かれると支障がある場合もあります。特に事実に関することではなく、その外交官の見解などの場合がそうなのですが、それを記事にされるとすると委縮して肝心の話が聞けなくなる恐れがあります。
したがって、誰が言ったということは伏せるというルールを守ることが必要になります。
それがチャタムハウスルールです。
マスコミへの対応の工夫
オフレコにせよチャタムハウスルールにせよ、そこで有意義な話を聞きたければ、参加者がしっかりとそのルールを守ることが重要です。しかし、一部のルール違反者がいると、話をする側が構えてしまうので本当に有意義な話は聞けなくなってしまいます。
筆者も何度も煮え湯を飲まされたことがあり、報道に関わる人々を信用することができなくなり、記者ブリーフィングをする際には、リークされることを意識して、その結果都合がよくなるような話のみをさも重要な話のようなふりをして「オフレコですよ。」として説明していたこともありました。
意図的に誤報をさせたこともあります。「オフレコ」の内容のはずなので「嘘つき」呼ばわりは受け付けませんでした。それで「オフレコ」破りの犯人を吊るし上げることができました。
そして、本当に信頼できる記者や将来的に育って欲しいと思う若い記者などには個人的な付き合いの中で情報を流していました。もちろん、関係方面と綿密に調整して、流す情報の範囲を決め、対応の準備をしてからのことです。
マスコミ対応にはそのような周到な準備が必要であり、その対応を誤ると正反対の結果を生むことになりかねません。日本大学と日揮を見ればそれは歴然としています。
お得意様にも食べ残しの食材を出していた吉兆の女将の記者会見を覚えておられる方も少なくないと存じます。
会社や個人が記者会見を開かなければならなくなるということはそれほど頻繁にあるわけではありません。
その滅多にないことを機会とするのか、その結果醜態を晒してしまうのかでは、後からでは如何ともしがたい差が生じてしまいます。
日常からプロトコールに関する感性を育てておくことにより、たとえとんでもない事案に巻き込まれた場合でも、それを千載一遇の機会に変えることができるのです。