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専門コラム「指揮官の決断」

第98回 

No.098 あきらめてはいけない、奇跡は起こる

カテゴリ:コラム

行方不明の2歳児発見!

 山口県周防大島で行方不明になっていた2歳の男の子が無事に保護されました。3日ぶりの発見だったそうです。
 夏で寒くはなかったはずですが、2歳の子が山の中で一人で迎えた3回の夜がどれほど心細かったかは想像に余りあるものがあります。
 
 発見したのは大分県から捜索にボランティアで参加していた78歳の男性でしたが、子供は山では下るのではなく登る習性があるのではないかと考えて上の方を探したということで、お見事と申し上げるほかありません。
 一般には、このお歳では、捜索どころかご本人が行方不明になる危惧を抱きかねないところですが、現役を引退してからは社会貢献に積極的に参加してこられたとのことで頭が下がります。
 私が自衛隊で初めて災害派遣に参加したのが、近くの山の中で行方不明になった78歳の男性の捜索だったので、それと比べるとこの方は大したものだと感心せざるを得ません。

 一方の発見された子供さんも、気温が低くなかったこと、山の中で適度な日陰があったであろうこと、沢には水があったことなど好条件が重なったとはいえ、寂しさ怖さに耐えきれずに走り回って転落するなどの事故を起こさずに耐えていたことは立派としか言いようがありません。
 お母さんは半ばあきらめていたというのに、息子さんは頑張っていたのです。

 この件で思い出すのが、一昨年、北海道の陸上自衛隊駒ケ岳演習場内の小屋で発見された7歳の男の子のケースです。
 
 6月初旬、現地では夜間には気温が10度以下になることが珍しくない季節に、6日ぶりの発見でしたが、山の中を歩いて陸上自衛隊の施設を見つけて入り込み、水だけを飲んでいたそうです。
 この場合は建物の中ではありましたが、誰もいない山の中で一人、1週間近くを過ごすという経験がどのようなものなのか、山中での単独のキャンプなどを経験したことのない方には想像もできないかと思います。

 どちらのケースも実は防ぐことのできた事故でした。
 
 周防大島の2歳児の場合は、兄弟と数百メートル離れた海水浴場に曾祖父と出かけ、一人だけ家に引き返して行方不明になったもので、いわば裏庭で起きたような事故です。
 
 北海道のケースは、言うことを聞かなかった子供をお仕置きの意味で車から降ろして置き去りにし、もういいだろうとほんの数分後に戻ったところいなくなっていたというものです。
 
 子供は何をするのかまったく分からないので、眼を離してはならないという教訓でもあるのかもしれませんが、これは難しいところですね。

教訓その1

 
 ただ、この2つのケースを危機管理の面から眺め直すと、様々な教訓を得ることができます。
 
 まず、子供は何をするかまったく分からないという前提で見ることが必要だということです。
 
 その上で二手先を読まなければなりません。
 
 これは戦場での戦いとまったく同じです。
 
 二手先を読んでそれが的中する確率は単純には25%しかありません。しかも選択肢が2つしかない場合の話です。選択肢が多くなればなるほど的中確率は激減していきます。
 
 選択肢が2つの場合、次の手の読みが的中する確率が50%で、その先、つまり二手先が的中する確率はその半分ですので25%しかないのです。
 
 つまり、選択肢が2つの時ですら、二手先の読み方が当たる確率は4分の1しかないのです。外れる確率が3倍あるのです。
 
 これを考えると、子供が、あるいは戦場で敵が、自分の予想通りに動くと考えるのが極めて危険であることが分かります。
 むしろ、予想通りには動かないという前提で考えるのが自然なのかもしれません。
 
 軍隊が作戦計画を立てる時、その作戦が上手くいかなかった時にどうするのかという腹案を同時に立てなければなりません。
 また、うまくいかなかった時の結果を許容できるのかどうかを常に考慮します。
 腹案もなく、許容できるかどうかの判断もない作戦は単なる博打であり、まともな作戦計画ではありません。
 
 親が子供を見る時にも同じ配慮が必要です。
 結果が許容できないような判断はすべきではないのです。
 

教訓その2

 もう一つ教訓とすべきことがあります。
 けっしてあきらめてはならないということです。

 周防大島の捜索では、お母さんですら「もう生きて会えない。」と思い始めていたそうです。
 北海道の事故では1週間近くが経過しており、ヒグマなどに襲われた可能性などが考慮されていたと言われます。
 
 2001年7月、長崎県の崎戸漁港を出港した沿岸小型漁船繁栄丸のエンジンが故障で動かなくなり、携帯電話で業者と連絡を取りながらエンジンを修理しようとしたが復旧しないうちに圏外となってしまい、そのまま37日間漂流し、マグロはえ縄漁船に発見されて救助されるということがありましたが、この際も食糧、水はほとんど持っていなかったために絶望視されていました。

 もちろん、行方不明や遭難で、捜索の甲斐なく生存が確認できなかったり遺体となって発見される例も数限りなくあります。
 しかし、遺体発見などの確実な証拠がない限り、捜索はあきらめてはならないのです。
 逆に言えば、遺体を捜索するということは、生存者捜索を中止するという決断を行うために必要な行為であり、それまでは探す方も探される方もあきらめてはならないということです。

 東日本大震災において被災した仙台空港がいち早く使用できるようになり、援助物資等の輸送に大きな役割を果たしたことは皆様も記憶にあるかと思いますが、この仙台空港の機能を取り戻すのに大きな役割を果たしたのは、米空軍の第353特殊作戦群という部隊でした。
 この部隊は荒れた滑走路でも極めて短距離で離着陸できる輸送機を持ち、隊員たちは特殊作戦の訓練を受けた強者揃いです。
 
 この部隊が近くの航空自衛隊松島基地まで沖縄から進出し、高軌道車やバイクで仙台空港へ進出、滑走路を必要な部分だけ使用できるように片付け、臨時の航空管制所を設置し、同部隊の輸送機の離着陸を可能として作戦資材を運んだのです。

 この部隊の本来の任務はもちろん災害時の空港の整備ではありません。
 この部隊の本来の任務は、戦場で撃墜された米軍機の搭乗員の救出です。
 
 敵地にパラシュートで降下して避退している隊員や、あるいは敵の捕虜になってしまった隊員を救出するために、目的地近くの滑走路に強硬着陸し、特殊作戦隊員たちが救出に向かうのですが、この際、滑走路上の空域の航空優勢を確保するために戦闘機が先に進出して敵を制圧している間に強行着陸、特殊作戦部隊が搭乗員を発見、あるいは捕虜にしている敵軍と交戦して救出して戻ってくると、それらを収容して極めて短距離の滑走で離陸して帰還するというのが彼らの本来の任務です。
 
 たった一人のパイロットの救出のためにもこの部隊は出動します。
 
 撃墜された搭乗員を連れて戻るためには、たとえそれが遺体であろうとこの部隊は出動するのです。
 
 戦場に向かう米軍機の搭乗員は、このような態勢がとられていることを知っているので、どのような状況に陥ってもあきらめることをしないのです。生きていれば必ず救助が来ることを知っているからです。

 つまり、遭難者の捜索を絶対にあきらめないという態勢を堅持していることが、遭難者を絶望から救い、あきらめてしまうことなく希望を持たせ続けることになるのです。

 第二次大戦中の日本軍のパイロットたちは、自分が撃墜されても救助が来るなどということはあり得ないことを知っていたので、自爆という選択をすることになります。
 このことが撃墜されても生還するパイロットがほとんどいないという状況を生み、その結果、敵が空戦の戦法を変えて手ごわくなっていることに誰も気が付かず、戦訓を活かすことができないという日本の独特の欠陥となって現れてしまったのですが、一人の搭乗員を救出するために、飛行艇や潜水艦を惜しげもなく投入する米軍とは、物量以前に考え方の差によって敗北を喫したというべきでしょう。

奇跡はあきらめなかった者に起こる

 いずれにせよ、遭難の場合、探す方も探される方もあきらめてはなりません。
 特に探す方は、決してあきらめないという姿勢を取り続けることが、その後で起こる遭難の探される側のメンタルに大きな影響を与えます。

 何事においても当てはまるかとは思いますが、奇跡が起きるということはそう滅多にあることではありません。
 しかし、間違いなく申しあげられることは、「諦めたら奇跡は起きない、奇跡はあきらめなかった者にのみ起こる。」のです。
 
 「あとは奇跡が起こることを祈るしかない。」という人のもとに奇跡が起きることはないのです。