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専門コラム「指揮官の決断」 

No.067 「独断専行」の意味

誤解される「独断専行」

 
 年末から年始にかけて、長い間溜め込んだ新聞のスクラップを整理していたのですが、あることに気が付きました。
 企業の不祥事が明らかになった際、「現場の独断専行があった。」と説明されていることが多々あるのです。 
 つまり、経営陣は知らなかったのであり、直接の背反行為は現場が勝手に行ったのであるが、経営陣はそれを見過ごした、あるいは監督しきれなかったことに責任があると言いたいようなのです。
 これらの経営者の言いたいことはよく分かります。ケースによっては、本当に経営者が全く知らないところで経営者の思いとは全くことなることが行われていたこともあるでしょう。しかし、それは「独断専行」ではありません。現場の恣意的行動に過ぎません。
 「独断専行」という言葉の意味が正しく理解されていないのです。
 

 私が気にかかっているのは、経営者がそう発言していることが報道されていることではありません。新聞記者自身も「独断専行」の意味を理解していないのではないかと思われる記事も少なからずあることです。
 「兵庫県三木市の仲田一彦市長が就任1か月を迎えた。トップダウンで独断専行の市政運営が目立つとの批判が強まっていた前市長に対し・・・」(神戸新聞 2017/8/14)など例を挙げ始めるときりがありません。

 いわゆる学識経験者、有識者と言われる方々の発言においても同様です。
 毎日新聞 経済プレミア編集部のツイッターの2017年5月14日のツイートに次のようなものがあります。

 「戦国第2世代・黒田長政が心がけた家臣との意思疎通  
  戦国武将はややもすると独断専行で、自分のお気に入りだけをまわりに置く寵臣政治になりがちだ。そうならないよう、黒田官兵衛の子である黒田長政は・・・」
 これは静岡大学の小和田哲男名誉教授の筆になる記事です。
 戦国時代研究の第一人者である小和田教授までがこのような言い方をされるので困るのです。
 
 私はかつて当コラムにおいて『失敗の本質』という本について書いたことがありますが(No.030 「『失敗の本質』の失敗の本質」)この本には続編があります。『失敗の本質 戦場のリーダーシップ編』という本で、前著同様、野中幾次郎氏が中心となって執筆されたものです。
 この本の中で「独断専行」についての説明がなされています。
 若干長くなりますが引用します。
 「独断専行とは本来、事態が急変する戦場で、上官の命令や指示を待っていたのでは対応がおくれてしまうので、現場で自主的に判断して行動する、という意味であった。第一次大戦では、従来よりも戦闘単位が小さくなり、下士官が指揮する分隊を単位として戦闘する傾向が強まった。したがって、日本陸軍でも下士官や兵士の自主的判断に基づく対応を奨励したのである。ところが、やがてこの独断専行は、上官あるいは上級司令部の命令や指示を無視して、あるいはそれに反して行動することを指すようになった。」

 野中氏の頭の中にあるのは先の大戦における関東軍の独走でしょう。
 しかし、それを「関東軍の独断専行」というのは誤りです。関東軍の暴走に過ぎません。

 このように著名な学者やあるいは歴史小説家などが「独断専行」という言葉を用いるので、「独断専行」という言葉の本来の意味が誤解されてしまうのです。
 野中氏は「指すようになった。」と主張されていますが、これは野中氏の主観的判断に過ぎず、「独断専行」がこのような意味になったわけではありません。

「独断専行」の本来の意味

 独断専行という言葉はもともと軍事用語です。
 上官から直接指示や命令を受ける手段がない現場指揮官の判断及び措置として必要な行為であり、独断専行が許容されるためには次のような厳格な条件があります。

1 常日頃、上級指揮官との間に十分な意思疎通ができており、上官の意図に従った意思決定ができる。
2 緊急の事態であり、明らかに上級指揮官の命令があらゆる状況に照らして不合理であるが、上級指揮官の判断を改めて仰ぐ手段がない。
3 事後、可能な限り速やかに報告をする。
4 恣意的ではなく、結果について全責任を自ら取る。

 この「独断専行」の要件が変わったわけではなく、上級指揮官の命令に反した勝手な行動をすることを指すようになったのでもありません。独断専行という言葉の本来の意味を理解していない論者が現場の恣意的な行動を「独断専行」と勘違いしているだけなのです。
 自分が勘違いしているに過ぎないことをあたかもそのように意味が変遷しているかの如く扱うのは学者の態度ではありません。
   
 困るのは、野中氏や小和田氏のような見解がまかり通ってしまうと、独断専行が悪いことのように思われてしまうことです。
 それは現場の判断を委縮させ、全てトップの判断を仰がないと行動ができないという体質を作ってしまい、臨機応変の対応ができなくなるという弊害を生みます。
 これは日本的な意思決定の特色でもあり、外国企業から批判される点でもあります。
 何かというと本社の意向を確認しないと協議が前に進まないということに海外のビジネスマンはイライラするようです。

独断専行をしなければならないこともある

 独断専行が許容される条件を先に挙げましたが、実は、許容されるだけではなく、独断専行をしなければならないこともあるのです。

 それは、上級指揮官が理解している情勢が急速に変化し、上級指揮官の命令が現状と乖離してそのまま実行することが明らかに不適当な場合であって、上級指揮官に報告する余裕がない場合、現場指揮官は上級指揮官の命令から離れて独断専行により最善の措置を取らなければなりません。
 その場合、上級指揮官の命令を固守することは、現場指揮官を免責しないのです。彼は、現場で適切に判断しなければならない責任を負っている以上、上級指揮官の命令が不適当であれば、独断専行をしなければならないのです。
 そのような厳しい事情があることを知らない学者やマスコミが勝手に解釈を変えてしまうことの弊害は極めて大きいと言わざるを得ません。

経営者は「独断専行」ができる部下を育てなければならない

 経営者は「独断専行」の意味を誤解してはなりません。
 貴方が不在でも、貴方の想いを十分に理解した現場が貴方ならそうしたであろう決断を自分で堂々と自信を持ってできるように組織を育てなければならないのです。
 独断専行と恣意的行為は全く別物です。両者を混同してはならないのです。

 組織がある程度の規模になってくると、階層ができ、トップが直接現場を見ることができないことが多くなってきます。
 その際、トップが安心して組織を経営できるためには、各階層において、トップの意思が忠実に反映された意思決定が行われなければなりません。
 このためには現場の判断が誤ることの無いように指導をしておかなければなりません。その際にトップが銘記しておかなければならず、そして確実に各階層に徹底させなければならないのが「独断専行」が許容される条件です。
 厳格にこの条件が守られる体質を経営者は作っていかなければならないのです。
 そして、「独断専行」をしなければならない状況においては適切な「独断専行」ができる部下を育てておかなければならないのです。