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専門コラム「指揮官の決断」

第76回 

No.076 人は感情で動く

カテゴリ:コラム

危機管理において最も難しいこと

 危機管理上の事態における意思決定で最も困難なことは、原則に立ち返ることです。
 
 私は経験がありませんが、かつてFXのトレーダーに聞いたところ、彼らは自分のルールを持っていて、どんなに思いもかけない負けとなっても熱くならず、冷静にそのルールを自分のトレードに適用していける者だけが常勝トレーダーとなるのだそうです。
 
 ちなみにトレードの世界には常勝トレーダー以外にトレーダーは存在できず、勝ったり負けたりのトレーダ―と言うのはプロにはいないのだそうです。
 
 常勝トレーダーの勝ちとは100%勝つことを指しているのではなく、一定期間に必ず5勝4敗1分けに収めることを勝ちと言うのだそうですが、この世界がいかに厳しいのかが分かります。
 なぜ5勝4敗1分けでいいかというと、トレードの基本はリスクVSリワードが1:2以上のトレードであり、例えば、負けると50万円の損失、勝てば100万円以上になるトレードだけやっていくと、勝率が4割でも利益は出せるので、5章4敗1分けなら確実に利益を積むことができるからだそうです。
 統計学的には彼の主張は正しく、1:2の勝負であれば、40%の勝率で利益を積むことができます。

 問題は、そのルールにいかに忠実に冷静に対応できるかにあり、負けが込んで一発逆転をねらうトレーダーは業界に留まることができないのだそうです。

 戦場における指揮官の判断や大事故に見舞われた施設の支配人などの対応なども同様です。
 人はとっさの判断が必要なとき、感情で動いてしまいます。

意思決定を間違わせるのは恐怖ではなく、保身

 逆説的ですが、その感情を突き動かしているのが「恐怖」である場合には、その判断はまだ論理的で原則に忠実な判断ができる可能性があるのですが、その感情を突き動かしているのが「保身」である場合、その判断は支離滅裂になります。
 どう考えても論理的でなく、したがってその方向がどんどん本質とそれてしまい、収拾のつかないものになっていきます。
 
 そのいい例が、前東京都知事の辞任前のドタバタ劇です。
 知事の椅子にしがみつきたいばかりに、記者会見での答弁は論理が出鱈目、チグハグで、全く説明になっていない答弁となっていました。
 
 公費を私的に使っていたのではないかという疑惑に対して行った説明は、どれ一つ取ってもまともに聴くに値するものではありません。それで説明ができると考えてしまうほど、完全に判断が狂ってしまっていたのでしょう。

 

恐怖によって判断を間違わないために重要なこと

 恐怖によって突き動かされているときにはまだ原則に忠実な判断ができる可能性があるというのは、修羅場をくぐった経験の無い方には分かりにくい感覚かもしれませんが、これは使命の自覚と訓練の賜物なのです。

 大きなビルの火災でその中に進入していく消防隊員や大時化の中で遭難船の救助に赴く海上保安官たちは、日常、自分たちに課せられた使命は何かを考え、そのための訓練を受けています。
 しかもそれは本能的に恐怖を感じる場面における訓練なので、自分たちが鍛えられた原則に従って行動することで任務が達成でき、自分たちも生還できることを知っているのです。

 とっさの判断をしなければならない時に、原則ではなく感情で判断してしまいがちなのは、先に述べたように恐怖や、欲、保身などの感情が突き動かすからですが、危機管理上の事態において指揮を執るものが、その感情によって判断をしていくことになると問題は看過できないものとなります。

 欲や保身のために正常な判断ができなくなる人物は、日常の行動を観察すればだいたい分かってきますので、そのような人物を配置しなければいいのですが、恐怖は誰にでも襲ってきますので、とっさに感情に動かされない判断をするのは難しいものです。

メンタルの真実

 よく「メンタルを鍛える必要がある。」と言う方がいらっしゃいますが、具体的なメンタルの鍛え方を伺ったことはありません。
 それはそれらの方がメンタルを鍛えるということの意味を理解していないか勘違いしているからです。
 
 私は精神力や精神論を否定するものではありません。究極の事態に陥った時に人を救うのは強靭な精神力ですし、イチローを大打者、最強のライトに育てたのも彼の克己の精神力であると信じています。
 
 しかし、メンタルの力は、知識の無いところ、技術の無いところ、経験のないところに宿ることはありません。
 知識・技術・経験のない分野においても、他の何かの分野でそれなりのものを持っている方は実力を発揮できますが、それもある分野における圧倒的な技術、知識、経験を持っているからなのです。
 
 技術・知識・経験があればできるメンタル力とは何か・・・ それは「自信」です。

 恐怖に打ち勝つには「自信」が必要です。「知っている」「やったことがある。」「自分にはできる。」ということが恐怖を打ち破ります。

 幽霊を怖いと思うのは、それが何者か分からないからであり、その正体が科学的に説明されてしまえば怖くも何ともなくなってしまうでしょう。「知っている」ということが恐怖を克服させるのです。

 オリンピック選手が自信を持って試合に挑むことができるのは、「自分ほど苦しい訓練を重ねてきた者はこの地球上に存在しない。」と確信しているからです。
 その程度の確信無しにオリンピックで金メダルを取ることはできないでしょう。
 自分以上に苦しい思いをした選手はこの地球上にいないはずだという確信を持った時、「自分は勝てる」と確信でき、恐怖を克服できます。

 つまり感情に流されずに意思決定するうえで重要なのものの一つは自信を持つということです。
 

もう一つのキーワード

 もう一つあります。
 
 忠誠心です。

 政治家が選挙民への忠誠心を失うと私利私欲に走った行動をとります。

 軍人が忠誠心を失うと我が身に危険が及ぶ行動を避けるようになります。
 戦場において軍人にその恐怖を克服させるのは忠誠心です。

 会社員は自分の会社への忠誠心を持たねばなりません。
 一方の社長は株主だけではなく、その会社を支える社員への忠誠心を忘れてはなりません。
 勘違いしている経営者が多いかと思うのですが、社員は社長のために働いているのではなく、会社のために働く社長を支えているのであって、社員なしに社長は何もできないからです。

 忠誠心とはつまり、自分に課せられた使命に対する誠実さのことです。
 
 経営コンサルタントはドラッカーが大好きで、何かというとそのドラッカーの「イノベーション」という言葉を引用しますが、ドラッカーが最も大切だと述べたのは「イノベーション」ではありません。
 彼は” Sincerity” が最も大切と言い切っています。つまり「誠実さ」です。

 忠誠心とは、言い換えれば「自分の使命に対する命懸けの誠実さ」ということでしょう。
 
 「自信」と「忠誠心」、この二つが感情に動かされない判断のためにどうしても必要な要素です。