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専門コラム「指揮官の決断」 

No.090 JRと危機管理

新幹線で発生した事件は危機管理の問題か?

 新幹線の中でまた凶悪な事件が発生し、無差別殺人を行おうとした犯人を制止しようとした勇気ある男性が犠牲となりました。
 新幹線においては以前にも放火により乗り合わせた乗客が犠牲となるという事件が発生しており、JRが予想していない形で新幹線の安全神話が崩れかけたところへ、車体にヒビが入って異音がしているにもかかわらず運行を続けるということが起こり、いよいよその安全性に疑問が投げかけられつつあったところでした。
 
 この事件を報道したテレビ番組では、東京オリンピックを前にして何らかの対応をしなければ大変なことになるという論調が目立ち、様々な議論がなされていました。
 観ていて興味深かったのは、いろいろな方面の専門家が登場し、それなりの見解を述べているのですが、一様にこれといった打開策が見出せないでいるにもかかわらず、評論家と言われる人たちがこれも一様にJRの危機管理が問われるという言い方をしていたことです。
 
 評論家というのは他を無責任に批判して、自分の言論には一切責任を取らない人のことなので適当に聞いておけばいいのですが、しかし、これらが世論を作ってしまい、また危機管理に関する誤解が蔓延してしまうと困るので、専門家としては一言申し述べなければならないと感じているところです。
 
 まず、車体にヒビが入って異音がしているにもかかわらず運行を続けたことは危機管理の問題ではありません。これは最も初歩的、基本的な安全管理の問題にすぎません。危険なことがすべて危機管理の問題になると思ったら大間違いです。
 
 また新幹線内で生じた放火や無差別殺傷事件をJRの危機管理能力の問題としてしまうのはいかがなものかと思われます。
 空港のような安全検査体制を新幹線に要求することは、新幹線による移動の快適さ、迅速性が損なわれるだけでなく、問題を解決することにもなりません。無差別の殺傷を行おうとするものが新幹線でなく在来線を選ぶようになるだけだからです。専門家が明快な解決策を提示できないのはそのような問題があるからです。
 
 評論家という人たちは、自分たちでは解決策を何ら考えず、当事者を責め立てるだけが能なので勝手なことを言いますが、現実は彼らが考えるほど単純でもありません。

 空港に比べて鉄道の駅においては、テロ対策などが講じられている様子が感じられません。日本の空港は米国の空港を見慣れた者にとってはまったく何もしていないのかと思われるほど平和なムードですが、しかし、これは日本独特のソフトな警備が行われていることによるものでしょう。
 
 米国ではセキュリティ担当者が銃で武装し防弾チョッキに身を固めて荷物や航空券のチェックをしており、怪しげなそぶりがあれば遠慮はしないぞ、というオーラを振りまいていますが、日本ではそのような雰囲気は全く感じられません。
 
 しかし、専門家が見ると、日本の空港ではあちらこちらでかなり周到なセキュリティ確保の措置が取られていることがわかります。それを前面に出さず、ソフトな警備をしているセキュリティ関係者の苦労は大変なものと推察されます。
 
 一方、鉄道のセキュリティ対策はどのように行われているのかは分かりにくいようです。
 監視カメラによる確認が行われていることを期待したいとは思いますが、現在の画像認識技術では、すでに犯罪歴などがある人物を監視映像から発見することはできるようになりつつありますが、そのようなデータの無い人物が犯罪を犯そうとして挙動不審になっているのを識別する技術はまだ本当に実用化されているとは言いがたいようです。
 ロシアで開発された画像認識技術で、群衆の中に犯罪を企んでいる人物がいる場合、表情、眼の動きなどから不審者と判断できるものがあるそうですが、まだ普及はしていないようです。

 もっともJRも、防ぎようがないと手をこまねいているだけではなく、もう少しハードな警備を導入してもいいのではないかと考えています。利用客にしても、それで安全を確保してくれているのであれば、少々の物々しさなどは許容するはずです。
 また、改札口を必ず通らなければ乗車できないのですから、この改札口においてレントゲンチェックを行うことは可能かもしれません。全数確認ではなくともランダム抽出のチェックだけでも抑止効果はあるはずですし、嗅覚の鋭い特別に訓練された警備犬を配置すれば可燃物の搬入はかなりの確率で防ぐことができます。
 これも慣れの問題で、米国の空港で入国検査を受ける際にビーグル犬に足元をクンクンされた経験をお持ちの方も少なくないと思います。これは麻薬探知犬です。

それではJRの危機管理は大丈夫なのか?

 
 今回話題にしているJRの危機管理能力について、無差別殺傷事件をJRの危機管理能力の不足が原因とすることは当を得ていないと考えますが、しかし、現在のJRの危機管理能力がはたして評価できるレベルなのかどうかということになると別問題です。
 
 JRの危機管理能力については以前にも指摘したことがあります。
 つい最近も私が東京から帰宅のために乗っていたJRの電車が、二つほど先にある駅で起きた人身事故のために駅と駅の間で止まってしまいました。
 次の駅まで進んでくれれば、そこはターミナル駅なので別の路線に乗り換えることもできるのですが、その駅に先の電車が停止しているために入れないのだそうです。
 前の電車をホームの前方に移動させ、最後尾から乗り降りできるようにしておいて、次の電車を入線させれば、その電車に閉じ込められた乗客も乗り換えたりができるようになるはずなのですが、そのような着意はまったく見られません。
 そのうちにJRも気が付いたのか本来上り線が停車する側のホームに私が乗っていた電車を入線させたので、乗り換える人が下りることができるようになりました。
 
 しかし、これからがまた問題です。
 ホームに止まってドアが開いているため、ホームでの放送がよく聞こえるのですが、車内の放送とかぶるのです。どちらも情報が入る都度マイクを入れるのでほとんど同時なのです。
 そして一通り喋りおわるとまた最初から同じ内容の放送が入ります。これもホームと車内がかぶっています。
 結局何度も何度も放送が行われているのですが、声がかぶさって一体何を言っているのかほとんど聞き取れない状態が続きます。聞いている方としては頭が痛くなるだけで、何も分からない状態のままなのです。この程度のことが理解できないJRに危機管理を期待すること自体が誤りかもしれません。

危機管理はちょっとした気付きから始まる

 危機管理というのは何をする活動なのかなかなかイメージが掴みにくいのですが、実は、このような気配りができるということが非常に重要で、逆に言うと、その程度のことに気が付かない組織に危機管理はできないということなのです。
 
 私はクライシスマネジメントに必要な三本の柱を主張していますが、そのうちの一つにプロトコールを上げています。
 これは組織とそのステークホルダーの関係のすべてを指しているのですが、ここで重要なのが誰も気が付かないような細部にも気を遣い、あるべきものをあるべきように整えていくということです。一流の旅館の女将のおもてなしにかける執念のようなものが大切なのです。

 ホームと車内で同じ放送を同じタイミングで流したら車内にいる人にどのように聞こえるか全く理解しない駅員や車掌、それを教育している鉄道会社には危機管理はできません。
 それほど難しいことではないのです。どう聞こえているのかを考えてみるというだけのことなのです。それが実は危機管理の根本であり、そこをしっかりと抑えるマインドさえあれば、あとは雪だるま式に危機管理に関する感性が磨かれていくのですが、それがない組織はいつまでたっても、どれだけ努力しても無駄に終わるだけなのです。
 
 繰り返します。JRに危機管理を望むことはできません。
 
 車体のヒビを放置したのが、福知山線の事故で徹底的な禊をおこなったはずのJR西日本だったことが雄弁にこのことを物語っています。
 性懲りの無い組織なのです。