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専門コラム「指揮官の決断」 

No.094 西予ダムの被害は天災?人災?

ダムの人為的な放水により何故被害が起きたのか

 
 西日本豪雨は200人を超える死者行方不明者という大雨による被害としては信じ難いほどの被害を私たちの社会に与えました。
 中でも痛ましかったのは、愛媛県西予市において発生した上流のダムの放水により水かさが増えて濁流が堤防を越えて650戸を浸水させ、5人の住民の方が命を落とされたことです。

 私のところにもこれは人災ではないのかというご意見が寄せられています。

 私は河川管理の専門家ではありませんし、西予市の現場を見たこともなく、また報道によってしか何が起きたのかを知りませんので軽々にコメントすることは避けたいと思いますが、やはりこれを人災だったとする評論家もテレビに登場しています。ただ、評論家の方々と治水の専門家とではそのコメントが微妙に異なっているようです。

 一般にダムがつくられる目的は二つあると言われています。
 「治水」と「利水」です。

 「治水」とは川に流れる水量をコントロールして流域に被害が及ばないようにすることであり、「利水」とは下流域にある畑や田に水を送って作物の栽培に利用したりすることなどを指します。かつては発電にも用いられましたが、戦後、多くは火力発電に取って代わられ、原子力発電の登場によりその数は大幅に減少しましたが、二酸化炭素を発生させないクリーンなエネルギーとして見直されています。

 今回問題となった西予市のダムはこの「治水」を主目的として造られたダムだそうです。

 一般に治水目的のダムは大雨が予想されると、事前に貯水量を減らす作業を行います。雨が降り出す前に少しずつ放水して貯水量を減らしておき、上流での大雨に備えるのです。
 そして実際に雨が降り始めたら、上流での降水量や貯水量の増え方を見ながら放水を行い、下流域で一挙に水かさが増えないようにコントロールを行います。

 かつてダムの管理事務所を研修したことがありますが、これは相当に難しい作業なのだそうです。
 上流域での降水量は概ね検討はつきますが、山自体が持っている保水力はその時々に応じて刻々変わっていきますので、上流で降った雨のどのくらいの割合がダムに流れ込んでくるのかを的確に把握するのは大変なことなのだそうです。
 降水量から正確に予測することができず、それまでの経験等により判断せざるを得ないとのことなのですが、最近の豪雨災害を見ていると過去の経験が役に立たない場面が多いように思われます。

 さらに面倒なのは、貯水量が危険なレベルになる以前に放水量を増やすと、当然のことながらダムより下流において水かさが上昇します。この水かさが堤防を超えなければ問題ないかというとそうでもなく、とくに標高差のある川などは流速が速く、その本流に流れ込む支流の水が本流に入れず、逆に本流から支流に向けて流れ込む「バックウォーター」という現象を生じることがあるのだそうです。
 つまり、本流は無事であっても支流の堤防が決壊する恐れがあるのです。

 治水目的のダムは大雨が予想される場合には事前に貯水量を減らしておいて、豪雨時に水かさが一挙に増えることを防ぐ役割を果たすのですが、その貯水量の限界を超えるとそれ以上溜め込むことができないために放水を始めなければなりません。
 今回西予市で行われたのはその放水でした。

 放水が行われたのが早朝であり、退避が間に合わなかった方が亡くなってしまったのです。
 これは人災なのでしょうか?

 行われた放水の量は、降水量と同量だったそうです。
 つまりダムが無かったら当然に増えていた水かさだったということです。
 
 これが何を意味するかといえば、この治水目的のダムが時間を稼いでいたということです。
 このダムが無かったら、もっと早く、早朝ではなく深夜になる前に堤防を超える水かさになっていたかもしれないのです。

 逃げる時間はあったのです。

 しかも、十分に。

避難のための情報は十分だったのだろうか

 
 ダムの下流域にお住いの方や釣りをしたことがある方はよくご存じですが、ダムの下流にはあちらこちらに注意を喚起する看板が立てられています。景観を損なう環境破壊ではないかと思われるくらい看板を立てているダムもあります。

 さらにダムの下流域には防災無線が整備されています。

 今回はそれらがうまく機能しなかったということでしょう。

 私の地元にも自治体の防災無線が整備されています。
 毎日夕方の一定の時間になると、子供たちに帰宅を促す音楽が流されますが、あれは子供たちにもうすぐ夜になるから早くお帰りと言っているだけではなく、防災無線がしっかりと機能しているかどうか、毎日定時に点検をしているのです。

 この防災無線の問題は、広域をカバーするために聞こえにくい場所と時間帯があることです。
 
 豪雨で川を濁流が流れている時、ダムの放水を伝える防災無線網がどれほど機能したのかは疑ってみる必要があります。しかも、普通の方はまだ目を覚ましていない早朝です。

 今回の災害に関し、国交省は手続きに問題はなく、事前の通報もできる限りのことは行ったという見解を発表していますが、ここにも問題があります。

防災に関する情報を的確に周知することは困難

 
 防災などに関して、行政がいくら的確に情報を流そうが、どのように適切に措置をしようが、普段多くの住民は関心を持っていません。
 住民は普段、それらの溢れんばかりの情報に接しているにもかかわらず、それらを聞き流しています。
 そして何か起きると、行政の説明不足、不作為を責め立てるのです。
 実はこれは住民エゴでも住民の意識不足によるものではありません。
 それが自治体と住民との基本的な関係であることを行政は理解しなければなりません。
 
 そのうえで行政は防災対策を立てなければならないのです。

 制度を作り、公聴会を開き、周知徹底するためのパンフレットを市庁舎に何種類も準備しても、それで行政は説明責任を果たしたことにはならないのです。

 東日本大震災以降、住民の防災意識が高まっているなどと考える自治体があるとすれば見当違いも甚だしいと言わざるを得ません。喉元過ぎて熱さなどとうに忘れ去られていると認識すべきです。
 どのように広報に力を入れても、住民は危機管理の話など意識に留めることはありません。
 何故でしょうか。
 

正常性バイアス

 
 基本的には聞きたくない話だからです。できれば後回しにして欲しい話で、起きて欲しくない事柄なので、耳を無意識に塞いでいるのです。
 それは仕方のないことなのです。
 社会心理学ではこの傾向のことを正常性バイアスと呼んでいます。
 自分にとって都合の悪い情報は無視したり、過小評価してしまうのが人間なのです。
 誰も川が増水して自分の家が流されてしまう時のことなど考えたくはないのです。
 
 これが何かの還付金があるとか、節税になるとかの話であればまったく別なのですが、こと危機管理に関する限り、住民の基本的態度は「無関心」なのです。
 「無関心」というよりも「関心を持ちたくない」「そういう事態のことを想像したくない」ということなのでしょう。

 行政はその正常性バイアスを理解した上での説明責任を果たさなければなりません。
 関心を持っていない人たち、できればそんな話は聞きたくないと思っている人たちにも理解させなければ行政が説明責任を果たしたことにはなりません。

 よく医療訴訟において問題となるのもこの正常性バイアスが原因にあることが多々あるようです。
 手術前に手術に伴う危険性や後遺症のおそれなどを説明し、同意書に署名も求めているのに、術後患者の容体が急変して死亡したりすると大騒ぎになると知人の外科医もこぼしていましたが、患者が手術が失敗した時のことなど考えたくないので仕方のないことなのです。
 さらには術前の説明が医師の言葉で語られている場合が多いのではないかとも思われます。医療従事者にとって常識であっても、患者にとってはまったく初耳の事柄を医学専門用語で語られると理解が徹底されません。
 もともと聞きたくない失敗した場合の話であり、正常性バイアスが働いているにもかかわらず、理解できない言葉で語られ、署名しなければ手術をしてもらえないとなれば、患者は同意書に署名せざるを得ないのです。
 だからといって、この医師が説明責任を果たしたことにはならないのです。
  

専門家や行政の常識が世の中の常識だと思うこと自体が非常識かつ無責任

 
 昔の人は「馬の耳に念仏」ということを言いました。これは言い得て妙という表現ですが、行政にとっては重要な言葉です。
 行政は「馬」に念仏を理解させるくらいのつもりで取り組まなければならないということなのです。
 
 公的な立場にある者がこのような発言をしたら大変なことになることは百も承知です。「住民を馬並みに扱って馬鹿にした」云々 との非難の嵐になりますし、このコラムも炎上することになるかもしれません。
 それでもあえて申し上げますが、行政は住民のために馬に念仏を理解させるくらいの懇切丁寧な説明と指導をする覚悟を持たなければなりません。

 今回の災害で犠牲になった方々が馬並みの理解力だったということではありません。
 行政官の常識を押し付けてみてもそれで説明責任を果たしたことにはならないことを銘記しなければならないということなのです。

 人々は治水の専門家のようにダムの危険性を考えながら生活しているわけではありません。むしろそのような危険が現実になって欲しくないと思っているのです。
 しかも現実になって欲しくないという思いがいつも意識の上にあるのではありません。正常性バイアスによって意識下に隠されてしまっているのです。
 それは住民の危機意識が低いからではありません、住民エゴからでもありません。人間の本性がそうなのです。

 行政はそのような住民の人間としての本質的な性格を理解したうえでの施策を取らなければなりません。
 この度は、国交省も地元自治体も関係規則、通達、通知に基づき措置を行っており、手続きに問題はなかったとしていますが、それでは無責任なのです。
 規則どおりに手続したからといって免責されるようなものでは到底ないことを行政は銘記しなければなりません。
 緊急事態を周知徹底させ、さらには避難を拒むものですら引きずりだして避難させるくらいの覚悟が無ければ行政の責任は免れないのです。

 多くの住民は正常性バイアスにとらわれていることを片時も忘れてはなりません。