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専門コラム「指揮官の決断」 

No.129 技術経験の伝承

運航規程違反

 20年ほど前になりますが、青森県八戸の海上自衛隊の航空基地で勤務していたことがあります。私はその基地の補給部隊の指揮官でしたが、幹部候補生学校の同期生が飛行隊長として勤務しており、時折、二人で同期会を楽しんでいました。
 私はロジスティクスの担当者として部隊の状況を掌握しておきたいと思っていたので、時間のある時にはその基地に所在する様々な部隊を歩いて回っていました。滑走路で離発着する哨戒機の様子もよく見ていました。

 ある寒い冬の雪の日、滑走路の除雪状況を見に行ったことがあります。その年は例年よりも滑走路の凍結が多く、融氷剤の在庫が心配だったので除雪作業の際、どのように融氷剤が使われているのかを確認したかったのです。その除雪作業は監視に出ていた1機がトラブルのために急遽引き返してきたために行われていたものでした。機長は私の同期の飛行隊長でした。

 青森県にしては雪の少ない八戸ですが、当日は横殴りの降雪で、しかもかなり強い横風を受ける着陸でした。許可を得て管制塔で見ていたのですが、さすが飛行隊長の操縦は鮮やかで、相当な横風にかかわらずグラつきもせず一直線に入ってきました。

 もう日没近い時刻で薄暗く、横殴りの雪のために視界は極めて不良でした。しかし、着陸進入してくる彼の機はランディングライトが点いていません。タワーの管制官も気が付いているようなのですが、誰もその機に対してランディングライトが点いていないことを指摘しようとしないのです。私がそばにいた管制官に「ランディングライトが点いていないぞ。」と言うと彼女は「飛行隊長は雪の日には点けないんです。」とのこと。「規則違反だろうが。」と指摘すると、「いつもなんです。」とあきらめ顔でした。

 その日の夜、飛行隊で日報を書いていた彼を誘って街へ出て久しぶりに二人で同期会を始めました。そこで私は「何故ランディングライトを点けないで降りてきたんだ?」と尋ねました。彼は私が小型機の操縦資格を持っていることを知っていたので「雪の日に降りたことがあるか?」と逆に聞きます。「あるけど今日みたいな横殴りではなく、ほとんど無風の真昼間だったからな。」と答えると、ニッコリ笑って「それじゃ分からんだろうな。今度雪が降ったら場周飛行に乗せてやるから時間を都合しろ。」と言いました。

 冬の八戸には降雪中の滑走路への着陸に慣熟するため全国の航空部隊から訓練のために哨戒機が集まってきます。また八戸の航空隊にも沖縄から着任したばかりの若い搭乗員が何人かいました。それらが場周飛行をして雪の滑走路へのタッチアンドゴーを繰り返すのです。

 翌週、そのような日がありました。私は日没を挟んで行う場周飛行作業に同乗させてもらうことにして乗り込みました。離陸した時は明るかったのですが、何回かタッチアンドゴーを繰り返すうちに日没近くになり、雪もそれなりに強くなってきました。

 その飛行機の機長は私の同期生が隊長をしている飛行隊の先任幹部で、私が同乗している理由を飛行隊長から聞いていたのでしょう、私が見ている前でランディングライトを点けた着陸と点けない着陸の比較をやってくれました。
 
 唖然としたのは、ランディングライトを点けると滑走路が見えなくなることでした。点けていないと滑走路の灯火がはっきりとは言えませんが着陸に問題ない程度に見えるのですが、ランディングライトを点けるとその光が拡散して視界がぼやけてしまうのです。確かに運航規程には視界不良時にはランディングライトを点灯するように書かれていますが、かえって視界が悪くなることを彼らは知っていて、あえて運航規程を破っていたのです。

技術経験の軽視で本質を誤るおそれも

 降りてきた私を待ち受けていた同期の飛行隊長はさっそく私をいつもの居酒屋に連れ出して話を始めました。

 「昔、俺たちの修業時代は海軍のパイロットだった海自航空隊創成期の連中から直接海軍式の恐ろしく乱暴な訓練を受けた教官がゾロゾロいて、マニュアルなんか関係なくいろいろなノウハウをヘルメット越しに殴りつけられながら教わった。雪の日にランディングライトを点けるなというのもその一つだ。しかし、今は何でも規則遵守で、教えるのも航空隊の会議室で座学で教えるので教科書を使うしかない。操縦技術の肝になる部分を教えるのが難しいんだ。」

 私が「それなら運航規程を変えればいいんじゃないか?」と訊くと、「そこが難しい。雪の場合でも、周りの明るさ、風向きなどによっては点灯した方がいい場合もある。それは経験で見極めるしかない。」ということでした。

 これは大変難しい問題をはらむ発言です。

 雪の日に着陸に失敗して事故が起きたとします。機長がマニュアルに違反してランディングライトを点けていなかったとすると、それが事故原因とされてしまうおそれがあります。実は原因は別のところにあり、ランディングライトを点けないことで視界がかろうじて確保されていたにもかかわらず起きた事故だったとしても、原因がマニュアル違反とされる可能性があるのです。

 一方で、同じ雪の日の事故であってもランディングライトを点けていた場合、そのために視界不良が生じたとしてもそれは仕方のないことであり、そのような場合に着陸を強行した機長の責任が問われることになりかねません。

 つまり、事故の本当の原因が追究されずに終わるかもしれないということです。
 事故原因の調査にあたる調査官にも私の同期の飛行隊長のような経験が蓄積されていればいいのですが、マニュアルだけで育った世代が中核となると問題が起きてくることが予想されます。現に、海難審判の記録を読んでいると、いくらなんでもその責任を船長に追わせるのはいかがなものかと思われる審判があったり、一方で、マニュアルや規則に違反していないという理由で船長が簡単に免責されたりしていることがあり、違和感を持つことがあります。

技術経験を正しく伝承させよう

 職人芸の世界や技術の世界にはマニュアルでは伝えられない何かがあります。いまだにコンピュータよりも人間の方が圧倒的に優れている分野が数多くあるのはそのためでしょう。AIがこの問題をどのように解決するのか素人の私には分かりませんが、技術伝承の世界にはまだまだ徒弟教育が必要なものが多いように思われます。人が直接教えなければ伝わらない、マニュアルやシミュレータでは教えることのできない分野が現在まだ数知れないほど残されています。

 昔、気象の専門家に聞いたことがあるのですが、彼に言わせるとコンピュータが発達しても気象予報の仕事は人間の方が絶対に優れているとのことでした。その頃の観測網のグリッドサイズは50km程度したが、現在のスーパーコンピュータのグリッドサイズは実に1~2kmです。さらにはアルゴリズムも精緻なものとなりコンピュータによる予報の精度は極めて高くなりました。もういくら経験豊かな予報士でも1013ヘクトパスカルの地上天気図や500ヘクトパスカルの高層天気図ではコンピュータを上回る精度を出すことはできません。

 さまざまな分野で同様の進歩が図られていることは間違いないかとは思われますが、まだ人間の勘や経験が卓越する分野も無数にあります。

 事故防止などのためにコンピュータを利用するのは結構なことなのですが、しかし、だからといって技術経験を侮ってはならないということを銘記すべきです。AIはまだ万能ではありません。また、AIが人にとって代わることがすでにできている分野においても、AIが何故そのような判断をするのかを理解するためにも技術経験は伝承されるべきです。それができないとすべてAIの言うがままとなり、コンピュータの奴隷にされかねないという昔のSF映画まがいの事態が本当に生ずるかもしれません。 

 事故防止は危機管理の重要な要素ですので、今後もこの問題は研究していきたいと思っています。特にコンピュータ化の可能性と技術伝承の問題はしっかりと整理しておかなければ本質を見失うおそれがあると危惧しています。この問題にご興味のある方がいらっしゃれば、一緒に勉強させて頂きたいと思います。是非、ご連絡ください。