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専門コラム「指揮官の決断」 

No.133 携帯電話の電源をお切りください

危機管理はどう学ぶか

 当コラムは危機管理の専門コラムを目指しております。
 危機管理というのは定義も難しく、また、極めて日本的な事情ではありますがリスクマネジメントと同義語だと誤解されている方もたくさんいらっしゃいます。
 それも無理からぬ理由があります。
 危機管理が学校で教育されていないのが最大の理由であり、企業の危機管理部門の多くの担当者はその部署に配属になって初めて危機管理という概念と対峙するからです。その際に参考にするのが雑誌の記事などマスコミに登場する評論家たちの意見なのでしょうが、その評論家たちの多くがやはり危機管理の概念をしっかりと理解していないので、この誤解がどんどん拡散していってしまいます。(専門コラム「指揮官の決断」No.033「リスクマネジメント」VS「クライシスマネジメント」  https://aegis-cms.co.jp/590 をご覧ください。)

 いずれ当ウェブサイトでも危機管理を基礎的なところから学ぶことのできる教材を提供していこうかと考えておりますが、当コラムも世の中のいろいろな出来事や日常の何気ない事象を危機管理の観点から見るとどう捉えることができるかという論点でお伝えしています。従いまして、当コラムを注意深く読んで頂くことで、危機管理のリテラシーを向上させることができるものと自負いたしております。

身近な問題から考えましょう

 さて今回は標題のアナウンスについて考えます。

 先日、ある集会に参加しました。
 私も会員として末席に連なるある団体主催の講演と対談をメインとした集会でした。
 集会の開始時刻になる直前、司会の女性が管理事項についてアナウンスを始めました。アジェンダや休憩時間をいつ取るかなどを説明した後、彼女は「携帯電話の電源をお切りください。マナーモードでも隣の方などにはご迷惑になりますので、電源をお切りくださるようお願いいたします。」と述べたのです。
 
 私は「これはまずい。」と思って、まだ開始前で駆け込みで入ってくる参加者などでざわついているのをいいことに司会者のところへ近寄り、「電源を切れ、というのはまずいですよ。」と注意しました。
 
 たしかに携帯電話をマナーモードにしてもバイブレーションを止めておかない限り、小さな音がします。しかし、それは大勢が集まる集会で横の人に迷惑になるような大きさとも思えません。敬虔な祈りを捧げる教会のなかであればまだ考える余地はありますが、講演と対談をメインとした集会でそこまで気を遣うのはいかがかと思われました。

 何よりも問題なのは、Jアラートや地震予知のシグナルが入らなくなることです。会場は海岸線から2km以内の建物の地下です。大地震が生起し津波が想定される最大規模で襲ってきたら水没しかねないところです。

 そうでなくとも世間には緊急連絡を受けて対応しなければならない事情の方はたくさんいます。警察や消防の関係者などは言うまでもありませんが、医師や看護師、成年後見人に指定されている方、マスコミ関係者など常に緊急事態に対する電話での待ち受けを心がけなければならない人は多いのです。それらの方々に対する配慮をしなければならないはずです。

 私は彼女に「これだけの人数を地下に集めておいて、地震速報などが入ってこないというのはまずいから、電源を切れという指示はやめた方がいい。」と忠告したのです。
 すると彼女は「どうせ電源を切らない人もたくさんいますから。」と言うのです。

 これは看過できません。だったらそのアナウンスは何のために行ったのでしょうか。
 アナウンスに従って素直に電源を切った人がもしトレーダーだったとします。電源を切らなかったトレーダーは儲けたり損を回避したりできるのに、素直に電源を切ったトレーダーはチャンスを失ったり回避できた損失を被ってしまうのです。つまり、正直者がバカを見るということを是認してしまっていることになります。それはその集会を主催する団体のそもそもの理念と相反しています。

 「正直者がバカを見る社会を何とかしようというのがこの団体の思いではないのか?」と指摘すると彼女は渋々「今ご指摘がありましたので、携帯電話の電源は入れたままで結構ですが、講演中のご使用はご遠慮ください。」とアナウンスを改めたのですが納得した様子ではありませんでした。

 実は危機管理というのはこのような身近なところに出発点があります。他の人々への迷惑だけを考えて、大切な着眼点を見失うことが多々あるのですが、危機管理に関する感性を磨いておくとそのような場合に敏感に反応します。

 大切なことは、その場合、何が何でも危機管理上の問題を優先しなければならないというわけではないということです。

 ある目的を持った団体が集会を開く際、そこに参加する人々がトレーダーであるかないかなどを考慮することはそれなりの事情がない限り必要ありません。
 その会場においても、廊下の受付に携帯電話を持たせ、Jアラートや地震速報などに注意をさせ、対応の必要が生じた場合には司会者の指示に従って避難するようにしておき、その旨アナウンスすればいいのです。コンサート会場などではそのように対応すべきでしょうし、携帯電話の電波をシャットアウトしているコンサートホールも珍しくありません。
 
 かつて私が講師を何回か務めたある団体主催のセミナーでは、開始前のアナウンスで地震の際にはまず机の下に潜り込んで主催者からの指示を待ってくださいと伝えられ、続いて避難経路の案内があり、それも主催者側からご案内するのでそれに従ってくださいという指示が出されていました。大勢の人々を集める場合にはこの程度の配慮をしておくのが地震国日本における常識かと思います。

危機管理がすべてはない

 つまり、何が何でも危機管理上の配慮を優先しなければならないということではなく、比較衡量の問題であり、しかし、人の命にかかわる問題についてはそれなりの考慮をしておくということが大切でしょう。危機管理さえできれば他はどうなってもいいということではないのです。バランスが大切です。

 私はかつてコンサートホールなどに入る際、携帯電話の電波が届くかどうかを確認し、届かないようにしているホールではロビーのコインロッカーに携帯電話を入れておき、時々出てきて着信があったかどうかを確認するようにしていました。
 現在はそれほどの緊張感を持たなければならない仕事を持たないようにしていますので、ウォーキングに出るときに携帯電話を持って出るのを忘れたりする始末ですが、本当に即応を要求される仕事に就いている方々はそれくらいの覚悟が必要でしょう。

 携帯電話のマナー一つとっても、危機管理に関する様々な考え方を見直すことができます。つまり、危機管理というのは専門家でなければできないとてつもなく難しい問題ではなく、私たちの日常にあるいろいろなものを見る際の着意の問題にすぎません。

 私はこのコラムでリスクマネジメントとクライシスマネジメントについて何度かその違いをご説明してきましたが、専門家でなければできないのはリスクマネジメントであり、本来の危機管理:クライシスマネジメントは私たちが自ら考えるべきものなのです。