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専門コラム「指揮官の決断」

第5回 

全日空機ハイジャック事件

カテゴリ:危機管理

ハイジャックされた全日空機

「全日空機ハイジャック事件」と聞いた方の反応は二つに分かれるのではないでしょうか。
「日航機ハイジャック事件じゃないの?」 VS 「どれを指してるんだ?」

ごく一般の方の方は日航機ハイジャック事件を思い浮かべられるでしょう。日本航空は長く外国航路を独占していたため、政治的なハイジャック事件に巻き込まれることがありました。

最初の「よど号」事件の印象はあまりにも強烈です。また、いわゆる「ダッカ日航機ハイジャック事件」は、日本の安全保障や外交姿勢に対する基本的な問題を私たちにつきつけました。時の政権が「人命は地球より重い」として取った超法規的措置は、日本の外交姿勢を世界に良い意味でも悪い意味でも印象付けました。

一方、この手の事件に関心の深い方、もしくはかなりマニアックな方は「全日空のどの飛行機だ?」でしょう。全日空機は、国内線をメインに就航していたため、政治的なハイジャック事件には巻き込まれていませんが、マニアックな異常者によるハイジャックなどに実に10回も巻き込まれており、機上での死亡者も出しています。

今回のテーマは、1999年7月23日に発生した全日空61便のハイジャック事件です。

羽田発新千歳行のボーイング747型機が28歳の航空機マニアの男にハイジャックされた事件であり、ほとんど満席の乗客503名、乗員14名が乗ったジャンボ機で起きたハイジャックです。

羽田を離陸した直後、犯人が客室乗務員に包丁を突き付け、コックピットへ行くことを指示、コックピットに入った犯人は副操縦士をコックピットから退去させ、木更津上空から横須賀へ向かい、三浦半島上空を通過して相模湾上空へ出るよう指示をしました。その後、犯人は説得を試みる機長を包丁で刺し、自ら操縦するため操縦席に座り、米軍横田基地を目指して操縦を始めましたが、フライトシミュレーションゲームで操縦するようなわけにはいかず、迷走飛行となって墜落寸前まで急降下するような状態となりました。

ここで危険を感じた副操縦士と偶然非番で乗り合わせていた別の機長資格を持つ操縦士が乗客数名の協力を得てコックピットに突入し、包丁を持った犯人を拘束、副操縦士と非番の機長とで飛行機のコントロールを回復して羽田に戻ったのですが、刺された機長は機上で乗り合わせた医師により死亡が確認され、当該航空機も墜落寸前の八王子市南部上空では高度200mという超低空飛行をしていたことが後でわかりました。

注目すべきマニュアル違反

この事件でマスコミが注目したのは、空港の警備上の欠陥であり、凶器がやすやすと機内に持ち込まれたことですが、私が注目するのは、非番で乗り合わせた機長資格を持った操縦士の行動です。

この当時、世界中の航空会社のマニュアルでは、ハイジャックへの対応は犯人を刺激しないように、犯人の要求に従うのが基本でした。
交渉は警察や政府に任せて、航空機の運航はとりあえず犯人の要求に従うことにより最悪の事態は回避しようという考え方です。

しかし、この非番の機長の行動はマニュアルの規定に反しています。しかも、彼はジャンボ機の機長資格は持っていても、61便のクルーではありません。もし失敗すれば、何の権限もない者の無責任な規則違反の行動として厳しく非難されるでしょう。彼もそのことを全く考えなかったとは思えません。

しかし、彼はあえて暴挙とも思える行動に打って出て、コックピットのドアを蹴破り、犯人を羽交い絞めにして拘束し、操縦桿を奪い返し、飛行機の態勢を立て直したのでした。もしその判断が数秒でも遅れ、あるいは犯人の拘束に失敗でもしていたならば、61便は八王子市街に墜落して、乗客乗員だけではなく、付近住民を巻き込んだ大惨事を起こしたであろうことはほぼ間違いありません。離陸直後であったことを考えると、積んでいた燃料も相当量が残っており、爆発炎上という事態は避けられなかったはずです。

リスクマネジメントVSクライシスマネジメント

この当時のマニュアルはリスクマネジメントの規定です。

リスクマネジメントでは、リスクを想定し、評価し、その対応を準備します。
ハイジャックという事態が想定され、最善の解決法として、犯人を刺激せず、要求に従えば少なくとも最悪の事態は避けることができるという評価となり、ハイジャックされたならば犯人の言うとおりにすることが規定されたのです。

しかし、この時のハイジャックはマニュアルが想定したように操縦士を脅して要求を実現しようとするのではなく、操縦士を殺害して自分が操縦するという想定外の行動をとりました。しかもその犯人がシミュレーションゲームの経験しかなく実機の操縦ができないという、およそマニュアルが想定していない事態だったのです。マニュアルに従っていれば、墜落は免れないというこの事態は、リスクマネジメントの限界を露呈しています。

非番の機長の行動は、クライシスマネジメントそのものです。マニュアルに従っていれば最悪の事態を回避できないと看破するや否や、マニュアルの規定を無視し、しかも失敗すればとんでもない非難を受けることを覚悟の上で、自らの責任でコックピットに飛び込んだのです。

正解のない問題と対峙するマネジメント

この行動が正解だったのかどうかは不明です。結果が良かったからいいようなものの、失敗していればマニュアル違反の不祥事という評価がなされていたでしょう。彼の行動が、このような事態における対応の原則になると言うことはできません。これが危機管理の難しさです。危機管理上の事態においては、指揮官は正解のない問題を戦わなければならないのです。

想定外の事態に、自分の判断で毅然と対応することができる、これがクライシスマネジメントの神髄です。

この全日空機ハイジャック事件は、リスクマネジメントとクライシスマネジメントの相異を恐ろしくはっきりと映し出していると言うことができます。

(本コラムは2016年10月12日に掲載したものを、2018年3月14日に加筆修正したものです。)