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専門コラム「指揮官の決断」 

No.138 破線のマリス:真実を見極める眼

高視聴率を稼ぐテレビ編集者の仕事

 『破線のマリス』という小説を覚えておいでの方は多いかと思います。野沢尚さんが1997年に講談社から発表し、第43回江戸川乱歩賞を受賞した作品です。2000年には黒木瞳さん主演で映画化もされています。

 黒木さんの演ずるニュース番組の編集担当者が郵政省の内部告発のビデオテープを受け取ることから物語が展開します。

 この告発は市民運動の支援をしている弁護士の転落死事故が郵政省幹部の汚職疑惑の追及をかわすための計画的殺人だったことを告発するもので、番組編集者はこのビデオテープのある部分だけを抜き出して、ある郵政官僚がその犯人であるかのように印象付ける映像として放送します。

 この郵政官僚はその放送後、左遷され、妻子も実家に帰ってしまうなどその生活がまったく異なったものになってしまい、その結果、いろいろなストーリーが展開していきますが、それは当コラムの主題とは離れますので、詳しくは本を買ってお読みください。

 私が関心を持ったのは編集者がその郵政官僚を犯人であるかのように印象付けるためのやり方です。

 その郵政官僚は職場での同僚として警察での事情聴取に応じており、警察署から出てきたところの映像を映されていました。その中で彼は警察署の玄関を出てくるなりニンマリとしたのです。

 つまり、この映像を観た視聴者は彼が疑惑をうまくかわしたことで満足の笑みを浮かべたように思うのです。そのように思うような絶妙の編集がなされているのです。

 しかし、実際には彼は長い事情聴取の後にやっと解放され、ホッとして玄関から出て駐車場に向かおうとした時に、目の前に小さな女の子が人形を抱えてニコニコしているのを見かけ、自分の娘と同い年くらいの女の子を見て思わずニッコリしただけなのです。

 実際の告発のビデオテープには駐車場を出ていく彼の車と共にその女の子が駐車場にいるところも映されていたのですが、編集ではそれがカットされていたのです。

実はマスコミの常套手段

 このような情報操作はマスコミの得意とするところです。事実として彼は警察の玄関から出てくるなり微笑むのですが、その微笑み方の微妙なカットの仕方で追及をかわしてホッとしているように印象付けられます。つまり事実としてはそうであっても真実が伝わっていないのです。というよりも真実を伝えない編集がなされています。
 
 私はこれにそっくりな事例を身近で知っています。

 先に統合幕僚長を勇退した河野海将が海上幕僚監部防衛部長であったとき、護衛艦「あたご」が漁船と衝突するという事故が起きました。

 この件について彼は海幕の責任者として連日記者へのブリーフィングを行っていたのですが、あるブリーフィングの際、ブリーフィングを終了して記者の多くが退室し、彼も持ってきた資料などを取りまとめていたときに、まだ残っていたある新聞社の女性記者に声をかけられました。
 旧知の記者で、何かに関して声をかけられたので、思わず彼がニッコリした瞬間の映像が撮られ、それがニュースで流され、漁船の乗組員の安否がまだ分からない状況において不謹慎ではないのかという指摘がなされ、これがYoutubeなどにも流され、大きな問題となりました。この結果、彼は若干冷や飯食い扱いをされましたが、真相が明らかになり、また、彼の能力、人柄が評価された結果、海上幕僚となり、さらには統合幕僚長として前代未聞の長期間の任期を全うすることになりました。

 この時も、ほんの一瞬を切り取った印象操作の映像が用いられていました。

 石原慎太郎さんも都知事時代に同じような経験をされています。「●×△という前提で申し上げれば、・・・・ということだ。」という発言の前提を見事に切り取られ、結論の部分だけが彼の意見のように報道されたのです。

編集ではなく、でっち上げも

 実は私自身もある経験をしています。

 私の場合は、私の動作の一瞬を切り取られた映像を使われたのでも、発言の一部を切り取られたのでもなく、明確に発言したにもかかわらず、反対の発言をしたかのように書かれたのです。

 佐世保を母港とする海上部隊の司令部幕僚として勤務していた際、その部隊が海上自衛隊として初の取り組みとなる大掛かりな訓練を行った際、秘密にすることでもないので報道の取材を許可し、私が担当幕僚として報道陣の取材協力や事情説明などに当たっていました。

 その中である新聞社の記者がその訓練を行う地として選んだ島そのものではなく、その近くにある島に言及し、その近くにある島にある特別な施設との関係について質問したのです。

 その施設は海上自衛隊の施設ではなく防衛省が直接管理監督する施設であり、電波情報の収集を使命とした秘密のランクの高い施設であり、正直なところ私たちにも詳しいことは分からず、また、たまたま近いところにはあるものの、私たちが計画した訓練とは何の関係もなかったことから何の意識もしていなかったので、その質問に対しては、全く何の関係もないと明確に回答したのですが、実際に発行された新聞では、その島の施設の既成事実化を意図するものとみられると大きく書かれたのです。私の氏名、階級、役職入りの記事であり、あたかも私がそう匂わせたかのような記事でした。

 その訓練は検証作業の意味合いがあったため、第1回を行った結果得られた教訓を分析し、1か月後にもう一度同じ場所で行いました。

 第1回はプレスへの通知が急だったためあまり多くの報道各社は集まらなかったのですが、この訓練が大きな反響を呼んだため、二度めは多くの取材記者が集まりました。

 その中に当該新聞社の記者もいました。自衛隊には厳しい記事を掲載する新聞だったのですが、その記者は若く、私の周りにまとわりついて一生懸命に勉強しようとしていたので、第1回の時もあちらこちらを連れ回し、遅くまでいろいろな話を聞かせてやっていたのですが、その挙句が私の言っていることと正反対の記事となったので、2回目に記者が集まってきたとき、私は彼を名指しで皆の前で呼び出し、部隊が貸与した重厚な救命胴衣に身を包み、白いヘルメットをかぶった彼の胸倉を思い切りつかみ、「あの記事は何だ!」と怒鳴りあげました。

 周りの記者たちは呆気にとられていましたが、私が怒っている理由を皆が知っていました。一部、やはり自衛隊に批判的な新聞社の記者がカメラを構えようとしたのですが、私がその記者に向かって、「この場面をどうぞ撮影して記事に載せてくれ。何故俺が怒っているのか広く議論してやる。」と言い捨てると、残念なことにカメラを下ろしてしまいました。

 実は私は第1回の際に自分のブリーフィングを全て録音していました。その結果、その記事が出て海幕で問題となった際、海幕からの問い合わせに対してその録音テープを送ったところ、海幕から新聞社に対して抗議をするという結果となりました。

自分が正義だと思っているジャーナリストたち

 かつて安倍内閣の今村雅弘復興相が「東北でよかった。」と言って物議をかもして辞任しました。この発言は前後のどこをとっても東北を軽視する発言であり、大臣の資質を疑われても仕方ないのですが、実はこの大臣はその前にも記者会見でキレてしまい、「ここから出ていけ」と言い放って自らも退場してしまうという不適切発言で問題となったことがあります。

 しかし、この時はフリーのジャーナリストが執拗に自分の意見を主張し、それに同意しない大臣を煽っていき、大臣のイメージダウンを狙う確信犯であったというべきでしょう。

 私は記者にブリーフィングを行った経験を何度か持っていますが、質問されれば答えるのですが、その記者の個人的な見解や信条について発言されると答えに窮することがあります。まして、執拗に喰い下がられると他の記者への質問にも答えられなくなるので困るのです。

 しかもそのように執拗に喰い下がってくる記者やジャーナリストはある意図を持っていますので要注意なのです。それこそどこを切り取られても構わないような配慮をしなければなりません。

 実は皆様が普段読んでいる新聞やテレビの報道番組はそのようにしてできています。雑誌に至っては取材もせずに全くでっち上げの記事を載せることも珍しくないのですが、全て伝聞推定の形を取った文章としており、その取材源は明かせないとしているので責任を追及できないのです。

言論は暴力の一形態

 言論は憲法で大きな自由を保障されています。つまり言論の自由の陰に隠れれば何でもありなのですが、しかし一方でこれは暴力でもあります。印象操作や事実の歪曲、あるいはでっち上げにより人を平気で葬り去る暴力は、なまじ保護されているだけに始末が悪いものです。

 しかもその暴力を振るうジャーナリストたちがこの世に正義を行うためなどと大義名分を掲げるだけに余計に始末が悪いと言えます。

 しかし、たとえそうであっても言論の自由は守られなければなりません。これが私たちの最後の砦だからです。
 絶対に侵されてはならない自由ですが、しかし私たちは言論という暴力の本質をしっかりと見極めなければなりません。

 新聞やテレビのニュースが常に真実を伝えているなどと誤解してはならないのです。

 ジャーナリズム、マスコミなどは所詮そのようなものだという認識で見ていかないと世の中を誤って見てしまいます。
 
 本物と偽物を見分ける眼は宝石やブランド品だけでなく、報道についても同様に必要です。