専門コラム「指揮官の決断」
第148回尖閣諸島を実効支配? マジか?
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『サンデーモーニング』の一こま
日曜日の朝、あまり地上波のテレビを観ない私が時々観ている番組があります。
TBS系列で放送されている「サンデーモーニング」という番組で、政治や社会問題を主に扱い、様々な識者をコメンテーターとして招いています。
私はこの手の番組の評論家のコメントのいい加減さが嫌いですし、基本的に政治問題などに関わりたくないので評論や討論の番組はあまり観ないのですが、この「サンデーモーニング」には藪中元外務次官や辺真一コリア・レポート編集長などが出演することがあり、私の知らない世界についてのコメントが聴けるのと、スポーツ番組に全く関心のない私でも張本勲氏の明快な解説は面白いので、例外的に観ることがあります。
日曜日の朝食後、珈琲カップを片手に仕事を始める前のひと時(そうです。貧乏暇なしなので日曜日もしっかりと働いているのです。)、その日のテーマを見極めてから観ることがあります。
今週の日曜日(2019年7月28日)の番組では、竹島の領空に侵入したロシア軍機に対して韓国空軍が警告射撃を行った事件を取り上げていました。
話題はその事案から展開して、竹島、北方領土、尖閣諸島などの領土問題の話題になっていきました。
そこで私が耳を疑ったのは、コメンテーターとして出演していた寺島実郎氏の発言でした。寺島氏は三井物産戦略研究所会長を勤められ、その後日本総合研究所会長の職にありますが、幅広い評論活動を通じて言論界に大きな影響力を持っています。
その寺島氏が日本が「尖閣諸島を実効支配している」と述べたのです。
寺島氏の評論活動はなかなか奥深く、いつも興味深く聴いているのですが、この「実効支配」発言には驚く、というよりも呆れました。
寺島氏は「竹島は韓国が実効支配し、北方領土はロシアが実効支配し」、そして「尖閣は日本が実効支配している」と述べたのですが、寺島氏がこの程度の国際法の認識であったのかと愕然とした次第です。
国際法のイロハも知らないのか?
国際法上の「実効支配」とは、支配権を主張する領域に軍隊を駐留させる、あるいは住民を居住させるなどの行為により、現実に支配していることを表明することであり、外国政府による承認が伴っていない場合に使用される言葉です。つまり、合法的に支配しているのではなく、実態的に支配している状態を指しています。
日本側からみれば竹島を韓国が実効支配し、北方領土をロシアが実効支配しているという表現は正しいのですが、尖閣は我が国が実効支配しているわけではありません。しっかりとした法的根拠に基づいて領有しています。
サンフランシスコ講和条約において日本が放棄した領土に含まれずに米国の施政下におかれ、1972年の沖縄返還協定により施政権が返還されたものであり、国際法上も日本の領土であることが確認されています。
これを中国にとっては日本が実効支配していると言わざるを得ないことは分かりますが、寺島氏が「尖閣は日本が実効支配している」と発言するのは中国政府の見解を代弁していることになります。寺島氏が中国の利益を代表しているのかどうか真意は分かりませんが、これは要注意です。
影響力の大きな評論家であるだけに、この程度の国際法上の知識もなくコメントをされると、テレビを観ていた方々に誤った情報を与えることになってしまいます。
本来の意味を理解しない評論家たち
このような言葉が正しく使われない過ちを看過すると、恐ろしいことにその言葉の本来の意味が失われることがあります。
私はかつてこのコラムで「忖度」という言葉と「独断専行」という言葉を取り上げたことがあります。
「忖度」と言う言葉は、徳島県に獣医学部を持つ大学の開校を認めるかどうかという議論が問題となった際に話題になりました。
その後、国交省副大臣であった塚田一郎氏が北九州市と下関市を結ぶ下関北九州道路の整備について首相と麻生氏の地元だと言及したうえで「国直轄の調査に引き上げた。私が忖度した」と発言して辞任に追い込まれました。
この場合は副大臣と言うポストを与えてくれた政権への忖度なのでほめられたものではないのかもしれませんが、「忖度」そのものは悪いことではありません。
相手の心中を推し量ることです
むしろ官僚が政権を忖度しなければとんでもない国政となります。官僚が「政権がどう考えているか知らないけど俺たちには俺たちの優先順位がある。」などと言って勝手なことを始めたら大変です。
政治が行政の一から十までを見て指導できるわけではないので、基本的な方針のみ示して行政の専門家に任せなければならないことは致し方のないことであり、政治家は官僚に忖度をさせなければなりません。
したがって政治家は人格が高潔で私利私欲があってはならないのです。
政治家の私欲にまみれた心中が忖度されるということは考えたくもない事態です。
もう一つの「独断専行」ですが、これもあたかもやってはならないような印象をもって受け取られています。
例えば、戦国時代の研究者として第一人者の静岡大学の小和田哲男教授が「戦国武将はややもすると独断専行で、自分のお気に入りだけをまわりに置く寵臣政治になりがちだ。」と述べておられたのを覚えていますが、小和田氏も独断専行の意味を誤解されています。
トップに「独断専行」はありません。
独断専行とは周りの意見を聞かずに自分で勝手にすべてを決めてしまうことを指す言葉ではないからです。
学者ですら理解していない場合がある
ビジネスマン必読の書と言われる『失敗の本質』の著者である野中幾次郎氏は「独断専行とは本来、事態が急変する戦場で、上官の命令や指示を待っていたのでは対応がおくれてしまうので、現場で自主的に判断して行動する、という意味であった。第一次大戦では、従来よりも戦闘単位が小さくなり、下士官が指揮する分隊を単位として戦闘する傾向が強まった。したがって、日本陸軍でも下士官や兵士の自主的判断に基づく対応を奨励したのである。ところが、やがてこの独断専行は、上官あるいは上級司令部の命令や指示を無視して、あるいはそれに反して行動することを指すようになった。」と述べておられますが、これも過ちです。
野中氏の頭の中にあるのは先の大戦における関東軍が陸軍省や参謀本部の意向に反して勝手な作戦を実施したことでしょうが、これは「関東軍の独断専行」ではなく、単なる暴走です。(実は満州事変を指導した石原莞爾の本当の想いは極めて壮大で、単に満州に日本の権益を求めるようなちっぽけなものではなかったのですが、財界も政界もその想いを汲まなかったことが後の悲劇を生みました。)
つまり野中氏が指摘しているように上官の指示を無視して行動することを指すようになったわけではありません。野中氏らがそのような文脈で使っているだけであり、自分がそのような意味で使うからといって言葉の意味が変わったと主張するのは学者にあるまじき行為です。
独断専行とは上級指揮官から与えられた命令が、状況の変化に対応しておらず、そのまま遂行することが本来の上級指揮官の意図に反する場合、上級指揮官に報告して新たな命令を受領する時間的余裕がないときにその命令から離れて独自の判断により行動することであり、上級指揮官の意図を無視して勝手な行動をとることではありません。
独断専行で行動をするためには次のような厳しい条件があります。
- 常日頃、トップとの間に良好なコミュニケーションが取れていること
- トップが現場の状況の変化について情報を得ておらず、あらかじめ出されていたトップの指示が現状に合っていないことが明白なこと
- 自分の利益を図るためでないこと
- 事後、可及的速やかに報告をすること
- 全責任を自ら負うこと
このような条件がそろっているときには現場指揮官は独断専行の措置を取らねばなりません。自分が与えられた命令が現実にそぐわないものであることを認識しつつ、しかし独自の判断で最善と確信する措置を取らなかった場合、上級指揮官の命令を如何に遵守しても免責されません。現場指揮官にはそのような責任があるからです。
つまり、場合によっては独断専行は行わなければならないものなのです。
独断専行のいい例が東日本大震災における福島原発の吉田所長の行動です。
東電本社の指示に従わず、現場指揮官として最善と信ずる措置を取ることにより、吉田所長は日本を最悪の災害から救いました。
もし吉田所長の独断専行がなく、彼が本店(東電は本店という言い方をするようです。)の指示のままに動いていたらどうだったかを考えるとゾッとします。
あたかもそれが周りの意見を聞かず、トップの指示に従わず恣意的な行為を行うことのように「独断専行」という言葉を使うのは本来の意味を歪曲してしまう過ちです。これを看過すると吉田所長のように自分の責任で最善を尽くす覚悟をもった指揮官が生まれなくなってしまうことを恐れています。
疑ってかかることも必要
著名な学者や評論家が言葉の意味を正しく理解せずに使うために、言葉の本来の意味が歪曲されるということは危機管理の面からも恐るべきことです。
例えば「独断専行」や「忖度」をやってはならないことだという認識が広まってしまうと、組織は様々な事象に柔軟に対応できなくなります。
さらには、言葉が誤った使い方をされた結果としてその意味が変遷してしまうと、本来の意味でその言葉が使われた場合、その意図が正確に伝わらなくなってしまいます。
これは看過できない事態です。
テレビをはじめとするマスコミによく登場する人物だからとか、話題になった本の著者だからとしてその意見を鵜呑みにするのではなく、本当はどうなんだろうと一歩下がって自分で考えてみるという習慣が大切なのではないでしょうか。