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専門コラム「指揮官の決断」

第147回 

圧迫諮問

カテゴリ:コラム

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人事制度は難しい課題

さて、今回のコラムタイトル『圧迫諮問』が何を意味するかお分かりの方がどれだけいらっしゃるでしょうか。

この意味は後ほどご説明いたします

最近の企業の新卒社員の採用方法は私が学生時代とはかなり異なっていて、なんど聞いてもそんなことで何が評価できるのだろうと首をかしげるような方法がとられているようですが、私などには分からない人事担当者のノウハウが隠されているのでしょう。

人事制度というものは組織にとっては最も重要な課題であり、しかし最も困難な課題でもあります。

ビジネスマン必読の書といわれる『失敗の本質』で帝国海軍の人事制度が硬直化しており、それが帝国海軍の失敗の本質であると看破されたのは私の専門とする組織論の大御所である野中幾次郎先生及びその共著者の方々です。

作戦の最高指揮官がその隷下部隊指揮官を抜擢により選ぶことができた米海軍に比べて、兵学校の卒業年次とハンモックナンバー(卒業成績により付与される順位)による硬直化した人事しかできなかった日本海軍はそもそも戦う前に負けていたということです。

第2次大戦の太平洋戦域における有名な戦いであるミッドウェイ海戦においてそれが顕著に表れているというご指摘は歴史家の半藤一利氏も随所でしておられます。

それぞれの方が同じく作戦を指揮する指揮官が抜擢により適材適所の人事を行うことのできた米軍の抜擢制度を日本海軍の硬直化した人事制度と比較して優れたものであると絶賛されています。

しかし、私はこの見解には全く同意できません。

確かにミッドウェイ海戦における米海軍の指揮官は素晴らしい軍人たちでした。それを可能としたのは米軍の人事制度です。

一方の日本海軍機動部隊指揮官の南雲忠一中将は水雷を専門としており、航空機の将来性について先見の明があったかというとそうではなかったことは事実です。しかし、当時それを見抜いていたのは山本五十六をはじめとするごく少数者でしたし、その事情は米海軍も同じでした。南雲中将が特に愚将であったということではありません。

戦場には運が付きまといます。理屈を超えた世界です。

ミッドウェイ海戦においては米海軍は徹底的に幸運に恵まれました。もちろんただ運が良かったのではなく、各級指揮官の類稀なるガッツがあってその運を引き寄せ、また、そのわずかな機会を逃さずに生かしたのですが、一方の日本海軍は天に見放されたごとく徹底的に不運でした。運はまったく日本海軍に味方しなかったのです。

戦場にはそのような理屈では語れない不思議な力が作用することが珍しくありません。それを後知恵であたかも論理必然であるかの如く説明されても教訓は得られません。

ミッドウェイ作戦から得られる教訓があるとすれば、作戦計画策定において作戦失敗によって兵力を失った場合の結果を許容できるのかどうかを考慮しなければならないということです。

現場は必勝の信念でいいのですが、指揮官と幕僚は失敗した場合の次の手を少なくとも2手先まで読んでおくことが必要だということです。

後世にまで問題となっている「敵空母発見」の報告に対して、陸上用爆弾を搭載したままの攻撃機を護衛戦闘機なしに発進させるのが正しいのか、正攻法で艦艇攻撃用の魚雷に換装し、護衛戦闘機もしっかり給油して同伴させるのが正しいのか、それは正解のない問いであって、日本海軍の人事制度のおかげでその場で正しい判断ができなかったわけではありません。

米軍の抜擢を可能とする人事制度は素晴らしい面だけはありません。恐ろしいマイナスの面も持ち合わせます。その証拠にそのような人事制度をもって適材適所の人事を自由に行うことのできた米軍がベトナム戦争で極めて無様な戦いを展開しています。

様々な原因や社会的背景があることは間違いありませんが、ベトナム戦争の戦記を読むとよく出てくるのが上院議員の圧力で中隊長や連隊長の地位に就いた士官の無能ぶりです。

抜擢が可能という制度は必ずしも適材適所の人事だけが行われるということではありません。軍の人事当局が丹念に一人一人の士官の経歴管理をしながら行っている人事を現場指揮官が独断でひっくり返すことができる制度というのは情実や圧力による歪みを生じさせる危険性が極めて高いのです。

かつて私はこの日米の人事制度に触れて、「ブラウンノーズ」という単語をご紹介したことがあります。

この言い回しがよく米軍を舞台にした小説に出てくるところを見ると、上司に取り入って栄達をはかる士官が米軍にも多いのでしょう。私も自分の耳で米海軍の士官が自分たちの上官を評して「あいつはブラウンノーズだ」と言い切ったのを聞いたことがあります。

私はかつてペンシルバニアの海軍基地に2年間駐在し、米海軍のコミュニティの中で暮らしたことがあります。

米軍社会で暮らしてみればすぐに分かりますが、各士官の奥様方はオフィサーズワイブスクラブの活動に熱心に参加します。ワイブスクラブのリーダーはその基地の司令官夫人であり、その評価がご主人の評価に与える影響が小さくないからです。

また、米軍士官にとって上院議員に知人がいることはとても重要なことです。現在はどうか知りませんが、私が大学生の頃、アメリカの陸軍士官学校を受験するにはその州選出の上院議員の推薦がなければなりませんでした。

野中氏も半藤氏もこれらの事情をご存じないのでしょう。お二人に「ブラウンノーズ」という言葉をご存じかどうか機会があったら伺いたいと思っています。

人事制度はその社会の伝統などを無視することはできません。儒教の影響を色濃く受けている日本の社会で年長者を敬えと小さい頃から教えられてきた人々が、厳しい階級社会である軍隊でいきなり抜擢人事が行われて先輩が部下になったりしてもうまく機能するのかどうか極めて疑問です。

儒教の影響がかなり薄れている現在でも能力主義評価の結果年上の部下を持たされてメンタルダウンする中間管理職は数多くいます。

野中氏も半藤氏もそのような社会学的考察を欠いています。

硬直化した思考VS柔軟な思考

さて、今回のテーマである「圧迫諮問」ですが、これも人事制度に深く関わっています。

松本利秋さんというジャーナリストが『なぜ日本は同じ過ちを繰り返すのか  太平洋戦争に学ぶ失敗の本質』という本を出版されています。(『なぜ日本はおなじ過ちを繰り返すのか 太平洋戦争に学ぶ失敗の本質』松本利秋著 SB新書2016年)

この本は太平洋戦争における日本の陸・海軍の基本的な体質がいかに古く硬直化して現実の戦争を戦えるようなものではなかったのかを暴き出そうとしたものです。

その中に「想定外にまったく対応できない“硬直した思考”」という見出しで面白い指摘をされています。ちょっと長くなりますが引用します。

「このエピソードに象徴されるように、特攻をさせるまでに精神的に圧迫するのは上層部が無能だからである。つまり、圧迫管理しかできないのだ。(中略)これは現在でも就職試験での圧迫面接という形で続いているのだ。会社を訪問して面接を受けると、圧迫して何を言うのかを聞く。おだて持ち上げて、学生らしい斬新なアイデアを出させる面接が少ないのが現状である。圧迫管理は現在も企業に残る日本的組織の基本形であるとも言える。

この硬直化した考え方の組織運営であれば、「想定外」の事態にはほぼ対処不能となる。」

似たような指摘は野中氏や半藤氏もされています。旧軍の参謀教育にこの圧迫面接という手法が使われていたことに対する批判です。これが思考を硬直させ、柔軟な対応を妨げたということだそうです。

本来の柔軟な思考とは

この圧迫面接(海上自衛隊では圧迫諮問と呼びます。これが今回のテーマです。)は海上自衛隊でも行われます。

海上自衛隊には数多くの学校があります。幹部候補生学校は幹部になるための資質を身につけさせるための教育を行い、第1から第4まである術科学校では射撃、通信、機関など様々な専門的・技術的な教育が行われます。料理学校もあります(だから海上自衛隊の食事は陸・空に比べて格段に美味しいですよ。メシとエサの差があります。)。また、イージスシステムをはじめとする高度なシステム教育を行い、そのオペレータや開発要員を養成する専門部隊もあります。

その中でちょっと異色なのが目黒にある幹部学校です。

これは海上自衛隊の最高学府であり旧海軍の海軍大学校に相当します。将来の上級司令部の幕僚や部隊指揮官となる人材を育てるための学校であり、指揮幕僚課程という1尉から3佐(大尉から少佐)で入学する課程と、2佐または1佐(中佐または大佐)で入学する高級課程があります。指揮幕僚課程には選抜試験があり、高級課程学生は指揮幕僚課程出身者の中から選ばれます。

指揮幕僚課程の選抜試験には、軍事に関する一般素養や射撃、機関、通信などの各種専門術科に関する素養についての筆記試験、英語、論文などがあります。

そしてそれらの1次試験をクリアした受験者を待っているのが口述試験であり、それが幹部学校名物の圧迫諮問と呼ばれる形式で行われます。

さて、どのような試験なのでしょうか。

2佐または1佐の面接官3名と立会いの将官が1名控えている部屋に受験者が一人で放り込まれます。面接官は苦虫を噛み潰したような顔をしています。(アカデミー賞ものの演技です。)

将官は受験者から離れて横から見る位置に黙って座っています。

まだ若い1尉(海軍大尉)の受験者にとってはその環境そのものが地獄です。

試験が始まるとある想定を与えられます。

通常は「貴官は護衛艦○×艦長である。」と言われ、様々な社会政治情勢が与えられるとともに、その情勢下、ある任務のために出動を命ぜられます。そして行く手に様々な事象が起きてその都度判断を問われるのです。

現場での判断を難しくするために、情勢はホットな戦争状態ではなく、国際関係の緊張が極度に高まっているが、まだ戦争にはなっていない事態の想定が与えられます。つまり、判断を一つ誤ると戦争になってしまう事態を惹起しかねないという状況が付与されるのです。

例えば、某海峡の警備を命ぜられて現場海面に進出中に、対立している相手国の遭難漁船からの救助要請の信号を受信し、どう対応するのかを問われます。

救助に行きますと答えると、与えられた任務を放棄するのかと責められ、任務を優先しますというと、お前の船が最も近くで早くいかないと漁船員の生命が危ういときに見捨てるというのは海員の常務に反し、法律違反となるのではないか、相手国を刺激するのではないかなどと反論されます。(遭難を知ったら駆けつけるのが船員の常務であり、法律的には「船員法」により、他船の遭難を知った船舶は自船に差し迫った危険がない限り救助に向かわねばなりません。)

このようなやり取りが延々と続きます。

つまりどのように答えても必ず反論されて追い込まれてしまいます。

これが幹部学校名物の圧迫諮問で、これを切り抜けないと幹部学校指揮幕僚課程には入校できません。エリートコースから外れるのです。

しかし、先に長々と引用させていただいた松本氏には意外かもしれませんが、この圧迫諮問によって海上自衛隊が何を見ているのかといえば、それはその受験者の思考の柔軟性なのです。

硬直化した発想しかできなければ想定外の事態に対応できるはずがないという松本氏のご指摘はまことにもっともなのですが、松本氏はジャーナリストであって軍人ではないのでお分かりになっていないことがあります。想定外の事態への対応というものがどういうものなのかご存じないようです。

想定外の事態に対応しなければならない状況というのは、松本氏が仰るような「おだて持ち上げて、学生らしい斬新なアイデアを出させる面接」のような状況ではありません。

自由闊達な議論ができ、いろいろな思いを巡らせることができるような状況ではなく、凄まじいプレッシャーの中で次から次へと変化していく事態に必死になって対応しなければならない事態なのです。

海上自衛隊が指揮幕僚課程への受験者に対して圧迫諮問を課すのは、受験者に徹底的に圧迫を加えて時間的精神的に追い込み、しかしその中でどれだけ生起している事態の本質を冷静に見極めて対応し、かつ、与えられた任務完遂という目標との狭間でいかに柔軟に対処するのかを見ているのです。

想定外への事態への対応ができるということはそういうことです。そのような対応をトップとして経験することのないジャーナリストには理解できないのは無理もありません。学者である野中氏や編集者・作家である半藤氏も同様です。

圧迫諮問で思考を硬直させてしまってはその人の本来の能力を見極めることができないというのは一見そのように聞こえますし、もっと活発にいろいろな意見を言えるような雰囲気を醸成して、その能力を精一杯引き出してやるべきだという意見ももっともに聞こえます。

しかし、そのような環境でしか発揮できない柔軟性は想定外の事態に際しては思考停止・判断停止の状況を惹起します。圧迫のない環境においてのみ発揮できる柔軟性はいざという時に一挙に硬直化してしまうのです。本当の柔軟性ではないからです。

一方、徹底的に圧迫を加えられた状況においても発揮される柔軟性は、想定外の事態にも柔軟に対応していくことができます。

つまり、切羽詰まった状況において発揮しうる柔軟性が本当の柔軟性であって、圧迫諮問はその柔軟性を持っているのかどうかを見極める手段なのです。松本氏のご指摘はまったく的外れです。

海上自衛隊では「アングルバーよりフレキシブルワイヤーたれ」とよく言われます。

船や自動車あるいは建築に用いられる固い角鉄・山形鋼はちょっとの力ではびくともしませんが、ある一定以上の力が加わると折れてしまいます。一方のワイヤーは折れませんし、切るのも大変でしぶとい性格を持っています。このしぶとさはワイヤーの持つ本来の柔軟性から来ています。

私たち指揮幕僚課程卒業生にとっては自明のことも、そのような実務に就いたことのないジャーナリスト、評論家、学者にとっては理解できないものらしいですね。