専門コラム「指揮官の決断」
第213回リスクマネジメントの誕生と危機管理
リスクマネジメントの誕生
1915年、歴史に残る書物が出版されました。『企業リスク論』(Die Unternehmungsrisiken)という書物です。著者はライトナーという人物で、企業の資産を保険などの金融商品を活かして如何に守るかという議論をHow to ではなく、学問的に論じた最初の書物と言われています。
これがリスクマネジメント論の誕生であるというのが定説のようです。この書物は出版後まもなくドイツを襲った第1次大戦後のハイパーインフレーションにおいて脚光を浴びました。
その後1929年10月24日、米国においてゼネラル・モーターズの株価がたった80セント下落したことをきっかけに大恐慌が起こりました。
そして世界はリスクマネジメントの必要性に目覚めました。保険をはじめとする金融商品をいかに活用して企業の資産を守るのかが真剣に議論されたのです。
危険性を評価することから始まるマネジメント
当コラムはリスクマネジメントを専門としているわけではないので詳しい議論はそれらの専門家に譲ることとしますが、リスクマネジメントの重要でかつ最も困難な点は、リスクを適切に評価するということです。
企業がいろいろな事業を始めようとするとき、そこには必ずリスクが存在します。資金や時間や人材など企業にとって重要な資源を投入するので、そのリスクを適切に評価しなければなりません。
そして、評価したリスクを取るか取らないのかを判断することが要求されます。ノーリスクはノーリターンですが、ハイリスクはハイリターンをもたらします。
ハイリターンを得ようとするとハイリスクを覚悟しなければなりません。これをいい加減にやるのは投資ではなく投機です。
慎重な検討の結果、リターンを求めてリスクを取ることを決断すると、今度はそのリスクが現実に牙をむいた場合にどう対応するのかを検討しなければなりません。
それがリスクマネジメントであり、それは高度に専門化された検討を必要とします。
あらゆるリスクを検討しなければならないのです。したがって、リスクマネジメントには様々な専門家がそれぞれの知見を持ち寄らなければなりません。
そして評価されたリスクが現実になった場合の対応も、様々に専門的な検討を必要とします。
法的な問題が生ずるのであれば法律の専門家が対応を検討する必要があります。それがリーガルリスクマネジメントです。
経済的な問題が生ずるのであれば金融の専門家が対応を検討する必要があるでしょう。それがファイナンシャルリスクマネジメントです。
このようにリスクマネジメントは高度に専門化された検討を必要とするため、専門の部門を立ち上げる必要があるでしょう。
自動車を購入する際、任意保険に入りますが、これは運転中の事故というリスクをファイナンスでカバーしようとするリスクマネジメントです。損害賠償の相場と保険の掛け金の大きさというものは事故の確率やその保険を維持するための経費などの慎重な判断が必要なので専門家でなければ計算できないため、保険会社にはその専門家がいますし、加入する側では代理店が顧客の利益のためにもっとも有利になるような保険の加入方法についてのアドバイスをします。
これが典型的なリスクマネジメントです。
保険に入ったとしても自動車事故を防ぐことはできませんが、事故に伴う大きなダメージをファイナンスでかなりカバーできますので、加入は絶対に必要でしょう。
企業がリスクマネジメントをしっかりとやっておくと、いろいろなリスクを伴う事業進出を自信を持って計画することができるようになります。競合が怖れて入ってこない分野を独占できるのです。
重要性が理解されていないリスクマネジメント
つまり、企業にとってリスクマネジメントは営業努力と同様に重要なものなのです。
ところが、世の中の多くの企業はリスクマネジメントの本来の価値や重要性を認識せず、コンサルタントに頼んでBCPを作ってもらい、出来上がったBCPをカギをかけた金庫に入れてお終いにしてしまいます。BCPを持っていないと銀行から融資を得られないからです。
本来、企業は自らのBCPを絶えず検討し、自分たちはどこまでのリスクを取ることができるのかを常に見極めつつ事業を展開していく必要があるのです。しかし、世の経営者の多くはBCPを保険に入るのと同様にしか見ていないので、作る時にはコンサルタントと話をしますが、その後は見向きもしません。入ってしまった保険の契約書を毎日見直す人がいないのと同じです。
リスクマネジメントVSクライシスマネジメント
ここまで読み進んで来られた方々はお気づきになったことと拝察いたします。
クライシスマネジメントとリスクマネジメントは生まれも育ちも全く異なることがご理解いただけたかと存じます。
いつどこで私たちに襲い掛かってくるのか分からない具体的な害悪に備えようとするのがクライシスマネジメントでした。
一方のリスクマネジメントは、どのような害悪が及ぼされるのかを的確に評価し、その害悪を最小限に、出来ればゼロに抑え込もうとするマネジメントでした。
つまり、危機に備えるのがクライシスマネジメントであり、危険性に備えるのがリスクマネジメントです。
辞書を調べて頂ければ一目瞭然なのですが、”risk“に「危機」という意味はありません。「危険性」と「危機」は明らかに別物だからです。
危機と危険は同じく「危うい」のですが、根本的な性格が全く違います。
危険はある程度覚悟しなければならないことがあります。繰り返しますが、ノーリスクはノーリターンなのです。つまり、リスクを取るか取らないかの判断が先にあります。
一方の危機は取るとか取らないとかの判断はありません。危機のおそれを何かと引き換えにテイクするという判断はありません。
危機の芽は片っ端から摘んでおかなければなりません。芽の小さいうちに、できれば発芽しないうちに摘み取っておく必要があります。
そしてそれが出来ずに危機に見舞われてしまったら、速やかにダメージを局限し回復を図っていく必要があります。
危機管理論が国際関係論の範疇に留まっていた頃、議論はいかに最悪の事態(核戦争)を避けるかというのが論点でした。
それが社会科学全般の問題に拡大してきた現在、その関心は単に害悪を避けるだけではなく、危機的な状況を環境の変化ととらえ、その変化の中にチャンスを見出すべきという議論に変わりつつあります。私がこのコラムを通じてずっと訴え続けてきている危機管理論というのはそのような範疇に属する議論です。
一方のリスクマネジメントは、競合が怖れて入っていけないような状況に果敢にチャレンジすることを可能とするマネジメントです。
あらゆる成長を目指す組織にとってクライシスマネジメントとリスクマネジメントのどちらが重要かという議論ではありません。それはビタミンAとビタミンCのどちらが大切かと栄養士に訊いているようなものです。
ただ、リスクマネジメントは危機管理ではないというだけのことなのです。
何故リスクマネジメントが危機管理ではないのか
それでは、なぜリスクマネジメントでは危機管理ができないのかという疑問が残ります。
リスクマネジメントは、あらゆる意思決定に伴うリスクを評価することから始まります。そしてその評価に基づいて対応策を検討しておきます。
つまり、具体的な害悪を及ぼすようなリスクが評価されると、その対応策が検討されることになり、その害悪が生じないか、あるいは最小限で済むことになります。
そして、そのリスクを取るべきでないと判断されると、その意思決定が行われなくなるため、同じくその害悪が生じなくなります。
つまり、リスクマネジメントがしっかりと行われていれば、評価されたリスクに伴う害悪とは無縁になるのです。
しかし、ここで問題が生ずるのは、評価していなかった害悪が生じた場合です。
その場合はリスクの評価がなされていないので対策も講じられていません。つまり、サンドバッグのように一方的に殴られ続けることになります。
BCPに感染症を考慮していた企業はこのコロナ禍でも平気であったはずですが、多くの企業、特に飲食店や宿泊施設などはそのようなリスクを計算していなかったはずです。そのため大変な思いをしなければなりませんでした。
つまり、リスクマネジメントはリスクとして評価していない事態には対応できないのです。危機はいついかなる形で襲ってくるのか分かりません。つまり、リスクマネジメントがカバーしていない事態が生ずるのです。
事前の評価があれば対応できるが、それが無ければ対応できないというのは危機管理ではありません。危機管理はギャンブルではないからです。
どちらが重要なのかという問題ではない
繰り返し申し上げますが、リスクマネジメントが危機管理ではないからといってやらなくていいということではありません。絶対に必要なマネジメントであり、それぞれの専門家を動員して行う必要があります。
ただ、それが危機管理だと勘違いしてクライシスマネジメントを怠ってはならないと申し上げているだけなのです。