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専門コラム「指揮官の決断」

第294回 

危機管理とは何をするマネジメントなのか その3

カテゴリ:危機管理

第7波にはならなかった

今年の1月、年始に当たって、危機管理の専門コラムとして「そもそも危機管理とは何か」ということについて語っていくと述べたにも関わらず、相変わらずコロナを巡って政治の右往左往が続き、呆れてコメントをしているうちにロシアによるウクライナ侵攻が始り、元自衛官として多少なりとも解説をする必要があるなどと考えているうちに5月も中旬になってしまいました。

さすがのメディアもウクライナ情勢のお陰でコロナで不安を煽ることの馬鹿々々しさに気付いたかコロナ関連の報道が下火になりつつあります。

この度もゴールデンウィークが3年ぶりの規制のない連休とあって、テレビに出てくる感染症の専門家たちはその人出の多さに第7波への警鐘を鳴らし続けましたが、彼らの期待に反して結果的に陽性判定者数はゴールデンウィーク前よりも大幅に少なくなっています。

死者数も2月下旬から3月上旬にかけては連日250人以上を記録していたのが、このところ30人台に留まっています。

専門家たちはゴールデンウィーク前に自分たちが何を言っていたのかをまったく覚えていないようで、この事態をしっかりと説明する気がありません。

専門家が専門家の知見を総動員してある事態を予測する時、その予測が外れることがあるのは仕方ありません。しかし、専門家なら、その事態をしっかりと認め、何故そのような事態になったのかを説明する必要があります。

しかしコロナに関してはテレビに出てくる感染症の専門家たちは自分たちの予測が外れたことすら気付いていないようです。

東京大学先端科学技術研究センターの児玉龍彦氏は参議院での参考人質疑において、「この勢いでいけば東京は来週は大変なことになる、来月には目を覆うような状態になる。」と意見を述べました。それから1か月で何が起きたかと言うと、東京の死者はゼロの日も多く、死亡者が出ても二名が最大でした。重篤者数も新規の最大が7人で、累計でも25人で横ばいでした。

児玉氏はマルクス経済学者の金子勝氏と一緒にネット上で様々な解説をされていますが、その予測はほとんど外れています。

岡田春恵氏も同様で、致死率の計算もできないらしく一昨年は3%、昨年は「1.5%に下がったとは言え怖ろしい病気である。」などと平気で述べていましたし、そもそも「今のニューヨークは2週間後の東京なんです。」などと発言し、日比谷公園や世田谷公園に穴を掘って死者を埋葬しなければならなくなるなどと述べていたのですが、ネット上ではそれらの発言は見事に消しさられています。これらを丹念に消し去るには相当お金がかかったかと思いますが、残念ながら弊社ではビデオを保管していますので、発言が無かったことにはなりません。

いずれにせよ、感染症の専門家たちのレベルの低さやメディアの出鱈目さに振り回されてきた2年間でしたが、本来の危機管理の専門コラムとしての役割を果たすべく、今回は「そもそも危機管理論は何のためのマネジメントなのか」というテーマに遡ってみたいと思います。

何を管理するのか

この「危機管理とは何をするマネジメントなのか その1」及び「その2」において、リスクマネジメントとクライシスマネジメントの違いに言及し、リスクマネジメントには独自の重要な役割があり、リスクマネジメントは危機管理ではないと指摘しています。

(専門コラム「指揮官の決断」第275回 危機管理とは何をするマネジメントなのか https://aegis-cms.co.jp/2590 専門コラム「指揮官の決断」第276回 危機管理とは何をするマネジメントなのか その2 https://aegis-cms.co.jp/1947 )

それでは危機管理とは何をするマネジメントなのかということになります。

上述の各記事でご紹介していますが、リスクマネジメントでは、意思決定に際してあらかじめ想定し得るリスクを評価し、そのリスクを取るかどうかを判断します。そして、そのリスクを取ってでも実施すべきという意思決定が行われると、次にそのリスクが顕在化した場合にどうすべきかという対応策を検討します。

当コラムでは岸田首相は危機管理を理解していないと度々指摘していますが、それは彼が事あるごとに「危機管理の要諦は、最悪の事態を想定してそれに備えること。」と述べているからです。

最悪の事態が想定できるのであれば、それは危機管理ではなくリスクマネジメントです。

危機管理とは想定外の事態に遭遇した場合にどう対応するかが問われるマネジメントです。

東日本大震災において、当時の民主党政権は口を開けば「想定外」と言う言葉を用い、想定外の出来事であったことを免罪符のようにしていましたが、それはつまり彼らが自ら危機管理能力がないと白状しているのと同じなのです。

「危機管理」という言葉は元々矛盾を孕んだ言葉です。管理できる事態なら「危機」ではないからです。管理できないから「危機」になるのであって、自己撞着の極みにある用語に違いはなく、それが誤解を生む元なのかもしれません。

何故そのような言葉が生まれたのかについては歴史的背景を知らねばなりません。

元々、この言葉は冷戦期において国家間の争いが武力紛争に発展し、それが第三次世界大戦を誘発し、核戦争に進展してしまう事態を何とかして避けようとする研究に端を発しています。

つまり、「危機」を「管理」するというよりも、「管理」できなくなるような事態に進展させないように「管理」することが目的だったということが出来ます。

危機を機会に

これを組織論の観点から眺め直すと、予測していなかった事態に見舞われた場合に、何とか踏みとどまり、被害を局限し、態勢を立て直し、さらにはその危機的状況の中に機会を見出していくマネジメントということになります。

危機管理上の事態に直面しているというのは、すなわち経営環境の激変に見舞われているということです。

経営環境が変わったら、そこに機会を見出していくのは経営者として当然のことです。

軍隊においても敵の奇襲を受けた指揮官はその奇襲を何とか凌ぎながら態勢を立て直し、その奇襲を排除し、逆に敗走する敵をせん滅させていくことが求められます。

つまり組織にとって危機管理とは「想定外の事態に際して、危機の中に機会を見出し、組織を発展させるマネジメント」と言うことができます。

岸田首相の言うような「最悪の事態を想定して備える」というような後ろ向きの物ではありません。

危機管理の実践例がそこに

この危機管理とは何かという概念を聞いて、何か思い浮かべることがありませんか?

最近のウクライナ情勢を思い浮かべた方がいらっしゃればうれしく思います。

ロシア軍は侵攻開始とともに凄まじい勢いで首都キーフに迫りました。

しかしゼレンスキー大統領はキーフに踏みとどまって抵抗を続けました。そして東部の要衝マリウポリでロシアの侵攻を阻み続けました。ここに立てこもったアゾフ特殊作戦分遣隊は1か月以上も籠城を続けて時間を稼ぎ、このためロシア軍は他の地域での戦闘に十分な戦力を投入できず、現時点ではウクライナ軍に押し返されている局面が出て来ています。ひょっとするとゼレンスキー大統領は東部の二州も取り返してしまうかもしれません。

テリー伊藤氏はその出演番組で、ウクライナ支援を訴える在日のウクライナ人女性に対し、民間人の犠牲をこれ以上拡大させないためにウクライナは降伏すべきだと述べ、「ウクライナは勝てませんよ。」と言い放ちました。

彼は現在までのウクライナ軍の戦果を苦々しく思っているでしょう。そもそも「民間人の犠牲を増やさないために白旗を揚げる」ということ自体が彼が事態を全く理解していないことを示しています。ジョージアやチェチェンでどのような虐殺が行われたかを少しでも知っているなら、そんな発言はできないはずです。

ゼレンスキー大統領も降伏によって得られるものは何もなく、ただ単に自国民が虐殺されるだけであることを知っているから抵抗を続けているのであり、また、ウクライナ軍の士気が衰えないのも、自分たちがあきらめると家族が犠牲になることを知っているからです。

このウクライナのように、事態に際して踏みとどまり、態勢を立て直して危機の中に機会を見出していくことこそ危機管理の本質です。

我が国のトップがそのことを知らないというのはとても悲しいことです、

この国のトップよりも私たちの民度は上

しかし筆者は決して絶望しているわけではありません。

東日本大震災においても、政権は最低の対応でしたが、日本の社会は福島原発の水素爆発にも対応し、凄まじい被害を出した東北地方一帯には全国からの支援が寄せられ、国土強靭化への試みが現実的に始まりました。

私たちの社会はそれだけの民度の高さを持っており、トップが駄目でも社会が対応できるのかもしれません。

私たちの社会に次に災いをもたらすものが何であるのかは不明です。しかし、想定できない事態に対応するのが危機管理ですから、その覚悟はしておく必要があります。

そして、その円滑な危機管理を阻むものの正体を見極めておくことが必要です。

危機管理を阻むもの

この度のコロナ禍においては、不安を煽って利益を上げることしか考えていないようなテレビ、何かをやっている風を装うの必死な政治家や自治体の長、責任転嫁しかしなかった医師会、そして普段医学界においてあまり顧みられることがないのに脚光を浴びて飛び跳ねた感染症の専門家たちがそれらです。

感染症の専門家たちは普段医学界においてあまり顧みられないということをこの2年間でよく聞いたのですが、致死率の計算もろくに出来ないのですから、それも自業自得で仕方ないでしょう。

いずれにせよ、来る新たな危機に際しては、これらの妨害を排除しながら危機管理に挑まなければなりません。

私たちにはその覚悟が必要です。