専門コラム「指揮官の決断」
第9回役人には危機管理はできない? 役人の三種の神器
今回のコラムはかなり辛口です。
本コラムのタイトルを見ただけで、「そりゃそうだ。」と思われた方は多いかと思います。そのほとんどの方がビジネスに携わっておられると拝察しています。
しかし、なぜ、役人に危機管理ができないのかという理由になると、はっきりと指摘できる方はそう多くはないかと思います。原価意識がないとかということではなく、もっと本質的なものがあるからです。
今年(平成28年)8月30日、岩手県大船渡に上陸した台風10号は多数の死者・行方不明者を出しました。特に岩泉町では高齢者施設に近くの川の水が流れ込み、9人の入居者が溺死しているのが翌日発見されるという痛ましい災害でした。
この被害に際して政府から派遣された政府調査団団長の務台内閣府政務官が、長靴を履いていなかったため水浸しになっている道路を内閣府職員におんぶされて渡るシーンがニュースで放送され、世間の失笑を浴びました。
この政務官は東京大学法学部出身のエリート公務員として消防庁防災課長なども経験しています。その政務官が被災地を調査団長として調査に行くに際して、長靴さえ持たず、おんぶされて道を渡るということから、この人が、どのような防災課長だったかということ、政治家として現在の職務にどのような覚悟で臨んでいるかということがわかります。
防災課長としては机の上だけの空論で仕事をしていたことが明らかです。防災服を着て現地に乗り込んだのはポーズでしょう。地震の被災地であれば瓦礫の上を歩かなければならないので半長靴が必要ですが、今回は台風の被災地で、川が氾濫して被害が出た地域を調査に行くのですから、長靴は特に考えるまでもなく本能的に準備するはずです。現地がどのようになっているのかのイマジネーションすらないというのは、防災課長として東京の机の上でしか仕事をしておらず、現場を全く知らなかった証左です。
また、多数の死者が出ている被災地に乗り込んで、足が濡れるのが嫌でおんぶされて道を渡るという態度からは、被災地の人々に寄り添うつもりも、そこで泥だらけになって救助作業に従事している救助隊員や復興作業に取り組んでいるボランティアの人々に対する感謝の思いも感じられません。
さらには、調査団の指揮官として、この災害復興の陣頭に立とうという気迫が全くありません。危機管理の先頭に立つ者は、芝居でもいいから弱みを見せてはならないのです。
第2次大戦中、フィリピンに逆上陸を果たしたダグラス・マッカーサーが幕僚を率いて波をかき分けながら海岸に上陸してくる写真は有名です。膝まで海に浸かって浜辺に向かって歩いて上陸してくる有名な写真は、実は彼が最初に上陸した際に撮影されたものではありません。後日、報道陣を集めて撮影させたものです。しかし、彼はその写真が与えるインパクトの大きさをよく知っており、そのためにわざわざ撮影会を設定したのでした。
一方の務台政務官には、そのような戦略すら全くありません。単に靴とズボンが濡れるのが嫌だったのでしょう。絵に描いたようなエリート役人がそのまま政治家になっただけのことなのかもしれませんが、目の前にテレビ局のカメラマンがカメラを構えているのに、そのような絵を撮らせたことは政治家としても戦略眼が無さすぎます。
しかし、今回、私が取り上げているのは、このような論外の役人や政治家の話ではありません。
役人の三種の神器というのをご存じでしょうか。
具体的なモノがあるわけではありません。公務員がこれに配慮しないと出世しないという業務の進め方についての原則です。
それは、(1)前例の踏襲(2)問題の先送り(3)責任の回避 の3つです。これに頓着しない公務員は「役人らしくない」とか「型破り」とか言われて民間の方からの受けはいいのですが、役人の世界では出世できません。
私は30年間海上自衛官として勤務してきました。海上自衛官という存在は、日本においては軍人ではなく、国家公務員として扱われます。しかし、私はいわゆる制服組だったので、「お役人」が嫌いで、ちょっとでも官僚的な態度を取る自衛官がいると、「俺たちはヘータイだ。ヤクニンじゃぁねぇぞ!」と毒づくのが常でした。したがって、私が指揮官を務めた部隊においては上記三種類の業務要領は許されるものではありませんでした。
部隊に着任し、ある業務要領について疑問があり、担当者を呼んで、「どうしてこうなるの?」と聞くと、「以前からこのように処理しております。」という返事が戻ってくることがあります。
たちまち私の怒号が飛びます。
「俺の前で昔からそうなってますなどと言うな。根拠を明文で示せ!」
(2)についても、着任してみると、なんで今までこんなことを放置しておいたのだろうと疑問に思うようなことが山積みになっていることがあります。特に陸上の部隊にいる事務官は本当のお役人なので、「ヤクニンみたいなことを言うな。」というわけにいかないのですが、この三種の神器には悩まされたものです。
なぜ困るかと言えば、この三種の神器が体質となっていると、危機管理ができないからです。脅威はある時、圧倒的な勢いで迫ってきます。前例通りにやってくる脅威はありませんし、前例を調べている余裕もありません。その場その場で直ちに対応していかなければならないので、問題を先送りしている余裕も当然ありません。
なにより、日本のお役所というところは、何かをやって失敗すると責任を問われるが、やらなかったことに対しては責任を問われないという体質があるので、積極的に何かをやろうとしないのです。役人が極めて保守的なのはそのためです。
つまり、役人の三種の神器は、危機管理の大敵であり、何があっても排除しなければならない要素です。
ここで、元公務員であった私から、お役人一般の名誉のため付言しておかなければならないこともあります。
役人の三種の神器は、何も役人が自己の保身や出世のためだけに必要な資質であると言っているわけではないのです。
それは限られた予算を有効に使い、行政の一貫性を保ちつつ、故のない非難があってもしっかりと将来を見据えた行政を行っていくのに必要な資質でもあるのです。
例えば、前例の踏襲は行政の一貫性を担保するのに必要です。担当者が変わるごとに、その趣味で行政が変わっていったのではたまったものではありません。また、ある業務があるやり方になったのにはそれなりに過去に経緯があったと見ることが自然ですので、担当者としては、その経緯がどうであったのかをしっかりと勉強しておかなければならず、単に前例を踏襲するというだけでも大変なのです。宮内庁の職員などは多分二千年分くらいの前例を知っていなければならないのではないでしょうか。
問題の先送りも、限られた予算をどこに配分するかという課題にとって重要です。目の前に対処しなければならない問題が山積しているとき、先に送れるものは極力先に送り、優先度、緊急度の高いものから処理していこうという態度は行政官として誤りではありません。
責任の回避も、故のない非難にいちいち責任を取っていたら大臣や局長が何人いてもことが進まないことからくる防衛策です。マスコミなどによる興味本位の過剰なバッシングなどが行われなければ、この体質は改まっていくはずです。
問題は、三種の神器がこのような背景をもってしっかりと運用されていればいいのですが、木っ端役人ほどろくに前例も調べず、前任者から受けた申し継のとおりに業務を進め、いよいよ怒られない限り山積みの問題に手を付けず、何かやってへまをするよりも何もしないで平穏無事に定年を迎えたいと思っていることです。
世の中の不況が長く続くと公務員バッシングが激しくなります。給料が安定している、年金がしっかりもらえる、クビにならない、官舎に安く入居できる、等々
たしかに、私も商社の営業部長などを経験しましたので、多くの方が公務員をうらやむ気持ちも理解できないわけではありません。
ただ、私が若いころ、世の中がバブル景気に沸いていたころ、私たちはバブルを知りませんでした。同窓会で会う高校や大学の同期生が、3年間で年収が倍になったとか、誰もが知っている高級マンションを買ったとかいう話を聞いても、私たちには何のことなのかピンときませんでした。当時、定期昇給で月額1700円のベースアップになったなどと言って、家内と安物のワインで乾杯などしていたのです。
国家公務員と地方公務員では給与の実態がかなり違うのですが、国家公務員の給与は人事院が民間の状況を踏まえながら、様々な要素を勘案して勧告を行うのを受けて決められていきますので、民間の給与の実態が良くなってもなかなか従属して上がっていくわけではなく、かなり遅れて反映されてきます。そして、やっと反映され始めたころ、バブルがはじけてしまって民間のリストラが始まったので、とてつもないバッシングが行わるようになりました。
しかし、私たちは飲むのもゴルフも全て自腹でした。若いころ、艦隊勤務でどこかへ入港すると、普段苦労を共にしている部下の隊員を連れて上陸して飲みに行くことがよくありましたが、これも自腹でした。まだ安月給の若い幹部自衛官としては大変な出費には違いありませんが、部下の身上把握のためにも必要な経費だとして家内を拝み倒して小遣いを出してもらっていたものです。自腹ですから、飲み屋で領収書など受け取った覚えはほとんどありません。商社の営業部長になって、初めて取引先を招待し、受け取った領収書で経費の請求をした時、ものすごく緊張したのを覚えています。
仕事上、官公庁と付き合わなければならないときは、前述の三種の神器という性格を理解しておくといいかもしれません。しかし、私たちはその神器を携えてはいけません。危機管理には百害あって一利ない持ち物です。