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専門コラム「指揮官の決断」

第469回 

コロナ禍に学ぶ危機管理の発想法 その3

カテゴリ:危機管理

承前

今年の4月、当コラムでは、危機管理の専門コラムの原点に帰ろうと、コロナ禍を例にとり、危機管理とは何をどう捉えればいいのかについての議論を始めました。2回ほど進んだところで、イランで戦争が起きたり、国内でも、陸上自衛隊の音楽隊員が自民党の党大会で国歌を歌ったことが問題となったり、国会で自衛隊員に対する冒とくが行われたりして、そのたびに、危機管理の眼で見ると、メディアの論点は違うよなぁ、というポイントが目につき、それらにコメントしているうちに、本来の主旨から外れた記事が続きました。

この辺で軌道修正をしておかないと、またどこに飛んでいくか分からないので、コロナ禍に何を学ぶかというテーマに戻ります。

専門的知識の必要性

前2回で、繰り返し述べてきたのは、危機管理を観察するのに、何かの特別な知識が必要だということではない、ということです。

危機管理というものが、元々、想定外の事態にいかに対応するかが問われるマネジメントなので、何が起きるのか分からず、特定の専門分野を持っていても、専門外の事態には対応できないからです。

たとえば、コロナ禍に、感染症の専門知識が無ければ対応できないとすれば、その専門家は、大規模自然災害に対応できず、まして、国際紛争にはまったく対応できないことになります。

しかし、組織のトップを経験した方なら痛いほど感じておられると拝察しますが、トップは、自分の専門に関係なく、様々な事象に対応しなければなりません。

会社のトップは、金融危機や自然災害、製造上の責任問題、社員のスキャンダルなど、あらゆる事象に対応していかねばなりません。

病院長も病気だけが相手ではなく、火災や大規模自然災害などにも対応しなければなりません。

つまり、危機管理は、何かの専門家が必要だということではありません。

そこがリスクマネジメントと異なるところです。

リスクマネジメントは、ある意思決定に関する、ある部門のリスクの大きさを評価し、リスクが大きすぎる場合には、そのリスクを取らないという判断をし、リスクを取っても、得られる利益が大きいと判断される場合には、そのリスクが現実になった場合の対応を検討します。

その際に要求されるのが、専門的な知識・経験です。

だからこそ、リスクマネジメントは、ファイナンシャルリスクとか、リーガルリスクと言ったように各専門に分かれて、それぞれの専門家が検討を積むのです。

自覚と覚悟さえあれば

危機管理は、何が起こるのか分からないので、何の専門家が、何を検討しておけばいいのかがよく分かりません。しかし、トップであれば、組織が危機に陥った際には、いかなる事態であっても、毅然と対応しなければなりません。

起きた事象に関する専門家である必要はありません。

トップとしての自覚と、危機管理に関する感性があればいいのです。

前2回では、そのことについて語りました。老舗旅館の女将は、危機管理の専門家であると述べたのは、そのことです。彼女は、和服の草履で玄関前の小道を歩いていて、筍が芽を出しかけているのに気づきました。

一方で、東日本大震災時の総理大臣は、大学で物理学を勉強したことを鼻にかけて、メルトダウンと水素爆発と戦っている現場に、防護服も着用せずに乗り込んで、首相への説明に時間と労力を使わせました。

危機管理を担当するトップとしてどちらが相応しいかは明らかです。

旅館の女将に植物学の知識は必要ありません。ただ、わずかな埃も、額の曲がりも見逃さない、あるべきものをあるべきようにしていく執念と、お客様に対する想いがあればいいのです。

一国の首相に原子物理学の知識は必要ありません。危機管理の現場の常識さえあればいいかと考えます。

危機管理の常識

危機管理の現場からは、まともな報告は上がって来ません。断片的で、時系列がバラバラで、観察者の主観によるバイアスがかかっています。それでも報告があがって来るなら、まだいい方です。軍隊では、現場からの報告が絶えると、全滅したと見做します。

現場から、淡々と整理された報告があがって来るなら、現場がしっかりと対応していると判断され、現場が要求してきたことだけやってやればいいのです。

そんなことも分からぬ男に一国の首相を務めさせてはいけません。それこそが危機です。

その証拠に、彼は原子力発電反対派だったこともあり、ある会社と組んで、この国の耕し手のいなくなった農地や山を切り開いて太陽光パネルを張り巡らすという暴挙に出ました。

この男には、それがどれほど中国企業に利益をもたらし、この国の自然を破壊し、本来、農業の再生に宛てるべき土地を使えなくし、パネルの処理にどれだけの費用が掛かるのかが分からないのです。

繰り返しますが、危機管理に特定の専門的知識は必要ではありません。

自分の仕事を誠実にこなしていけば、自然と身についていきます。老舗旅館の女将の例がそれを物語っています。

彼女は、若女将として、女将に指導され、いかにお客様に快適に過ごして頂き、リピーターとなってもらうかだけを追求してきました。それでいいのです。

自覚と覚悟はどうやって育てるか

ただ、トップとしての自覚は、ある程度の経験や、それなりの覚悟が必要でしょう。

筆者は、海上自衛隊に約30年間勤務してきました。幹部候補生学校で、幹部自衛官としての覚悟を求められ、艦隊勤務で様々な指揮官に仕え、幕僚として指揮官を補佐しながら部隊を指導し、部隊指揮官として多くの部下を率いてきました。

筆者のように特別な才能を持たない自衛官でも、そのような経験を経てくると、ある一定の覚悟を持つことができます。

つまり、トップとしての覚悟は、経験から努力で学ぶことにより得ることができるものであるということです。

東日本大震災の時の首相は、ただの社会運動家だったのが、ろくな組織経験のないまま首相になったので、その自覚が育っていなかったのでしょう。

素人にも分かる議論でできる危機管理

それでは、私たちが危機管理をどのように捉えるかについて、コロナ禍を例にとって考えてみましょう。

相手がコロナ禍ですから、感染症の専門家でなければ対応できない、とお考えの方も多数いらっしゃいますが、感染症の専門家というのも怪しい連中が多数おり、そこからだけの情報に頼っていると、大きな過ちを犯します。

そのことは、当コラムでも何度も指摘してきました。

実は、専門家の出鱈目さは、素人にも分かるのです。

というか、テレビで騒いでいたのは、その程度の素人にも簡単に見破ることのできる出鱈目な専門家であり、本当の感染症の専門家は、忙しくて連日テレビなどに出て入れなかったのが実情だったと思われます。

コロナ禍にいかに対応すべきかは、まったくの素人でもある程度気付くことができたはずであり、しかし、世の中は、テレビや、そこに出てくる専門家に騙されて、大きな損失を出しました。

このことは、しっかりと教訓として学んでおくべきことだと思料します。

そうでなくても、新たな感染症は、10年に一回程度生まれているので、次の感染症が流行るのが数年後に迫っています。同じ過ちをしてはなりません。

次回、コロナ禍において、素人目線でも理解できるレベルの対応策を説明していきます。それをご覧になれば、危機管理に専門的知識・経験は不要であり、必要なのは、一般的な注意力と、自分が率いていく、という強い意志だけであることがご理解いただけるかと存じます。