専門コラム「指揮官の決断」
第16回火山噴火
当コラムは防災を専門としているわけではありませんが、自然災害も大きな脅威である以上、それに対して十分な準備をしておくことが必要と考えています。
特に今回テーマとしている火山の噴火と地震については、他の危機管理上の脅威と際立った違いがあるので、十分な準備をしておくことが絶対に必要なのです。
その際立った違いとは何でしょうか。
多くの危機管理上の事態に対する準備をする場合、その生起する確率、あるいは蓋然性を考慮して対応を取ることが必要です。
新製品の開発に伴うリスクなどは十分に検討されるべきでしょう。開発に必要な資金、人をどうやって準備するか、時間は? マーケットのニーズは?など、あらかじめ評価しなければならないリスクは山ほどあります。
為替の急激な変動や最近の英国のEU離脱問題などに関連するファイナンシャルリスクなども企業としてはあらかじめ計算に入れておくべきでしょう。
しかし、ある日突然、東京湾にゴジラが出現し暴れまわるなどというリスクは、頭の体操としては極めて面白いですが、真剣に検討し、対応策を準備する必要があるとは思えません。
他の多くのリスクについても、事前に対応しておくべきリスクと、想定から除外して差支えないと評価できるリスクがあり、適切に準備することでそのリスクを回避することができるものが多いはずです。いわゆるリスクマネジメントです。
この場合の問題は、どの程度に脅威の大きさを見積もるかということなのですが、専門家が英知を集めて検討することにより、そのリスクをある程度回避できると期待されています。
テロも国と民間がそれぞれしっかりと対応していけば、防ぎきることができるはずですし、火災や交通事故なども防ぐことができる性質のものです。
しかし、火山の噴火と地震は防ぐことができないばかりか、それらが起こる確率について言えば、それは100%の間違いのない事実なのです。マントルが動いている以上、地殻に生ずる巨大な圧力が一定の限度を超えると大きな地震になることは必然であり、マグマが溜まってある一定量を超えると噴き出してしまうのも必然なのです。
問題は、それらが、いつ、どのような規模で起こるかということなのであって、起きるか起きないかという問題ではありません。必ず起きるのです。そして起きることそのものは誰にも止めることはできません。避けることのできない脅威なのです。
数年前、NHKが富士山の噴火についてかなり力を入れた取材を行い、特別番組を放送したことがあります。この特集では富士山の噴火がここ300年ほど起こっておらず、いつ起きてもおかしくない状況にあること、富士山が噴火するとどこまでどのような被害が生ずるかなどについて詳しく語られていました。そして最後に、富士山が噴火するとその影響はすさまじいものとなるが、噴火には前兆があるので、視聴者はパニックにならず、日頃からの備えをしっかりしておくことが重要だと結ばれていました。
この報道はある意味で正しく、ある意味で間違っています。
NHKのような公共放送機関が富士山の噴火の危険性を叫びたてると、世間がパニックになることは間違いありません。地元の観光業は大打撃を受け、不動産価格も暴落するでしょう。その影響は計り知れないものがあります。もし噴火が何年たっても起きなかったら、NHKに損害を賠償しろという声が上がってくることも間違いないでしょう。
損害賠償だけでなく、不必要に住民をパニックに陥れることは公共放送として取るべき態度ではないでしょう。興味本位の写真週刊誌ならともかく、NHKの報道は多くの人が信頼を寄せているはずだからです。
このような背景を考えれば、NHKの報道が誤っているとは一概に言うことはできません。
しかし、事実としては誤っています。富士山の噴火に前兆があるということには何の根拠もないからです。
ネットを調べれば、これが富士山噴火の前兆であるというあらゆる記事を読むことができます。それらの多くは私が小学生の頃、つまりは半世紀も前から言われてきたものであり、富士山がいずれ噴火することが確実である以上、それが前兆であるとだけ言われても役にたつ情報とは言えないのです。その前兆が観測されてからどのくらいの時間を経て噴火が起きるかが示されていないからです。
噴火予知連絡会会長の話を伺ったことがありますが、NHKの取材に際しても、噴火を予知することはできず、前兆があるということもできないとはっきり述べたにもかかわらず、あのような番組にしたと言って怒っておられました。
専門家によれば、現段階で火山の噴火を予知することは困難なのだそうです。考えてみれば、大きな被害を出した雲仙普賢岳や御嶽山にしても警告なしにいきなり噴火しています。霧島の噴火も噴き上がってからわかったくらいです。
事前に予測ができ、あらかじめ対応ができた極めて特異な例が、洞爺湖の有珠山の噴火でしょう。世界的にも大規模な噴火が事前に予測できた例は極めて稀です。
事後的に、そういえばこういうことがあったという例は無限に出てきますが、それが事前に明確に示されることはほとんどありません。噴火の規模はともかくとして、せめていつ起きるかくらいわかるといいのですが、それもできないのが現状のようです。
富士山噴火の場合には政府や自治体からハザードマップが示されていますが、その影響が及ぶ範囲の広さには驚かされます。
麓の静岡県、山梨県の被害は想像を絶するものとなるでしょうし、東名高速道路、中央自動車道、東海道本線、東海道新幹線が遮断されることにより日本全体の流通経済が大打撃を受けることも間違いありません。航空管制も不可能となり、空路の輸送もできなくなります。
富士山から比較的距離のある横浜や東京でも火山灰による打撃はすさまじいものになることが予測されています。関東ローム層が富士山の噴火による火山灰が堆積した地層であることを考えれば、その広さと厚さの想像がつきます。
火山灰は極めて微小なためアルミサッシでも防ぐことができないといわれています。つまり、ビル内のどこにでも情け容赦なく進入し、空調やコンピュータを壊してしまうおそれがあります。石英などガラスの成分を含んでいるので、気管に入ると人体への影響も小さくはありません。
指揮官の皆様にとっては考えたくもない事態です。
しかし、この脅威から目をそらせてはなりません。富士山が噴火することは避けられない事実であり、遅かれ早かれやってくる危機なのです。この脅威から目をそらすのは「オーストリッチ症候群」の典型です。
見て見ぬふりをして噴火の騒ぎに巻き込まれてしまうのと、この脅威を見据え、しっかりとした対策を立て、万一対策を超える想定外の事態が生じても毅然と対応できる覚悟を固めておき、大打撃を受けた社会の復興の先駆けとなるのとでは天と地の違いがあります。
この専門コラムでも弊社のウェブサイトでも繰り返し申し上げているように、そのために膨大な経費や人材が必要なわけではありません。
指揮官の皆様のクライシスマネジメントに取り組む決断と覚悟が必要なだけなのです。