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専門コラム「指揮官の決断」 

No.021 プロトコール:たかが言葉、されど言葉

 言葉というものはとても不思議なもので、特に話し言葉になると、全く同じ内容について話しても、選ぶ単語、話す速さ、発音、イントネーションそれらすべてを含んだ雰囲気で、全く異なって聞こえることがあります。例えば、同じく「ハイ」と返事が返ってきても、その微妙な抑揚で、心からの「ハイ」なのか、嫌々ながらの「ハイ」なのかが変わってきますし、言っている本人が意識せずとも、相手が誤解することがあります。
 
 また、言葉は、話し手の人柄、受けてきた教育、育ってきた家庭環境などを肩越しに透けて見せてしまうこともあります。
 仕事上のいろいろな局面で、どのような言葉を使おうか、どう説明しようかなどと悩むことはよくあることです。プレゼンテーションの資料を作りながら、説明の言葉を選んだり、営業に行く途中で、先方の誰が出てきたらどう話を進めようか、などと私たちは四六時中言葉の使い方で悩んでいるようにも思えます。
 
 母国語ですらそれだけ悩むのですから、外国の言葉で交渉などをするというのは、本当に大変なことです。
 私が言葉の恐ろしさを痛感させられたのは大学生の時でした。
 私が卒業した中学・高校は全寮制の国際交流の盛んな学校で、交換留学制度があり、海外から多くの留学生が来ていました。また両親が仕事の都合で海外に赴任しているという生徒や、帰国子女なども多数いました。
 高校を卒業してしばらくした頃、卒業生も呼び集められる大きなパーティーが母校で開かれ、それぞれの国に戻って大学生になっていた留学生も久しぶりに母校に集まってきました。
 私は柔道部に所属していましたので、興味を持つ留学生に柔道を教えていたことが多く、顔見知りの元留学生に久しぶりに会って楽しく過ごしていました。
 
 カナダからの留学生だったある女性も私が柔道を教えていた学生で、彼女と久しぶりに話をしていた時、私の後ろで、かつてのクラスメートが別の元留学生と話をしているのが聞こえました。彼は小学校低学年から父親の仕事の関係でニューヨークに5年間住んで帰国し、私たちのクラスに転入してきた人物でした。在学中からニューヨーク仕込みの英語で留学生とも気軽に会話ができていたので、彼の英語力については私たちも一目置いていました。
 その彼が、私たちの後ろで相変わらず流ちょうに喋っているのが耳に入ったので、私は相手のカナダの女学生に、「奴は相変わらず達者に喋るねぇ。」と言いました。すると、それまでニコニコして話をしていた彼女が、急に表情を変え、「林サン、それは違うヨ。」と言うのです。彼女曰く、確かにニューヨーク帰りの彼の英語はネイティブが喋っているように聞こえる、でも、ネイティブの小学生が喋っているように聞こえてイライラするのだそうです。そこへいくと、あんたの英語はネイティブのようには聞こえないけど、大学生が一生懸命勉強したんだなと思うような英語なのだから、ネイティブと話をしたときにはあなたの方が好感をもって受け入れられるはずだというのが彼女の言い分でした。
 
 私はこの時、言葉、特に話し言葉の恐ろしさを痛感したのです。それ以来、私は外国語を話すことに慎重に、あるいは臆病になったかもしれません。
 学生時代を終えて海上自衛隊に入隊すると、情け容赦なく英語と付き合わなければならなくなりました。船の無線での交話は英語ですし、作戦通信の電報も英文で起案しなければなりません。米海軍との共同訓練なども頻繁にあり、いやでも英語を使わなければならない機会がたくさんあります。
 私は英語には慎重な態度を取り続けました。特に、米海軍と付き合う時、軍隊は階級社会で、まだ若かった私にとっては、相手の米軍士官はほとんどすべて私より上官でしたから、なおさら表現などには気を遣っていました。周りの連中が気楽に喋っているのを聞いて、大丈夫かななどと思っていました。
 
 平成2年、私は米国での連絡官勤務を命ぜられ、家族と共に米国東部ペンシルヴァニア州へ赴任しました。もう臆病だの慎重だのと言っていられない状況です。
 この2年間の米国勤務では、私たち一家は米軍基地内の官舎に住み、私は米海軍の組織で勤務し、家内は米軍士官のご夫人たちとのお付き合いがあり、3歳だった息子はチャイルドケアセンターで日中を過ごしていました。多分、この頃、私の英語はかなり軍隊調のものになっていたはずです。民間の方との深い付き合いはあまりありませんでした。
 
 ただ、数少ない民間とのお付き合いの中で、「へぇ」と思う英語体験が何回かありました。
 私は日常の勤務で上級者との会話の中で「Sir」を使うのは日常でしたが、これは軍隊での特別な言い回しであって、一般的にはあまり使われないものと思いこんでいたのですが、気を付けて聞いていると、民間でもあちらこちらで使われているのです。
 
 最初に気付いたのは、私が休日に操縦訓練を受けていた飛行学校で、教官のパイロット達がフライトプランをファイルするために航空局の担当者と電話で話をしている時に、彼らがまず「Good Morning Sir」から始めることでした。会話の節々で彼らは航空局の担当者に向かって「Sir」を使うのです。フライト中に他機と管制官の交信を聞いていても、”Thank you sir”などと言って交信を締めくくっているパイロットが何人もいました。
 
 次に気が付いたのは、家族で車で旅行した時のことでした。ホテルを予約せずに、行けるところまで行ってどこかのホテルに泊まろうと思っていたので、夕方になって見つけた小さなホテルを訪ねたときのことでした。
 部屋が空いているかと尋ねたところ「何人だ?」と聞かれました。3歳の息子がいたため、「Two and a half」と答えたところ、宿の主人がその冗談を面白がって、「あんた、面白いね。どこからだい?」と聞いてきたため、日本から仕事でしばらくこっちにいる、などと話をしていました。そして宿帳に住所と名前を書けと言われたので、何気なくいつもの書類にサインしているようなつもりで「LCDR.Y.Hayashi」と綴ってしまいました。書いてから、しまったと思ったのですが、宿の亭主は海軍少佐の階級を見て取ると、急に言葉使いを変え、自分もかつて海軍にいたことがあります、ヨコスカで飲むのは面白かったです、こちらに寄って頂いて光栄です、などと言い始めるのです。部屋の鍵を渡しながら、家内に”Good Night, Mom”などと声を掛ける始末です。
 
 さすがにこの頃、私たちもまだ若かったので、基地の外ではSir を付けて話しかけられることはこの事例以外ありませんでしたが、海上自衛隊を退職して、米国法人の取締役としてカリフォルニアに赴任した時には、私たちも還暦を間近にした歳になっており、街でSirやMomと話しかけられることがよくありました。スターバックスなどが混んでいて、私たちが座っているテーブルで相席をさせてくれなどと頼んでくるときなど、若い人たちはたいてい“Sir?”と声を掛けてきます。ホテルはもちろん、タクシーの運転手なども同様です。
 私たちも、お年寄りに話しかけるときは、SirやMomを使うことが多くなっていました。
 
 ただ、中学高校で英語の劣等生だった私の記憶では、SirやMomという言葉の使い方を習った記憶はありませんし、市販の英会話のテキストでも見たことがありません。
 英語には丁寧な表現はあっても日本語のような敬語はないと教える教師もいるようです。
 そのせいかもしれませんが、ちょっと英語に慣れたつもりになった日本人の中にはレストランで注文するときに、よせばいいのに” I would like to have ~”という表現をわざと使わずに、” I wanna ~”などとのたまう方も多く、サンディエゴあたりで日本人の駐在員などがそうやって注文しているのを聞くと冷や汗が出る思いをします。
 
 日本国内でのことですが、米国大使も招待されていたあるレセプションで、元駐在員の商社の社員が大使と話をしていて、“Yeah. ”を連発するの見て、穴があったら入りたい思いをしたことがあります。
 米国人は年上の友人でもファーストネームで呼ぶフランクな国民だという思い込みが、このようにさせるのだと思います。たしかに米国人は私が知る限り、最もフランクな国民性を持っていますが、礼儀を知らないわけではなく、人との付き合いに無神経な人たちでもありません。米国においても、上記のレストランの注文の仕方では、「おねえちゃん、○○ちょうだい」と言っているのと同じであり、学生がマックでアルバイトの店員に注文しているならともかく、まともなレストランで社会人が使うことはタブーだと思っておくくらいが適当な言い方です。また、大使は一国を代表しており、外交上は「閣下」と呼ばれるのを常とする高官であり、若い商社マンが「Yeah」などと相槌を打っていい相手ではありません。
 生兵法は大怪我の基とはよく言ったものだと思います。やはり外国語については、臆病なくらい慎重である方がいいのでないでしょうか。
 
 一番注意しなければならないのは、学生時代に短期の語学留学だけしてビジネスの世界を経験せずに帰国してきた若い人たちです。ビジネスの世界で揉まれれば、それなりの社交上のものの言い方を身に付けるのですが、学生気分のままの英語を引きずると、ろくなことはありません。英語が育たないのです。
 私たちが外国に行って仕事の打ち合わせなどをするとき、先方は私たちがネイティブのように話すことなど全く期待していません。しっかりと教育を受けた信頼できる人と仕事をしたいと思っているはずです。
 立場を変えて、日本に来た外国人ビジネスマンと仕事をするときのことを考えてみればわかります。よく知りもしないのにやんちゃな中学生のようなしゃべりかたをするビジネスマンよりも、たどたどしくても教科書通りの日本語を一生懸命に話すビジネスマンの方に好感を持つのではないでしょうか。
 国際化は恐ろしい勢いで進展していますので、自分たちは関係ないと言い切れる組織は少ないはずです。相手に対する敬意をしっかりと示すことのできる言葉使いを学んでおく必要があるのです。
 
 私はこのコラムを通じてプロトコールの重要性を何度もお伝えしています。コミュニケーションの基礎である言葉が軽んじられると、プロトコールそのものが砂上の楼閣となります。
 外国語を巧みに扱うことのできる社員を起用するとき、その社員が言葉をどのように捉えているのか、よく確かめておかないと、恐ろしい結果を招きかねません。
 くれぐれもご注意ください。