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専門コラム「指揮官の決断」 

No.029 危機管理: 過去の事例に学ぶ

 成功している経営者は最初から順風満帆であったわけではなく、何度失敗してもあきらめず、自分の失敗から学んだのだとよく言われます。そして失敗を恐れてはならず、その失敗から学ぶことが重要であると教えられます。
 ちょっと考えて思いつく、世界の大成功を収めている経営者がすべて失敗の挫折から這い上がってきた人々かというとそうでもないようには思いますが、失敗を恐れず、たとえ失敗してもあきらめず、その失敗から学ばなければならないというのは真理かもしれません。
 というよりも、人は失敗の事例からしか学ぶことはできないのではないかと考えています。成功した事例から具体的に何か学ぶことがあるかと考えると、ほとんどないのではないでしょうか。
 
 たとえば、アップルの故スティーブ・ジョブス氏、マイクロソフトのビル・ゲイツ氏、フェイスブックのマーク・ザッカーバーグ氏、日本で言えばユニクロの柳井氏など、とっさに頭に浮かんできますが、彼らに私たちが何かを学ぶことがあるでしょうか。
 彼らに共通しているのは、市場にそれまでなかった価値をもたらしたことでしょう。大方の経営学やマーケティングの教科書が、現代はプロダクトアウトの発想はダメで、マーケットインの発想でなければならないと説くにもかかわらず、彼らにはマーケットインの発想はみじんも見られません。その独創性は、学んで学べるようなものではなく、真似をしてみてもうまくいくものではありません。
 
 ビル・ゲイツ氏はマイクロソフトで絶頂期にあった時も、飛行機での移動はエコノミークラスだったそうで、空港内のマックで知らない人と相席してハンバーガーを食べていたというエピソードが写真入りで紹介されたこともありますが、空港のマックでお昼を済ませてエコノミークラスに乗ればマイクロソフトのような会社を経営できるわけでもありません。
 
 私たちが直接学ぶことができるのは失敗例からです。
 シャープが何故、台湾の会社に買い取られるようになったのか、三菱自動車はなぜ日産の傘下に入ることになったのか、東芝がなぜ債務超過の危機に陥ったのか、これらにはすさまじい教訓をいくつも読み取ることができます。
 
 軍隊でも勝った戦いから学ぶことはほとんどありません。極論すれば戦いに勝ったのは運が良かったからなのです。
 例えば、日露戦争における日本海海戦も、後に海軍きっての智将と称えられた連合艦隊の秋山真之参謀が苦心に苦心を重ねて案出した作戦構想を、東郷司令長官の卓越した統率力と猛訓練の末に到達した圧倒的な実力をもって実施し、遠路はるばるやってきて疲れ切った敵を迎え撃ったから勝てたのですが、それでも運が悪ければ勝てなかったかもしれません。
 当日、「天気晴朗」でなく濃霧だったり、旗艦「三笠」に雨あられと降り注いだバルチック艦隊の艦砲の一弾でも作戦の初期の段階で艦橋や弾薬庫に命中したりしていれば勝敗は違ったものになったかもしれません。百発一中の砲でも最初の一発が命中することだってあるのです。
 戦場ではこうした運がつきものです。いわゆる運命の一弾というものが戦場を支配することは珍しくありません。日本海海戦でそのような運命の一弾が三笠に命中しなかったことが日本を勝利に導いたとも言えます。
 
 その圧勝した日本海海戦を徹底的に学んだ帝国海軍が、太平洋戦争においてどれだけ拙劣な戦いをしたかを考える時、勝った戦いに学ぶことの恐ろしさを痛感させられます。
 日本海軍が学んだのは、艦隊を徹底的に鍛えて敵に圧倒する艦砲による打撃を加えたことによって勝ったということであり、それで圧倒的に勝ってしまったため、他に学ぶことがなかったのです。
 たしかに日本海軍は徹底的な訓練をして太平洋戦争に臨みました。また、「大和」「武蔵」という圧倒的な火砲を有する艦隊を準備しました。しかし、水上艦艇の一糸乱れぬ艦隊運動による夜襲攻撃など、レーダーの前には何の効果も発揮できず、航空機の発達の前に戦艦は屈するほかなかったのです。
 
 では、負けた戦いも運が悪かったから負けたと言えるのではないかという疑問を持たれる方もいらっしゃるかと思います。
 確かにそのとおりで、こちらの運が悪かったのか相手の運が良かったのかの評価はともかくとして、負けるはずがないのに敗れることがあります。
戦場には理屈では説明できない「運」というものがあります。
 しかし、それでも負けた戦いには学ぶべきことがたくさんあります。勝った戦いを分析するよりもはるかに多くの教訓を負けた戦いから得られるのです。
 
 危機管理においても同様で、成功した危機管理の例に学ぶことのできることは意外なほど少ないものです。なぜなら、そこで危機管理がうまくいったのは、それ以上に事態が悪化しなかったからですし、そもそも危機管理が本当にうまくいっていれば、危機にならないのです。
 逆に、危機管理の失敗例からは学ばねばならぬことが多々あります。少なくとも同じ過ちを繰り返すわけにはいかないからです。
 
 過去の事例に学ぶとき、注意すべきことは学ぶ態度です。極めて謙虚な態度が必要です。
 歴史の事例から原則を抽出するというのは大変な作業です。わずかな例から原則を打ち立てたような気になっていると、大怪我をする原因となります。
 そこには自然科学における法則の発見のような厳密な検証が必要です。社会で起きる様々な事象には、実験室で行う実験のような再現可能性を期待することはできないだけに、原理原則を抽出するということは並大抵のことではありません。よほど注意しないと本質を見失うことになりかねません。

 例えば、ビジネスマン必読の書と言われた『失敗の本質』という本があります。太平洋戦争における日本軍の失敗事例を分析した有名な本です。
 これは、戦史と組織論の当時第一線の専門家が書き上げたもので、戦史を社会科学の視点で斬ってみせた画期的な本です。しかし、分析の内容及び結果そのものは学者の後知恵であり、学生が論文の書き方を勉強するためにはいいのですが、防衛の実務家としては得るものがあまりありません。なぜなら、分析の多くは、言い尽くされてきた内容を社会科学の言葉に置き換えただけですし、素人を納得させることはできても軍事の専門家とっては後知恵にしてもその結論はおかしいだろうと思わせるところが散見されます。軍隊の実務と戦場の現実を知らない学者が分析するとこうなるのかとは思うのですが、ビジネスマン諸氏が、この本から何を学ぶことが出来るのかよく分かりません。

 また、『なぜ日本は同じ過ちを繰り返すのか』という本もあります。副題に「太平洋戦争に学ぶ失敗の本質」とあります。
 タイトルから私たちが期待するのは、まず、日本が繰り返しているとされる同じ過ちが何なのかが解説され、さらにその過ちが繰り返されている原因が究明されることです。それがタイトルなのですから。
 しかし、全206ページの本書の中に出てくる事例はシャープとソニーと福島原発の3例で10ページに満たず、しかもその原因の追求はほとんどなされておらず、太平洋戦争の戦史が延々と語られているのみで、しかもそこから学ぶ失敗というのも、戦後70年間にわたって言い尽くされてきた内容です。びっくりするのは、南太平洋で日本軍が駐留した25の島のうち米軍が来襲した島は8つしかなく、したがって残りの17の島への駐留は無意味であり、70%が無駄であったという主張です。
 この主張は、そもそも南太平洋という地域を著者がどう捉えているのかわからないので何とも言いようがないのですが、軍事の常識からかけ離れています。攻める側は、どこを攻めるかを選べるのに対して、守る方は万遍無く守らなければ隙ができるからです。
 この著者の論理で説明すると、25軒の家があって8軒の家に空き巣狙いが侵入したとすると、無事だった17軒の家の鍵は不要だったということになります。
 そもそも、この25分の17が無駄という論理は、この本が出版される4年前に別の著者が出版した『「超」入門 失敗の本質』という本で展開されているものと全く同じものです。この入門書というのも『失敗の本質』をどこまで読み込んで書いたものなのかを疑わざるを得ないものなのですが、どちらかが完全な受け売りをしているとしか思えません。
 著者はジャーナリストで大学の講師なのだそうですが、これまで何を書いて何を教えているのかに興味が出てくる本ではあります。
 
 私たちは学者でもジャーナリストでもなく、実務の立場から事例を見なければなりません。学者やジャーナリストが机の上でどう考えて、何を書いても現実の社会には何の問題も生じないのですが、私たち実務家が誤った認識を持つと現実の悪影響を生じてしまうので要注意です。特に経営トップが事実認識を誤ると会社を危機に陥れてしまい、その従業員の人生に大きな影響を与えてしまいます。
 しかし、それでも過去の事例に学ぶことは非常に多いのであり、その研究をすることの労を惜しんではなりません。事実に勝る教科書はないのです。