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専門コラム「指揮官の決断」

第35回 

No.035 「たかが言葉、されど言葉」 再び

カテゴリ:コラム

 以前に、言葉の持つ影響力について考察した記事を掲載しました。(No.021 「たかが言葉、されど言葉」 http://aegis-cms.co.jp/477 をご参照ください。) この時は、主に英語の問題でしたが、今回は日本語の言葉について考えてみます。
 私はどうも言葉に対して妙なこだわりがあるのかもしれません。たぶん、周囲の人たちがしっかりと理解している話を、私だけ、このコラムの写真の犬のような顔をしてしまうのだと思います。
 
 学生時代、荒井由実さん(当時)の「中央フリーウェイ」という曲を初めて来たときの違和感は忘れることができません。 バンド仲間が買ってきたレコードに入っていたのですが、仲間はいい曲だと言うのに対して私の感想は、「中央自動車道は有料だよな。」というものでした。「海を見ていた午後」を初めて聴いた時も、当時はまだ小さなお店だった磯子のドルフィンによく出入りしていた私は、「横須賀は見えるけど三浦半島の先端は見えないよなぁ。そもそも三浦岬ってどこだ?」と思ったものでした。
  
 「いちご白書」という映画がありました。カンヌ国際映画祭で審査員賞を受賞したアメリカン・ニューシネマの代表作の一本です。映画館で観て、その中の「サークル・ゲーム」という曲をバンドでレパートリーに取り入れました。
 この映画を題材にした「いちご白書をもう一度」という曲があります。これも荒井由実さんの作詞作曲です。学生運動に挫折した世代には、胸がキュンとなる名曲です。
 しかし、私はその世代よりほんの少し遅れてきた世代なので、若干クールに聴いたのかもしれません。
 歌詞の中に「就職が決まって髪を切ってきた時、もう若くないさと君に言い訳したね」というフレーズがあります。
 私はこの曲が流行していた時は大学生でしたが、「就職が決まって髪を切る」というのは変だなと感じました。就職を決めるために髪を切るのではないかと。
 私は大学院への進学を選択し、就職活動をしませんでしたので髪は長いままでしたが、ゼミの同期生たちはある時一斉に髪を短くして、授業にも時々スーツで現れることがありました。
 ゼミの同期生を卒業式で見送った2年後、大学院の学位授与式を終えた私は、散髪に行き、髪を短く切りました。海上自衛隊の幹部候補生として指定日に着隊する準備です。結局、私だけは就職が決まって髪を切ったことになりました。散髪屋から出てきて、「あの歌は間違ってたわけでもないなぁ。」などと思ったことを覚えています。
 もっとも広島県江田島の幹部候補生学校へ着隊したら、申告して手荷物を指定された居室に運び入れたとたんに有無を言わさず隊内の散髪屋に行けと言われ、バリカンだけで候補生カットに3分間で刈り上げられてしまい、事前に散髪に行ったのが無駄だったことが分かりました。
 
 当時、一方ではかぐや姫の「神田川」という曲が流行り、貧しくとも一生懸命に生きている若者をテーマにした曲や映画、ドラマが多数作られました。このジャンルが「四畳半フォーク」と呼ばれたことをご記憶の方も多いかと思いますが、「神田川」の歌詞に出てくるのは「三畳一間の小さな下宿」であって四畳半の部屋は贅沢だと言っているのかと勘違いしたことがあります。

 平井堅さんの「瞳をとじて」という曲を聴いた時には本当にびっくりしました。まぶたは閉じることが出来ても瞳は無理だろうと思ったのです。
 
 小学校の頃には「上を向いて歩こう」という曲が流行っていました。この曲はアメリカでも大ヒットして、現在でも懐メロばかり流しているラジオ局では一日に何度もかけられています。この曲を小学校で歌わされた時、目薬で実験したのですが、上を向いただけではこぼれることを防ぐことはできず、今で言うイナバウアーのごとくのけぞらなければならないことを発見しました。その姿勢で歩くのは困難でした。
 
 音楽だけではありません。
 よく1秒に満たない極めて短い時間のことを「コンマ1秒の差」などと言うことがありますが、あれがよくわからないのです。どう考えても0.1の点「.」はカンマ「,」ではないので、かなりの違和感があります。
 
 英語を短くするとき、頭文字をとるのはいいのですが、カタカナを短くするのはいただけません。パーソナルコンピュータをPCとするのはいいのですが、パソコンとするのは抵抗がありますし、ミスタードーナッツをミスドとするに至っては最低だと思っています。最近はCSのナショナルジオグラフィックチャンネルが自らのCMで「ナショジオ」と言い始めたのでうんざりしています。
 
 ヨットに乗り始めた頃、「好天」と「荒天」は耳に届くときは全く同じように聞こえるのに、実際はとんでもなく違うなと思ったことがありました。「恵まれる」天気と「見舞われる」天気の差の大きさに戸惑ったものです。

 秋篠宮家の眞子内親王殿下がご婚約されるというニュースが全国を駆け巡り、お相手がかつて「海の王子」として湘南藤沢の観光キャンペーンで活躍された方だと紹介されましたが、この「海の王子」について初めて聞いた時もびっくりしたものです。
 これは藤沢市の片瀬海岸で行われていたミスコンテストが発展して「湘南江の島『海の女王』&『海の王子』コンテスト」になったものです。
 毎年5月中旬に審査が行われ7月の片瀬海岸の海開きのときにお披露目され、そのためのポスターがいたるところに貼られています。
 江の島や片瀬海岸は私が散歩でよく歩いているところなので、このポスターはよく見かけます。最近は慣れてきたのであまり違和感もなくなりましたが、10年ほど前、このイベントのポスターを初めて見た時には凄まじい違和感を覚えました。
 何故かって?
 「海の女王」と「海の王子」コンテストですよ。
 お袋と息子を選ぶコンテストなんですよ。
 
 この私の傾向は海上自衛隊で30年間暮らしたことでパワーアップしたのだと思います。
 ある時、私は自衛艦隊司令部の監理主任幕僚という配置にいたことがあります。自衛艦隊というのは旧海軍の連合艦隊のようなもので、護衛艦や潜水艦、航空機など海上自衛隊の実力部隊で構成されています。その司令部の監理主任幕僚というのは会社でいうと総務部長、経理部長、人事部長を兼ねたような配置です。
 その所掌する事務の中に、自衛艦隊司令部から発簡される文書の審査があります。法令審査と文書審査の両方を行うのです。司令部から発簡される文書が法律や防衛省内部の規則、自衛艦隊の内規、過去に発簡した文書などに反していたり矛盾していないかを審査し、さらに、使われている用語や表現が正しいかどうかを審査するのです。
 かなり面倒な作業ですが、自衛艦隊司令官の名前で発簡される文書や命令が規則違反であったり矛盾があったり用語が間違っていたり、誤字脱字があったりすると大変なことになるので、慎重に行う必要がありました。「等」が示す意味はどこまでの範囲か、1.2mではなく120cmと表記するのはなぜか、意思と意志は使い分けられているか、など本当に重箱の隅をつつくようにして審査をしなければならないのです。
 
 この勤務のお陰で、言葉に対する私のこだわりが加速されたかもしれません。
 若い幹部が毎年書かなければならない論文の審査で「シュミレーション」などと書いてあるとその先を読まないこともありました。
 「遊び」の話なら「趣味レーション」でもいいが、業務上の話なら「シミュレーション」をしてくれ、というコメントをつけて返すのです。 
 
 最近の北朝鮮情勢をめぐる政府の発表を聞いていると、イライラさせられることがあります。
 ミサイルの発射や核実験のたびに首相のコメントは「断じて容認できない。毅然と対応していく」というものですが、何故「断じて容認しない」と言わないのかと思うのです。
 「容認できない」というのは客観的に不可能であることを示しているだけであり、意思が示されていません。
 一方、「容認しない」というのは明確な意思表示です。自らの意思をはっきりと示さないから、「毅然と対応する」といくら言っても舐められるのです。
 首相が「毅然と対応する」という時は「具体的なことは何もしない」と言っているのに等しいのではないかと最近は思っています。

 専門技術商社に就職して、ある営業部の部長になったとき、驚いたことがあります。
 私の営業部で扱っていたある取扱商品が別の営業本部でも扱うことになり、業務の調整が必要になったのですが、その別の営業本部の営業企画部長が私のところに来て、私の営業部の状況について把握しておきたいので、毎週金曜日にその週の営業状況を彼に報告してくれ、というのです。私は営業部長で、彼は別の営業本部に属する営業企画部長です。
 私は「報告はしない。通知ならしてやる。私が報告するのはうちの本部長と社長だけだ」と言い渡したのですが、この私の言葉の意味を彼は理解できなかったのです。 
 
 「そんなつまらないことにこだわっているから。お前の書く文章はつまらないんだ」と言われることがあります。
 
 確かに日本語には曖昧なところがあって、それがある意味で日本語の美しさを作っているのかもしれません。また人間関係を円滑に保つ役割を果たしているということも言えるかもしれません。
 
 しかし私は言葉にこだわりを持っています。
 なぜなら、言葉は「想い」を表し、いい加減な言葉を考え無しに使っていると、その考えそのものがいい加減になってしまうからです。

 例えば、劇的な言葉を使うと、その言葉に自分で酔ってしまい、本質を見失うことがあります。
 
 先の大戦中、日本軍は守備隊の全滅を「玉砕」という言葉で表現しました。この言葉が最初に使われたのはアッツ島守備隊の全滅の時だそうですが、これ以後、日本軍は孤島で激戦を繰り広げた部隊が全滅すると、玉砕という言葉を使って発表しました。
 この結果、援軍を送ることもできず、撤退させることもできずに全滅させてしまうという異常事態に対する感覚を麻痺させていきました。
 部隊が全滅してしまう作戦を立てると責任問題ですが、玉砕する作戦は責任を問われないようなのです。
 
 大決戦に臨むに際しての司令官の訓示も、日露戦争の頃の記録を読むと、「願わくば努力せよ」というような文言だったようです。今の感覚で聞いてもかなり控えめな表現に聞こえますが、当時は司令官の訓示として部隊を奮起させるに十分な表現だったのでしょう。
 ところが、先の大戦も後半になってくると「天祐を確信し、全軍突撃せよ」というような表現になっています。
 ついに神頼みになっているにもかかわらず、誰もそれを変だと思わないのです。
  
 言葉はその人の育ちや受けてきた教育、社会立場などいろいろなものを肩越しに透けて見せてしまいます。ほんの一言が人を傷つけたり、あるいは窮地から救ったりします。
 自らを励ます言葉もある一方、うっかりした言葉を使うと自分自身をだますことにもなりかねません。
 言葉には拘りを持たなければならないと信じています。