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専門コラム「指揮官の決断」

第39回 

No.039 トリアージ

カテゴリ:コラム

 トリアージという言葉をお聞きになったことがあるでしょうか。
 大規模災害など救急事故現場において、患者の治療や搬送の順位決定、搬送先の指定などを迅速に行い、効果的な治療ができるように選別を行うことを言います。
 
 医師は患者にほとんど蘇生の見込みがない場合でも死力を尽くして治療に当たります。絶望的だと分かっていても、専門的見地から死亡を確認しない限り、あらゆる手段を講じるのが医師です。
 しかし、自然災害や鉄道・航空機事故、テロなどにより大量に死傷者が発生した場合、現場の医師の不足、収容のキャパシティの不足などで治療を行うことのできない患者が発生してしまうことがあります。
 そのような場合に、治療や搬送の優先順位をつけて、一人でも多くの患者を救おうというのがトリアージです。
 
 具体的には、一定の判断基準に従って治療の必要性の有無とその優先順位を現場で決めていき、その患者に色分けされたカード(トリアージ・タグ)をつけていきます。
 通常、優先順位を4段階に分類しているようですが、その段階ごとに色の異なるタグが付けられていきます。
 救急隊員などはそのタグを識別しながら搬送し、また治療に当たる医師もそのタグが示す優先順位に従って治療を行っていくのです。

 もともとヨーロッパでフランス革命以降、数多くの戦争が行われ、戦場での負傷者数も兵器の発達により膨大な数にのぼるようになったことにより生まれた発想です。

 私のような医療の素人が考えると、無理もない発想かと短絡的に思ってしまうのですが、実はこのトリアージには大きな問題が含まれています。
 なぜなら、医師たちはこのトリアージの実施に当たり、医療従事者の倫理と戦わなければならないからです。

 特に戦場においては、治療の優先順位の考え方が私たちの日常の感覚と異なることがあります。一刻も早く適切な治療をしなければならない重症患者よりも、簡単な手当てで戦線に復帰できる兵士の方が優先的に治療されることになりかねないからです。

 現場での医療に限界がある場合、この判断は致し方のない場合があります。早期に戦力を回復しないと全滅してしまう恐れがあるからです。しかし、医師は戦場の論理とは別の論理に従って医療を行います。赤十字の規約では差別的医療は禁止されているのです。

 したがって、民主主義国では一応にこのトリアージの導入には否定的でした。日本も明治時代にヨーロッパに留学した森鴎外らがこのトリアージのシステムを持ち帰って導入の検討をしましたが、やはり持ち帰った森鴎外自ら医療における邪道であるとして採用を見合わせています。
 
 米軍はもともと戦場にも大規模な医療設備を持ち込み、充実した野戦病院を開設するので、現場の医療能力が高く、トリアージには否定的であり、その導入はヨーロッパ諸国に比べて遅く、朝鮮戦争以降のことになりました。
 第2次世界大戦でいくつか行われた大規模な上陸作戦の初期の段階において、海岸地域に橋頭保を確保するまでに大きな被害を出すことがあり、この現場での軍医や衛生兵による治療能力の限界が問題とされて戦後に研究が始まったようです。

 たしかにトリアージというのは難しい問題を多数内包しています。
 トリアージが戦場で行われ対象者が軍人である場合には、患者側の覚悟もできていますし、早期戦力回復が優先されるのも致し方ありません。さらには優先順位の関係で治療が遅れたことにより死亡したり障害が残ったりしても国家からの補償や勲章が贈られるなどのフォローがあります。
 しかし、テロや大規模災害などで一般市民が犠牲になった場合、機械的な作業により優先順位が付けられていくことに納得できない患者も出てくるはずです。

 日本では阪神・淡路大震災を機に総務省などを中心に救急医療の現場で検討が行われ、トリアージ・タグの書式が統一されていますが、判定基準であるSTART法への習熟や法的に死亡判定をすることができない救急救命士が直ちに処置を行っても救命が不可能だという「黒」のタグをつける決断をすることが難しいなどの問題が沢山あります。
 
 南海トラフに起因する大規模災害の起きる確率が年々高くなっています。首都圏直下型地震も同様です。また、ISのテロがわが国だけを標的としないという保証はどこにもありません。核ミサイルが飛んで来る虞も出てきました。
 このような情勢を冷静に顧みれば、トリアージのシステムの早急な整備が焦眉の急であることは一目瞭然です。
 厳密かつ明確なガイドラインの策定や関係者の教育を急ぐ必要があります。また、どうしても防ぎようのない判断ミスについての国民の理解も必要になります。
 一般に7割以上の患者に適切なトリアージが行われれば成功と言われるトリアージです。2割は判断のミスが起きることを覚悟しなければなりません。しかもその2割はほとんど死亡につながる判断のミスなのです。

 解決しなければならない問題は山とあるかと思います。同じ程度に重態の場合、妊婦とそうではない女性の優先順位の付与やトリアージタグが色で識別されることによる色覚障害者による勘違いをどうするかなど、私のような医療の素人が考えただけでも大変な問題がありそうです。
 
 しかし、私たちの社会には検討の時間があまり残されていないかもしれません。
 関係者の方々のご尽力に期待するとともに、私たち一般市民も、トリアージという行為の本質をよく考え、理解をする必要があります。
 
 トリアージを行う医療関係者は、身を切られるようなつらい思いを押し殺して、本来の倫理観と闘いながら医療を行うのだということを私たちは理解しなければなりません。