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専門コラム「指揮官の決断」

第44回 

呆れてものが言えない

カテゴリ:コラム

北朝鮮がまた我が国の排他的経済水域にミサイルを撃ち込みました。

今回の発射は、通常より高く打ち上げるロフテッド軌道で発射され、高度は3500キロを超えたと言われます。理論的に言えば、米国東海岸へ到達する射程を持つミサイルだったことになります。

もし、このミサイルが大気圏再突入を確実に行えるミサイルであったとすれば、北朝鮮は完全なICBMの開発に成功したことになります。後は、このミサイルに搭載できる小型の核弾頭の開発ができているかどうかだけです。

この北朝鮮の挑発的行動にも唖然としますが、私が呆れているのは北朝鮮ではありません。我が国政府の対応です。

このミサイル発射に際して、首相官邸で記者の質問に答える安倍首相の発言を報道で聞いて唖然としたのです。

首相は「我が国に対する脅威が重大かつ現実のものになった。」と述べ、「北朝鮮に対する圧力を強化していくしかない。」と断言されました。

私は政治家、評論家という人種とマスコミが大嫌いだと当コラムでも度々申し上げておりますが、彼らに期待も希望も幻想も持っていません。しかし、この首相には見るべきところがあるのではと密かに思っていました。

やはりこれも幻想だったと思い知らされた次第です。

北朝鮮のミサイル発射については、そのたびに首相は「断じて容認できない。」というコメントを繰り返してきました。私はこのコメントに問題があると指摘してきました。

「容認できない」というのは不可能であるということを示しています。客観的に無理、と言っているだけです。

何故「容認しない。」と言わないのか。

「容認しない」という言葉には話し手の意思が示されています。一方、「容認できない」という言葉には、その意思が示されていません。

北朝鮮には様々な経済制裁などの圧力をかけています。しかし、彼らはそれらに全く頓着せず、発射を続けています。しかも、最近は我が国の排他的経済水域への弾着が続いています。

元々、ロケットの発射実験を行って公海上に着水させることは問題ではありません。科学技術の発展にとって必要な作業であり、どの国も行っています。ただ、事前に公示を行い、危険水域を設定し、かつ現場の安全を確認する手段を講じなければなりません。例えば、現場海域で海難救助などが行われており、公示期間中にその海域を離れることのできない船舶などが存在する場合にはロケットの打ち上げは延期しなければなりません。これが国際法上の手続きです。

北朝鮮の発射はこの公示を行っていません。まして弾着したのは我が国の排他的経済水域内です。

これは我が国の国益が直接侵されていることに他なりません。

そのような行為が何度行われても、首相はただ「断じて容認できない、」と言い続けてきました。容認しないのではなく、容認することができないと言い続けているのです。

そして圧力は何ら功を奏していないのです。あるいは功を奏しているのかもしれず、いよいよ経済的に追い詰められて、断末魔のあがきをしているのかもしれません。しかし、我が国がかけている圧力がミサイルの発射を思いとどまらせてはいないのです。

しかるに、今回、首相はその何の役に立っていない圧力を強めるしか方法がないと言ってのけたのです。他の手段を取るつもりは無い、これまでやってきた役に立たない方法を引き続きダラダラと続けるしか手がないというのです。

私は呆れ果ててものを言う気力さえ失せ果てるかと思いました。

そこへダメ押しのように行われたのが稲田防衛大臣の辞任です。

もともとこの防衛大臣については適性が云々されてきましたが、私はそれがあまり問題だとは思っていませんでした。どうせ政治家で安全保障をしっかりと勉強してきた人などほとんどいないので、誰がなっても同じなのです。

むしろ、当コラムでも指摘したことがありましたが、かつて東日本大震災で、福島原発を冷却するためにヘリコプターから散水するという危険極まりない任務を自衛隊に命ずるに際し、自らの責任を回避するため「首相と私の思いを統幕長が汲んでくれた。」と言って平気で政治主導どころかシビリアンコントロールまで放棄してしまった防衛大臣、その後任の、ゴラン高原へPKOを派遣しておきながら、その行き先がヨルダンだと思っていたり、また、その緊急事態における撤収計画も表紙しか見ていないという防衛大臣よりは遥かにましな大臣でした。

しかし、陸上自衛隊の日報問題や都議会選挙での失言などから更迭はやむを得ないところではあったでしょう。

私が本当に耳を疑ったのは、後任として外務大臣が兼務するという報道を聞いた時でした。

この政権に他に人材がいないのは分かります。

現外務大臣が優れた外交手腕をお持ちであることも間違いありません。

しかし、外務大臣に防衛大臣を兼務させるという無神経さは尋常ではありません。

日本が周辺国にそのような印象を与えてしまうということはなさそうですが、もし、米国の現トランプ政権が国務長官と国防長官を兼務させるという決断を下したとすれば、世界は、米国が外交努力を放棄して国際問題をすべて武力をもって解決するつもりだと思うでしょう。

外交と軍事が一元化されるということは絶対にあってはなりません。

防衛当局は軍事的合理性を徹底的に追求し、外交当局は外交上の努力を最後まで追求できなければなりません。

軍事的判断と外交的判断は別物です。それぞれが専門的見地から意見を衝突させなければならないのです。

徹底的に議論したうえで合意を形成していくからこそ健全な政治的判断ができるのです。これが鉄則です。

さらには、これを問題視しない野党やマスコミにも呆れています。

つまらない枝葉末節を巡って国会で大騒ぎするにもかかわらず、外交当局の長が防衛当局の長を兼務するという異常事態に何故反応しないのか。また評論家と称する連中はなぜ一言の論評もしないのか。この意味を理解する能力が野党にもマスコミにもないのでしょう。評論家連中はこの問題の所在に気付いてすらいないようです。

明日、8月2日に予定されている内閣改造までの繋ぎかもしれません。しかし、もし、それまでの1週間に安全保障上の事態が生起したらどうするつもりなのでしょうか。

軍事力の行使と外交を一人の大臣が担うことになるのです。

最後まで粘り強く外交努力を続けなければならない外務大臣が、自衛隊に対する防衛出動準備を指示し、監督しなければならないのです。

できるわけがありません。最悪の事態を回避するために、不可能を可能とする努力を最後の最後まで続けなければならないのが外務大臣であり、不幸にして安全保障上の事態が生起してしまったら、その一刻も早い収束に向けた調整に没頭しなければならないのも外務大臣です。

その外務大臣に軍事的解決というオプションを与えるなどということはあってはならないのです。太平洋戦争からマスコミは何を学んだのでしょうか。

我が国の戦後の憲政史上最悪の危機かもしれないのです。

戦争回避のために死に物狂いで取り組んでいる外務大臣に防衛出動の命令を出せというのは、どういう神経なのでしょうか。

野党も政権のスキャンダルを暴くことのみに奔走しており、我が国の安全保障などどうでもいいのでしょう。無責任極まる態度です。

もともと政治家に倫理観や責任感など期待はしていないと言うものの・・・・

首相は、我が国の防衛に一瞬の空白も生じてはならないとして、稲田大臣の辞表を受理する早々外務大臣に兼務を命じました。一瞬どころか一週間の空白を平気で作ったことになります。

我が国の安全保障をその程度にしか見ていない現政権にはほとほと愛想が尽きます。

やはり政治には期待も幻想も持ちようがないとつくづく思いますし、マスコミについてはコメントする気にもなりません。

この問題に気が付かないマスコミなどは、せいぜい芸能人のスキャンダルを探し回るのがお似合いで、それが身の丈でしょう。ハイエナ以下、寄生虫以外の何物でもありません。

二度と言論の自由などと偉そうなことは言って頂きたくないとだけ申し上げておきます。