専門コラム「指揮官の決断」
第48回No.048 災害救助犬
災害救助犬という犬がいるのをご存知でしょうか。
雪のアルプスでセントバーナードが首から救急箱をぶら下げて遭難者の救助をしている絵が浮かんできます。それが救助犬です。
世の中には様々な任務を持った犬がいます。作業犬とか使役犬などと呼ばれ、各方面で活躍しています。猟犬、牧羊犬などもそうですし、警察犬、麻薬探知犬などを空港で見かけることもあります。盲導犬や介助犬などといわれている犬たちもいます。
それぞれ、犬種ごとの特性や能力に応じて活躍することが期待されています。
災害救助犬というのもそのうちの一つで、この犬たちは人間の数万倍の能力があると言われる嗅覚を活かして、災害現場における行方不明の生存者の捜索に従事しています。
日本にこの災害救助犬は200~300頭いると言われています。
問題なのは、災害救助犬の認定基準が曖昧なので、様々な団体が独自の基準で認定しているため、本当にその能力を持った救助犬が何頭いるのかが分からないことです。
救助犬を誘導するハンドラーと呼ばれる人たちも、所属する団体ごとに基準が異なり、本当に災害現場を知っているのかどうかかなり疑わしいハンドラーが多いのです。
大規模災害の現場に入るためにはそれなりの装備が必要です。後方支援が得られない場所も多いので、ある程度の自己完結性も必要ですし、そもそも自分の安全を守る装備品が必要なのですが、そのような現場に長靴とジャージーで犬を連れて現れるハンドラーもいます。
消防の救助隊員からヘルメットを貸してもらっていることすらあります。
したがって、災害現場に出て来ても、救助活動の邪魔になることはあっても役に立たないという認識が警察や消防などの公的な救助組織にはあります。
そこで、せっかく救助犬が駆けつけても、「現在、救助隊が活動中なので現場に入るな」と言われて待機させられてしまうことが多いようです。
ところが、諸外国は事情が全く異なっています。
諸外国の救助隊が災害現場に駆け付けると、まず救助犬に捜索をさせます。
救助犬が何の反応も示さなかった場合には、救助隊は車から降りることもせずに次の現場へ行ってしまいます。
なぜなら、救助犬が反応しないということは生存者がその現場にはいないということなので、そこでやるべきことは遺体捜索となるため、発災当初の72時間は生存者の捜索を優先するからです。
そこまで災害救助犬の能力が信頼されています。
それは国際的に認められた基準に従って救助犬とそのハンドラーが検定を受け、厳しい審査の上に能力が認定されているからです。
日本にもその認定を受けている救助犬とハンドラーのペアが数組だけ存在します。
災害救助犬について国際的な基準を定め、その訓練方法を研究している団体が国際救助犬連盟(IRO:International Rescue Dog Organization)です。
オーストリアのザルツブルグに本部を置き、世界40か国近い国のおよそ90の団体が加盟しています。
このIROは国連の国際捜索救助諮問機関(INSARAG)内の自らが参加している特別作業委員会が作成したガイドラインに基づき、毎年救助犬を対象とした「国際出動救助犬チーム認定試験(SD MRT)」を行っています。
合格者はINSARAGから認定され、出動時には被災地国連指揮所(UNDAC)の指揮下で捜索救助活動を行う体制が確立されています。
主要国の軍隊や警察はこの認定を受けた救助犬を保有しており、国際緊急援助の際などにはその犬たちを連れて出動してきます。
国連は世界中から救助チームの出動を要請しなければならない場合には、INSARAGが要求する認定基準をクリアしたチームの派遣を要請してきます。役に立たないチームが来ても困るからです。その際、救助犬を連れてくるチームは「ヘビーチーム」と呼ばれ、連れてこないチームは「ライトチーム」と呼ばれます。それほど救助犬の存在が重要視されているのです。
オーストラリア陸軍もこの救助犬を養成しており、いつでも出動できる態勢を取っているのですが、厳しい検疫の問題があって、自分たちの犬を連れて出てくることができません。連れて出てくるのはOKなのですが、任務を終了して帰国する際に検疫のためにしばらく救助犬が検疫施設に留め置かれてしまうのです。この場合、オーストラリア国内で大規模災害が発生した場合に救助犬を使うことができないのです。
したがって、彼らは独自の救助犬を国内に留め置き、被災地でボランティアでやってきた他国の救助犬を統制下においてヘビーチームとなっています。つまり、彼らも救助犬が極めて信頼できることをよく知っているのです。
日本にも1995年の阪神淡路大震災の際に救助犬が駆けつけてきたのですが、検疫のため現場に進出することができなかったという前例があります。
その後、世界的な警察犬トレーナーの村瀬英博氏を中心として災害救助犬の育成に関する研究が始まり、我が国にも救助犬の訓練や能力の基準に関しIROの認定を受けることができる組織が誕生しました。それが救助犬訓練士協会(RDTA:Rescue Dog Trainer Association)です。
村瀬理事長や大島かおり理事など警察犬の訓練士としては世界的に有名なトレーナーが救助犬の養成、ハンドラーの教育に当たっています。
このRDTAはIROの下部組織、日本支部にあたり、我が国で数少ない国際的な基準で災害救助犬の養成や認定を行っている組織です。
犬の能力はもとより、ハンドラーについても厳しく審査が行われ、夜中に10Kmを地図を頼りに歩いて災害現場に進出したり、負傷した犬に対する応急措置や発見した生存者の蘇生措置などもできなければなりません。装備品についても規定があり、既定の装備品を持っていないと検定試験で不合格になります。
しかし、残念ながら一つのNPOでできることには限界があります。行政の理解や補助が無ければ多数の救助犬の養成とハンドラーの教育は行うことができません。
一方で、行政は実績の無いものに予算を付けることが難しいという問題を抱えています。RDTAは各地の警察や消防の救助組織と合同訓練を行うなどして、徐々に理解を得ていますが、なかなか全国的に理解を得る状況にはなっていません。
我が国の公的機関で救助犬を養成しているところが無いわけではありません。
不思議なことに、海上自衛隊が養成しているのです。10年ほど前に、広島県呉市にある海上自衛隊の呉造修補給所の下部組織である吉浦貯油所という燃料の保管及び補給を行う部隊において、その養成が始りました。多数保有している警備犬の中から数頭、適性により選ばれた犬が救助犬の訓練を受け始めたのです。
その訓練の指導に当たったのがRDTAの村瀬理事長でした。
海上自衛隊が災害救助犬を養成することについては部内でも賛否両論ありましたが、歴代指揮官の理解と熱意により養成が続けられ、現在では横須賀でも訓練が行われており、全国に広がりつつあります。
彼らが初めて救助の任務で出動したのは東日本大震災でした。
宮城県の山本町に進出しましたが、津波でほぼ全滅している地区においての生存者発見はできませんでした。しかし、そのチームが被災した家の2階に取り残されていた老夫婦を発見して救助するという成果は挙げています。
広島県の豪雨災害にも出動し、地元警察や消防などの救助隊と合同で捜索に当たるなど、徐々に理解は広がっているようではあります。
救助犬の養成については、法的にも整備しなければならない問題があります。日本では国際緊急援助に出動するのは、法律により消防、警察、海保、自衛隊及び医師・看護師に限られており、民間の救助犬チームが国際緊急援助チームに入ることができません。つまり、政府がチャーターする飛行機で同行できないのです。
したがって、RDTAなどは海外での大地震などでは自腹を切って現地に進出し、現地で、例えばオーストラリア軍の統制を受けて公的な救助チームの一員として活動をしたりしています。
災害の救助に赴く彼らが、自らも危険と闘いながら活動するに際して、自腹を切らなければならないというのも何とかしなければならない問題ですし、2次災害に巻き込まれた場合など、国際緊急援助チームの場合は公務として認定されますが、民間のボランティアにはそのような認定はありません。当然のことながら保険金も支払われません。
そのような扱いについては、早急に措置がなされる必要があると思われます。
その場合に障害になるのが、いい加減な基準で認定された災害救助犬であり、ろくに訓練も受けず、装備も持たないハンドラーの存在です。彼らのお陰で、災害救助犬自体が胡散臭いものと思われてしまうのが困るのです。
最近の台風はかつては考えたことの無いような勢力を保ったまま上陸してきます。また、台風ではなくともゲリラ豪雨などと呼ばれる極端な雨が降ることも珍しくなくなりました。あちらこちらで土砂災害が発生しています。
南海トラフに起因する大震災が迫っている現在、制度上の問題を早くクリアして、早急に多数の災害救助犬を養成し、ハンドラーを教育していく必要があります。
南海トラフに起因する東海、東南海、南海地震が同時に生起すると、私たちがかつて経験したことの無い、3.11の比ではない桁違いの災害になります。
同時に起きるかどうかは分かりませんが、南海トラフに起因する地震を避けることはできません。その日は必ず来るのです。
今できる準備を始めておかなければ後世から、何の対策も取らなかった怠惰な世代と呼ばれてしまいます。
やらなければならないことは山積しています。