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専門コラム「指揮官の決断」

第49回 

No.049 二度とは言わん

カテゴリ:コラム

 大学を出て海上自衛隊に入隊し、幹部候補生として広島県江田島の幹部候補生学校に入校したとき、塀で囲まれたこの世界では、あらゆることが一般社会とは異なっており、最初はカルチャーショックの連続でした。
 特に、4月初めに入隊してゴールデンウィークの休暇までは、入校特別教育期間中として土・日もなく訓練が続き、徹底的に娑婆っ気を抜く教育が行われるのです。
 
 多くのことは、さすがに軍隊だなと思わせるもので、慣れるしかないと考えていましたが、一つだけ、何故だろうと疑問がしばらく付きまとったものがありました。
 
 この特別教育期間中、教官や指導官が二言目には「二度とは言わんからよく聞いておけ」というのです。
 あまりにもしつこく言われるので、「何なんだろう?」と疑問に思っていました。
 とにかく、二度と言わないから一度で理解せよ、と言われ続けるのです。
 二度言ってもらえないのですから、要領よくメモを取っておかないと後が面倒です。
 特に当直に当たっていて、教官や指導官のところに命令受領に行く際には、聞き直すことができませんので、真剣に聞いておかなければなりません。

 それは分かるのですが、隊内で行われる放送も一度しか行われないのです。
 この放送では、抜き打ちの訓練が命ぜられることがあります。
 よく行われたのは「総短艇」という訓練です。
 これは候補生学校の名物ともいわれる訓練ですが、全長9m重量が1.5トンあるカッターと呼ばれるボートを漕ぐ訓練です。
 日常的にもこのカッターを漕ぐ訓練は行われています。とにかく長く重いオールを両手で掴み、全身を使って漕がなければならず、候補生学校の訓練の中でも最も厳しい訓練の一つです。ただ漕ぐだけでも大変な短艇ですが、「総短艇」となると話は全く別になっていきます。
 
 カッターは海岸の岸壁に作られたダビットに吊り下げられており、各分隊の短艇係を中心に常日頃から手入れが行われています。
 「総短艇」というのは、このカッターを降ろして沖のブイを回って帰ってくるという作業がいきなり命ぜられて、各分隊の順位を競うという競争なのです。

 「学生隊待て!」といきなりアナウンスが鳴り響きます。
 候補生は何をしていても直立不動の姿勢を取らなければなりません。
 引き続き「総短艇用意」が下令されます。その後、あらかじめ定められた艇員の編成要領、ブイの回り方などのルール及び服装の指定が端的に示され、「かかれ!」とアナウンスされます。この最後の「かかれ!」がアナウンスされるまでは動いてはならないのですが、発動となると各分隊の名誉がかかった競争ですので、我先に隊舎を飛び出し、グランドを駆け抜け、ダビットへ走り寄り、皆で力を合わせてカッターを海面へ降ろし、その日のクルーが飛び込むように乗り込んで一斉に漕ぎ出します。
 
 私たちが候補生の頃は起床の直後に行われることが多く、起き抜けに全力疾走するのでダビットにたどり着いた時には貧血を起こして唇が紫色になっていることがよくありましたが、不意を衝いて行われるので、午後の課業が終わって各人が夕食を取っていたり入浴をしていたりする時に発動になることもありました。
 構内にいれば放送は比較的よく聞こえるのですが、建物の外にいると聞き取りにくいことがあります。
 それでも放送は一度しか行われませんので、間違いなく理解してそれに対応しなければなりません。

 この二度とは言わないということの意味が分かったのは、任官して船に乗組んだ時でした。
 船の上の作業では号令や指示に対して総員が一挙に反応しなければ事故が起きることがあります。また、くどくどと何度も説明しなければならないとなると事態についていけないことにもなりかねません。
 戦闘中は一瞬の遅れが致命的になります。
 
 つまり、命令や指示は繰り返すことなく、一回で確達されなければならないのです。
 このためには、何か放送が入ったり、誰かが指示をしていたりしたら、緊張して確実に聴きとらなければならないと同時に、指示を出す方も、一回で確実に理解させるようにしなければならないということなのです。
 伝える側にも技術が必要です。要領よくまとめ、誰にでも理解できること、つまり、簡潔さと明瞭さがなければなりません。

 普段からこのことの重要さを躾として身に付けさせる意味もあって、海上自衛隊では号令が繰り返されることはありません。
 艦内のマイクも、繰り返し放送されることはありません。火災が発生して防火部署を発動するときも戦闘配置を下令する時も号令は一回です。
 
 海軍兵学校の出身者に昔話を聞くと、旧海軍も同様だったそうです。
 よく日本の戦争を題材にした映画で「戦闘配置に付け、繰り返す、戦闘配置に付け」とマイクにがなり立てているシーンがありますが、あれは時代考証の間違いです。繰り返されることはありませんでしたし、そもそも「戦闘配置に付け」という号令そのものがありませんでした。
 配置に就けるときには、それが水上戦闘なのか対空戦闘なのか、あるいは対潜戦闘なのかが指示されるのみで、配置に付けという当たり前のことは号令されないのです。つまり、「対空戦闘用意!」の一言で終わりなのです。

 このように、簡潔で明瞭な指示が一回で組織の隅々に確実に行き渡るということは大切なことです。
 指示が繰り返されることが常となっていると最初の指示を誰も聞こうとしなくなります。その結果何遍も指示を出さなければ全体が動き出さないという習性が出来上がってしまいますが、困るのは、途中で指示が微妙に変わっている場合に、誰もそれに気が付かないことです。
 
 海上自衛隊を退官して商社に勤務を始めた頃、少なからず驚いたことがあります。
 部長以上が出席する会議などで社長から様々な指示が出されます。
 私は自分の部に帰ってくると、すぐにその指示に従った行動に着手するのですが、横の部の部長たちは何故か手を付けません。
 次の会議などで、社長からその後どうなっている?などの質問があるのですが、どの部もはっきりとした答えをしないのです。何回か同じようなことが繰り返された挙句、とうとう社長が怒り出すと、各部もやっと手を付けるようです。
 その過程において、社長の指示も微妙に変化していきます。各部がすぐに反応しないので、修正を加えているのです。

 これは完全に悪循環です。
 私は指揮官の指示にはすぐに反応する習性が身に付いているのですが、各部長は、すぐには反応せず、少し様子を見ています。どうせ思い付きなので、気が変わるだろうということのようです。
 その結果、なかなか反応しない部長たちに腹を立てつつ、社長の方も指示に修正を施してきます。
 
 つまり、指示を出す方も、確信をもって簡潔明瞭に伝えているのではなく、それを受ける側も、どうせ何度も言われるから、いよいよとなるまでは反応しないという循環が形成されているのです。
 これでは打てば響く組織にはなりようがありません。
 
 人を指導する立場になって初めて、「二度とは言わん」と言い切ることがどれほど難しいことなのかが分かりました。
 くどくどと説明するのではなく、簡潔明瞭な指示を確実に浸透させるということがいかに大変なことなのか、やってみてはじめて分かったのです。
 候補生学校の教官たちも、それなりの覚悟をもって「二度とは言わんから、よく聞いておけ」と言っていたのです。
 
 簡潔明瞭な指示を確実に浸透させるということは、大変に難しいことです。しかし、経営トップはこれができなければなりません。
 くどくどとよくわからない指示が出され、それも朝令暮改ということでは誰も付いてこないのです。
 簡潔明瞭な指示により一回で組織を動かすということは、簡単ではありませんが、訓練によりできるようになります。
 経営者は、常に自らの指示が簡潔で明瞭なのかを自省し、どのように表現し、どのように伝えればいいのかを考え続ける必要があります。しかし、それを考えて続けていく努力は確実に報われていきます。何も考えていない経営者の指示に比べて、目に見えて説得力のある指示が出せるようになります。
 意識するかどうかの違いでしかありません。