専門コラム「指揮官の決断」
第51回No.051 危機管理専門家の危機管理
危機管理を専門としていると、あまりへまな真似ができません。おまえ自身が危機管理が出来ていないじゃないかと言われかねないからです。
要は脇を固くしていればいいのですが、人のことは見えても自分のことになると見えないことが多いので一層気をつけなければなりません。中学・高校の同期の歯科医で、会うたびに歯が痛いとしか目面をしている奴がいますが、こいつのことを笑ってばかりもいられないのです。
その私が日常生活でどのようなことに気を付けているのか、その一端をご紹介します。皆様の身近な危機管理のご参考になれば幸いです。
私の危機管理はまず正月に始まります。
テレビドラマのタイトルではありませんが、私は黒皮の手帳を愛用しています。ファイロファクスがまだ日本で売られていなかった1983年に遠洋航海で立ち寄ったイギリスのポーツマスで買ったものをまだ使っています。
この手帳のリフィルを取り換える際に真っ先にやるのが、我が家の司令長官(家内です。)の誕生日と私たちの結婚記念日の転記です。最近はリマインダーに登録してあるので、Googleのカレンダーが教えてくれますが、長年の習慣です。
もしこの二つの日を失念するようなことがあると、それこそ想定外の危機に見舞われることになるかもしれません。
「想定外の危機を乗り切るのは、お前の専門だろう」とおっしゃる方もおられるかと思いますが、専門家と言えど簡単にできることとできないことがあります。
どんな名医でも、人の病気は治せても自分の場合には勝てない病気があるのです。
そもそもそういう危機に陥らないよう手を尽くしておくことが大切です。
孫子も「戦わずして勝て」とおっしゃっています。
所用で外出する際、私は約束の時間に遅れるということがまずありません。鉄道を使う場合には会合の時間の少なくとも1時間以上前には現地の近くに着くように予定を組むのが普通です。
鉄道は人身事故や故障により1時間程度遅れることが珍しくありませんが、それを遅刻の言い訳にするようでは危機管理の専門家とは言えません。仕事が溜まっていることもありますが、多少重くなっても小型のPCを鞄に潜ませ、現場近くのカフェなどで片付けるようにしています。
これは30年間の制服生活で身に付いたものです。船の出航に遅れることは何があっても許されません。特に、軍艦の場合、出航後に戦闘に参加した場合、乗り遅れた乗員は敵前逃亡の罪に問われるのが軍隊の常識です。そのため、若い頃は出航の前夜は船に帰って寝ていることがよくありました。どんなに酔いつぶれて船に戻ろうと、翌朝の出航時に船の中にいることは間違いなく、二日酔いで頭がガンガンしていても乗り遅れるよりは遥かにましだからです。
決められた時間の5分前には現場に進出するのも30年間の海上自衛隊生活の習慣です。帝国海軍からの伝統である「5分前の精神」というのを徹底的に叩き込まれているのです。
外出する際には、鞄にキャラメルやチョコレートなどのカロリーの高いものを少しだけ放り込んでいきます。帰宅が遅くなることが予想される場合にはペットボトルの水を買って持っていることもよくあります。
これは電車が止まって身動きが取れなくなったり、地震などで交通機関が使えずに歩いて帰らなければならなくなった時の備えです。ある一定の年齢以上の方であれば、昔グリコのキャラメルのパッケージに「一粒で300メートル」とあったのを覚えておられるかと思いますが、空腹時に歩き続けるためには、水と一粒のキャラメルは大きな味方です。
スマートフォンで音楽を聴いたり、動画を見たりすることはありません。音楽を聴いたり外国語の耳慣らしをしたりする際には専用のデジタルデバイスを使います。そのためにSIMカードを外した古いスマートフォンを使うこともあります。緊急時の連絡に使うスマートフォンのバッテリーの消費を最小限に抑えたいからです。
私は湘南に住んでいますが、車で移動する際、海岸線を走っている時には必ずラジオを聴いています。CDをかけることはありません。車で動いていると地震の揺れを見逃すことがあり、津波の襲来を予期できないからです。ラジオなら臨時ニュースが流れます。Jアラートも放送されてきます。
また、海岸線以外を走行中にCDをかけている時もボリュームには気を使っています。
緊急車両のサイレンを聞き逃して交差点に進入したりすることを防ぐためです。
ここまで読まれた方は、なんと小心な奴だと思われているでしょう。
そう見えるかもしれません。
危機管理は詰められるところは徹底的に詰め、そうでない所は大胆に切り捨てることが大切です。気を使うべきところには小心に見えるほどの気を使い、一方、正解がない問題と対峙する際には、即断即決する大胆さが必要なのです。
あえて申し上げれば、繊細かつ大胆でなければならず、それは粗暴かつ小心であることの正反対なのです。
さらに若干のご参考を付け加えておきます。
女性や小柄な方は朝のラッシュ時や夜遅く電車を待つ際、先頭車両に乗るとき以外は、列の先頭に立つことは控えた方がいいかもしれません。
混雑時や酔っ払いが多い時間などはぶつかってホームから落ちることがあるからですが、先頭車両に乗る際にはその車両が目の前に来る頃には進入してくる電車のスピードがかなり落ちているので、退避する時間が若干あります。
一方で、最後尾に乗る時には、目の前を先頭車両がものすごい勢いで通り過ぎますので、ホームから転落しないよう用心が必要です。
最近は駅で注意喚起の放送が繰り返し流されているにもかかわらずスマートフォンを見ながら歩く人が多く、ぶつかって危ない思いをすることがありますので、特にプラットフォームでは気を付けてください。一昨年の秋、米国での勤務を終えて帰国して以来、地下鉄のホームで危ないところを2回も見ています。
預金通帳やクレジットカード、免許証や保険証書などはコピーを取って家とは別のところに保管することをお薦めします。火災などで焼失した際、再発行が便利です。セキュリティ上の不安が無ければクラウドに上げておくという手もあります。
銀行の貸金庫は、核ミサイルの直撃でも受けない限りはまず大丈夫です。小さな書類専用のものは安く借りることができるので、これを利用するのはお薦めです。
合わせて結婚式の写真や子供さんの小さいときの写真などもコピーを作って保管することをお薦めします。火災や津波などで失われるのは財産だけではなく、思い出も失ってしまうのです。こちらはコピーをデジタルデータとしてクラウドに上げておいてもサイバー空間上のセキュリティにそう大きな問題はないと思います。
自家用車の燃料は半分を切らないうちに給油しておくことをお薦めします。東日本大震災の時にはガソリンスタンドでの給油に凄まじい行列ができたのをご記憶の方も多いかと思います。
海上自衛隊の艦艇などは燃料の残量が70%を切る前に補給艦を呼び寄せて洋上で給油をしてもらいます。残燃料が少なくなると重心が高くなって揺れやすくなるということもありますが、30%消費までなら、その時点で何らかの任務を与えられて一時的に高速で走り回って燃料を大量に消費しても、何とか出てきたところまでは帰れるのではないかという計算に基づいています。これは規則でそう定められており、給油を受けなかった場合には艦長はその理由を報告しなければなりません。
家庭用の自家用車では70%は極端かもしれませんが、半分以上は残しておくようにした方がいいかもしれません。
危機管理の心構えとしてとてもいい言葉があります。それは黒澤明監督が好んだと言われる「悪魔のように細心に、天使のように大胆に」という言葉です。
これらのヒントは時々Tipsとしてお知らせします。