専門コラム「指揮官の決断」
第97回No.097 これは危機管理の問題なのです
リスクマネジメントVSクライシスマネジメント
私は当コラムの中で何度かクライシスマネジメントとリスクマネジメントの相違について論じ、リスクマネジメントは危機管理とは別物だと主張してまいりました。
(例えば No.033 「リスクマネジメント」VS「クライシスマネジメント」 https://aegis-cms.co.jp/590 をご覧ください。)
私が何故この問題にこだわり続けているかと言えば、危機管理の概念が日本の社会において完全に誤解されているからであり、本来の危機管理がなされていないからなのです。
それはリスクマネジメントはやらなくてもいいということでありません。
リスクマネジメントは極めて重要であり、どのような組織もしっかりとしたリスクマネジメントを行う必要があるのです。
ただ、リスクマネジメントを危機管理だと誤解していると、リスクマネジメントをしっかりとするだけで危機管理を行っているという錯覚にとらわれてしまうことが問題なのです。
両者は別物なので、しっかりと両方とも行わなければならないのです。
リスクマネジメントとクライシスマネジメントに関して最も多い誤解は次のようなものです。
リスクマネジメントもクライシスマネジメントもどちらも危機管理であるが、危機が起こる前の段階がリスクマネジメント、危機が生じてしまってからはクライシスマネジメントが機能しなければならないというものです。
経産省の中小企業向けの危機管理のテキストにもはっきりとそのように述べられ、日常的にしっかりとしたリスクマネジメントを行っておき、何か起きた場合には速やかにクライシスマネジメントに移行しなければならないとされています。
実はここに大きな問題があるのです。
本当のリスクマネジメントの専門家はこのような解釈を取っていません。
リスクマネジメントに関する最も権威ある団体である一般財団法人リスクマネジメント協会のウェブサイトをご覧になると分かりますが、ここの専門家の方々は危機管理という言葉をほとんど使われません。「危険」とか「危機」という言葉を極めて注意深く使っておられます。
しかし、一般の多くの方はリスクマネジメントと危機管理を同義語として認識されているようです。
危機管理を理論的な側面から勉強してきた人々はリスクとクライシスを明確に区別するのですが、困るのは企業等のリスクマネジメント部門のように、勉強してきたわけでもないのに人事異動でたまたまその配置に就いてしまった方々のようにいきなり実務から入ってきた人々のほとんどが勘違いしてしまうことなのです。
これは一部のリスクマネジメントの学者とリスクマネジメントのコンサルタントの多くが誤解していることの影響なのだと思われますが、彼らのお陰で日本における危機管理の概念がかなりいびつなものになっていることは間違いありません。
ヨーロッパの事情はよく知りませんが、少なくともアメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、イギリス、ノルウェーなどではリスクマネジメントとクライシスマネジメントが混同されるということはありません。
ボクシング連盟VS東京医科大学
この問題については前掲ページを再度ご覧頂きたいと思っていますが、今回は、別角度からも説明をさせて頂きます。
最近、テレビや新聞を賑わせている二つの話題があります。
一つはアマチュアボクシングのジャッジが不正ではないのかという問題に端を発し、ついには理事長の反社会的勢力との関係についてまで問題が波及してきたボクシング連盟の事件です。
もう一つは文科省の局長による贈収賄事件に端を発した東京医科大学の不正入試問題です。
この二つの問題は、どう考えても組織を危機に陥れており、両方の組織にとっては危機管理の問題と認識されます。
しかし、皆様方の中で、この問題がリスクマネジメントの問題であると認識する方がどの程度いらっしゃるでしょうか。
ちょっと違うように思われませんか?
「危機管理」の問題だと言われれば、そうだろうなと思わるかもしれません。しかし、「リスクマネジメント」の問題と言われるとちょっと違和感を持たれるのではないでしょうか。
リスクマネジメントをしっかりとやっていればこの問題は防げたのでしょうか。
組織のトップが賄賂を貰うことを防ぐのがリスクマネジメントなのでしょうか。
百歩譲ると、それらのことがあったとしてもそれが露見しないような仕組みを作っておくということはあるのかもしれませんが、それがリスクマネジメントでしょうか。
つまり、違和感を抱かざるを得ない理由は、この問題にはリスクマネジメントが介在する余地がないからなのです。
組織が危機を迎えているのに出番が無いのはなぜでしょうか。
リスクマネジメントが危機管理ではないからです。
リスクマネジメントとは、組織が行う意思決定に際して、その決定に伴うリスクを評価し、そのリスクを取るか取らないかを判断することから始まります。
そして、リスクが大きすぎてその結果を許容できないとなれば、そのリスクを取らないという意思決定を行い、そうではなく、リスクを取ってもなお得るものが大きいと判断されれば、そのリスクを取るという意思決定を行い、そのかわり評価されたリスクが現実になった場合の対応策を準備するのがリスクマネジメントです。
いったいどの組織が、自分のトップが賄賂を貰ってそれが露見してスキャンダルになるというリスクを評価するのでしょうか。
そんな組織が存在するはずはありません。(政党はどうか知りませんが・・・)
というよりも、それをリスクと認識する組織は、かなり社会的に問題のある組織でしょう。
危機管理とは
もともとriskに「危機」という意味はありません。リスクとは「危険性」のことであり、危機ではないのです。
一方のcrisis は、1950年代に研究が始まったころから「危機」と訳されてきました。
危険性(リスク)は許容しなければならないことが度々あります。あらゆるリスクを恐れていれば何の進歩もないからです。
人類が進歩してきたのは、様々なリスクを大胆に取ってきたからだと言っても過言ではないでしょう。
ノーリスクはノーリターンなのです。
つまり、リスクマネジメントは評価したリスクが現実になった場合の対応を準備することが任務なのです。
病気になると手術や入院で大きな支出をしなければならないことを考えて保険に入ることを検討する人は少なくありません。
これはリスクマネジメントそのものです。
病気になるリスクを評価し、そのリスクに見合った金額の保障が得られるように保険金額を設定するのです。
しかし、保険に入ったからと言って病気にならないわけではありません。
病気にならないようにするには、バランスの取れた食生活と十分な運動などの生活習慣を身に付けたりすることが必要です。
これは非常に重要なことです。
リスクマネジメントである保険は病気になってから役に立ちますが、病気になることを防ぐことはできません。
一方、病気にならないようにする=危機に陥らないようにするということは、病気になる前に行っておかなければなりません。つまり、危機管理は危機が生じてから発動するものではなく、危機を発生させないようにする努力から始めるのです。
それが危機管理です。
私がリスクマネジメントを危機管理の問題と認識することを問題視しているのは、いくら高額の生命保険に入ってもそれが健康な体を作ってくれることにはならないからなのです。
私たちはまず健康な体を維持する必要があるのです。
そして、それが危機管理の課題なのです。