専門コラム「指揮官の決断」
第149回君子は危うきに近寄るべきではないのか
危機管理の話題としなければならない暑さですね
日照時間が極端に短い日が続いた鬱陶しい梅雨が明けたと思ったら、今度は気象庁が災害級の暑さと表現する猛暑が続いています。全国で熱中症による死亡が相次ぎ、確かに新たな形の自然災害の様相を呈してきつつあり、危機管理の問題として取り上げる必要もありそうです。
私たちがまだ若かった昭和の時代、ここまで暑い夏はそうありませんでしたが、しかし、当時はまだ医学的知識が遅れており、中学や高校でのクラブ活動ではただひたすら根性が強調され、炎天下で長時間のトレーニングを行っているにも関わらず「水なんか飲んではならん。」と指導されたものでした。
それでも意識を失う者もおらず、まだ一般家庭にはクーラーのない家も多かったのですが、熱中症で亡くなる人というのもあまり聞いたことがありません。
令和の時代に生きている私たちがひ弱になっているのか、あるいはそれだけ昨今の暑さが尋常でないのかは分かりませんが、何らかの対策を取らねば今後生き残っていることが難しくなっていくかもしれません。
私は海上自衛隊出身ですが昭和の時代に幹部候補生としての教育を受け、炎天下での訓練などは日常茶飯事に行われていました。
幸いなことに海上自衛隊は夏は海での遠泳訓練に大きな時間を割きますので、陸上自衛隊の幹部候補生のように炎天下で匍匐前進などをすることなく、泳いでいればよかったのですが、それでも遠泳が終わって、まだ残暑の厳しい頃に始まった陸上戦闘訓練での暑さには参った覚えがあります。
教え子が可愛ければ心を鬼に
ある年の8月、私は京都府の舞鶴にある教育部隊に指揮官として着任しました。新入隊員を4か月教育して艦隊へ送り出すのが主任務の部隊でした。つい数日前まで高校生だったり大学生だったりするごく普通の若者を艦隊勤務に耐えられる兵隊に育てなければならないのです。教官もその他の職員たちも新入隊員が入隊してきて送り出すまでの期間は我を忘れて死に物狂いで教育に取り組みます。
それは教室で行う授業や体育館で行う体育だけではありません。海上自衛官を育てるのですから、まったく泳げないものにも遠泳を泳げるようになるだけの水泳能力をつけなければなりませんし、自衛官の基本である銃の取り扱いや野外での戦闘訓練も行わなければなりません。船乗りの基本であるロープワークや手旗信号も教え、カッターと呼ばれる重くて大きなボートの漕ぎ方も教えなければなりません。
日常生活における立ち振る舞いも自衛官らしくなるように指導しなければならず、起居動作の一つ一つに目を光らせます。
つまり、24時間中、全人格的なぶつかり合いを通じて教えなければ、4か月という短期間で艦隊に送り込むわけにはいかないのです。
私が着任した8月はそれこそ猛暑の夏で、37度という気温が1週間続いていた最中でした。
着任の翌々日、朝登庁してみると副長がやってきて、午後に予定していた野外戦闘訓練を取りやめ、別の座学にしますと報告してきました。
理由を尋ねると、その時間ですでに気温が相当に上昇しており、総監部地区では屋外活動を取りやめるよう指示が出ているとのことでした。
野外戦闘訓練は長袖長ズボンの戦闘服に半長靴を履き、ヘルメットを被って、重いライフルを保持したまま匍匐前進をして、最後には突撃をするという訓練です。確かに短パンTシャツの運動よりも数倍熱中症の危険があるでしょう。
着任3日目の私はそういうものかと思って「了解」と応じたのですが、本能が違和感を唱えたため、次の瞬間、部屋を出ていこうとしていた副長を「待て」と呼び止め、野外戦闘訓練は予定通り行えと命じました。
私は着任に際して行った訓示で、「いかなる困難に遭遇してもあきらめずに戦い抜き、生きて帰ってくる実力をもった隊員に育てるのが当隊の使命であり、そのためには一切の妥協はしない。」と宣言していました。猛暑だからと言ってそう簡単に訓練を取りやめるつもりはなかったのです。
副長は総監部気象班の予想では昨日よりも気温が上昇するとのことなので、屋外での活動は事故になるおそれが大であるため取りやめるべきだとの意見でした。
しかし私は副長の意見を聞いている間に一つの腹案を作っていました。
私は副長に1時間後に来るように指示をして、それまでに教官室長や野外戦闘訓練を指導する教官たちともう一度検討するように伝えました。
私はすぐに部隊の正門から道路を挟んで反対側にある自衛隊病院へ出かけ、院長に面会を求めました。着任の挨拶をまだしていなかったのでその挨拶をするとともに意見を求めたかったのです。
院長は私の考えを聞くと意外にも反対せず、「司令がそのような覚悟をもって臨むのであれば当病院としても万全の態勢で備えるので、思う存分やって下さい。」とのことでした。
隊へ戻った私のところに副長と教官室長がやってきて、総監部とも協議したが野外戦闘訓練は中止すべきとのことでしたと報告しました。私がそれは総監からの命令かと聞くとそうではなく総監部の幕僚意見だとのことでした。
そこで私は私の考え方と方針を伝えました。
私はもし我々が37度の外気温に屈したら38度の外気温の下で訓練された敵に勝てないこと、我々は中学や高校の教師ではなく、ましてやボーイスカウトのリーダーでもなく、ヘータイを育てているという事実から目をそらしてはならないこと、しかし、自衛官が戦場で命を落とすのは仕方ないが、何があっても訓練で命を失うようなことがあってはならないことなどの思いを彼らに伝えました。
話を聞きつけた他の教官たちも集まってきて、本当に学生が可愛ければ、ここで心を鬼にしてでも鍛えるのが我々の仕事だろうという私の主張に賛同してくれました。
そして、それでは総監部ですら反対している野外戦闘訓練をどう行うかを考え始めました。
逃げてはいけない、しかし、大丈夫だろうでもいけない
私の腹案は炎天下の戦闘訓練を集中豪雨の中での戦闘訓練にしてしまおうというものでした。
本格的に山の中の訓練場に出る前の基礎訓練でしたので、部隊の敷地内の大きな訓練場で行います。芝生が張ってあるため全面にスプリンクラーが設置されていました。
また、周囲にいろいろな訓練施設が建てられているため、消火栓があちらこちらに設置されていました。
また総監部地区から離れていたため、消防車を独自に持っていました。
私はこれらを総動員しました。
スプリンクラーを全て全開にし、消火栓から放水させ、さらに消防車からも放水をさせたのです。ノズルを替えることにより直射流ではなくシャワーのような散水ができるのです。
この案には銃の取り扱いを教えていた教官たちが反対しました。銃が泥だらけになってしまうというのです。
私はその反対を一蹴しました。「武器の手入れの仕方をしっかりと教えろ」と。
さらに調理室に命じて、ドラム缶のように大きな容器にレモンと蜂蜜を溶かした水を張り、大きな氷の塊を浮かべたものをいくつも準備させました。
そして私自身を含め、その時間に手の空いている教官・職員は戦闘服に着替えて訓練に立ち会うよう指示を出しました。
このようにして、炎天下の舞鶴の午後、数十人の教官等が見守る中で、集中豪雨下の野外戦闘訓練が始まりました。
私自身も候補生学校の野外戦闘訓練以来やったことのない匍匐前進を試み、落後してくる学生の横で声をかけたりしていました。
病院の方を見ると病院長が双眼鏡でこちらを見ているのが分かり、さらに庁舎の前には天幕が張られ、病院の看護師が2名待機していました。
30分ごとにドラム缶の飲料が配られ、それを飲んでいる学生たちを見ていると、皆ニコニコしています。
私は教官室長を呼び、「野外戦闘訓練でニコニコしている者がいる。鍛え方が足りないのではないか?」と訊くと、「この連中がこれほど訓練でやる気を出しているのを見るのは初めてです。」という返事です。
結局、舞鶴地区の海上自衛隊、海上保安学校、少し離れた福知山の陸上自衛隊の連隊のすべてが野外活動をひかえていた日に、私の部隊だけがフル装備の戦闘服に身を包んで野外戦闘訓練を2時間行い、1名の脱落者も救急患者も出さずに終わりました。
この時の訓練は学生にとってよほど強烈な印象を残したとみえ、修業にさいしての所感文で一様にその思い出を綴り、大半が「自分たちの任務の厳しさを知った」とか「自信がついた」などの感想を述べていました。
教官たちも私がそう簡単に妥協しない指揮官であることを知ったようでした。
私が教官たちに伝えたかったのは「座して敗戦を待つな」ということであり、あらゆる知恵を振り絞り、考え抜いて活路を開けということでした。簡単にあきらめるなということです。
座して敗戦を待つな、あらゆる手を尽くせ
この時から10年を経て、今この時の判断が正しかったのかを考えることがあります。
今だったらどう考えるのだろうか。
正しかったかどうかは未だに分かりません。
結果的に事故がなかったからいいようなものですが、もし熱中症の犠牲者を出していたら私の負った責任は恐ろしく大きなものだったでしょう。
私はそのために事前に副長以下に野外戦闘訓練の中止の意見を存分に出させておきました。私が反対を押し切って強引に強行したことにしておかないと彼らも責任を負うことになるからです。
責任問題はともかくとして、今同じ問題に直面したらどうするかと考えると、多分、同じ判断をするだろうと思います。
意思決定をする際、私たちは決断までは徹底的に悩みぬきますが、しかし一度決定を下したなら後悔はしないという思考習慣を持っています。
よく考えるとあの時の判断を後悔していますなどと言われたら失敗の犠牲になった部下が浮かばれませんからね
危険性を常に回避していると何もできなくなります。自衛隊だけでなく、消防や警察、海保など危機管理を担当する機関においては、無駄に犠牲を出してはなりませんが、しかし一定の危険な作業も訓練中に行っておかないと現場で本当に命を失うことになります。
訓練を指導する者はそのせめぎあいの中で苦しみます。責任を回避するのは簡単です。危うきに近寄らないのが君子の道です。
しかし、本当に部下が可愛ければ、彼らがどんな苦境に陥ってもあきらめずに戦い抜けるだけの気力・体力・技術・経験をつけさせておくことの方が彼らのためになるはずです。
あらゆる危険を回避していると進歩がなくなります。
しかし、大丈夫だろうという根拠のない見込みで事に臨むのは愚かなことです。
大丈夫だろうではなく、絶対に大丈夫だという根拠ある確信を持てるまで考え抜き、あらゆる準備をし、そしてひとたび決断したなら後悔しないという態度を貫かなければなりません。
正解のない問題を決断するのはトップの責任
それはとても恐ろしいことです。危うきに近寄らないことが一番簡単です。もし人命が失われたら取り返しがつかず、一人で責任など負いきれるものではありません。
だからと言って逃げていると強い部下に育てることができません。
そのはざまで指揮官は悩みます。私の後任も悩んだでしょうし、今の指揮官も悩んでいるでしょう。
これは正解のない問題です。
正解のない問題の決断はトップが単独で下さなければなりません。
その責任を負うのがトップの役目です。