専門コラム「指揮官の決断」
第8回危機管理訓練
ある一部上場企業の危機管理訓練を拝見する機会がありました。前に取り上げた私が勤務していた会社の親会社ではありません。聞けば誰でもその名前をご存知の有名な会社で、全国に支店、営業所が展開されていて、その数は数百か所もあるということでした。
たまたまあるところで私が図上演習(当イージスクライシスマネジメントシステムにおいては「指揮所演習」と呼んでいます。)について解説しているのを聞いていた方と親しくなり、その方がリスクマネジメントグループのアドバイザーを務めている会社が図上演習を実施するので見に来て下さいと言われて伺った次第です。
ある平日の午後、本社の大きな会議室でその演習は行われました。
会議室の上手に少し高いプラットフォームが置かれ、そこに長机と椅子が10脚ほどおかれ、司会者の席が最左翼におかれていました。
プラットフォーム以外の場所には会議用の長いテーブルが置かれ、役員や部長、課長の方々が集まっています。社長、副社長、専務は社内にいるものの、演習には参加しないとのことでした。
図上演習を行うにしては妙な配置だなと思っていたところ、演習参加者が入室してきて室内に集まった幹部の方々に紹介されていきました。
司会を務めるのがリスクマネジメントグループのリーダーで、社内では執行役員なのだそうです。彼が次々に演習参加者を紹介するのですが、どれも比較的若い社員で、役員や部長・課長の前に引き出されて少し緊張しています。後で聞いたところによると、彼らは同期入社の社員であり、久しぶりに本社に集まり、翌日、初任係長の研修があるので、この日の夜は同期会の予定なのだそうです。
よく見ると、彼らが座っている机の前に紙の大きな札が張ってあり、総務部長、情報システム部長、東海支店長などの役職が書いてあります。
リスクマネジメントグループのリーダーから演習の説明があり、東海地方で大きな地震が起きた場合に備えた演習である旨が告げられました。
そして、いよいよ司会者から想定が付与され、演習が発動になりました。
司会者から出された想定は「東海地方で大きな地震が発生。とても立っていられず、東海支店の社屋は停電。机上のPCが机から落ちたり、棚が倒れたりしている。」というものでした。
想定が付与されると次々に質問が飛びます。
「東海支店長 どうしますか?」
「東海支店としては、皆に机の下に伏せるよう指示をします。」
「総務部長 どうしますか?」
「総務部としては、東海支店に連絡をとり、情報収集を行い、速やかに各役員に報告する準備を行います。」
~としては、という言い方になるのは、それぞれが代役の若い社員だからです。
「情報システム部長 どうしますか?」
「情報システム部としては、東海支店にあるバックアップのサーバーが使用不可能になっているおそれがあるため、北海道支店の複数の小型コンピュータにデータを分散させて当面のバックアップサーバーとします。」
次に、司会から気象庁発表の地震についての情報がもたらされ、震度7、震源は南海トラフの東端、津波警報発令が想定として出されました。
「東海支店長 どうしますか?」
「被害状況を確認して本社に報告するとともに、東海支店社員に対しては、津波に備えて社屋の屋上に避難するよう指示します。」
「それではその報告要領の訓練を行いますので、本社に電話をしてみてください。」
東海支店長役の東海支店社員が机の上の電話を取ると、本社総務部長役の総務部社員も目の前の電話を取ります。
「こちら東海支店です。地震が発生しました。東海支店では社屋が完全に停電、非常灯はついています。津波警報が出ていますので、社員に屋上に避難するよう指示をしました。幸い、現在のところけが人等はいない模様です。外勤中の社員の安否を確認中です。」
「本社了解しました。引き続き報告をお願いします。」
司会者が水を向けます。
「購買部長 何かすることがあるでしょ?」
「購買部としては、東海地方での被害がまだわかりませんが、この地域から調達している原材料の入手が困難になると見込まれ、被害を受けていない地域の業者のところに注文が殺到するおそれがありますので、いまのうちに関西支店に近畿地方以西の業者とコンタクトさせて契約を結んでおきたいと思います。」
というふうにシナリオが進んでいき、最後に外出中の社員の無事も確認され、津波警報も解除されて訓練終了となりました。開始から終了まで1時間45分です。
この後、司会のリスクマネジメントグループのリーダーからクリニックがありました。本社の総務部長が東海支店長の報告を了解したのはいいが、それをどうするのかが示されていない、引き続き報告を頼むと言っているが、本社として何を報告して欲しいのかを示すべきだ、云々。
そして、列席している役員、部長等からのコメントが寄せられます。意外に積極的にコメントが出されました。購買部が競合が手を付ける前にソースの変更を行う着意を示したのはよろしい、こういう事態で支店から本社に電話報告をする時には、どのような項目について報告すべきなのか、あらかじめ決めておくべきだ、情報システム部が早急に北海道でバックアップのシステムを構築することに決めたのは素晴らしい、云々。
そして閉会。多忙な役員等の都合で2時間以上時間を取れないのだそうです。担当としては最低3時間はやりたいということでした。
この会社はすでにこの演習を5年くらい前から行っており、危機管理には自信を持っているようでした。関連会社やお得意様もよく見学に来るのだそうです。そこで私のコメントを求め、さらに磨きをかけたいということのようでした。
私は「参加された皆様の熱気が伝わってくる訓練でした。細部については担当の方にお伝えしておきます。」とだけ述べました。前列にいた役員の方々が満足そうにうなずいておられたのが印象的でした。
実は、コメントのしようがなかったというのが本音でした。皆さんの面子を潰すわけにもいかなかったからです。
これは少なくとも彼らが言う「演習」ではありません。「演習」と「訓練」は目的も方法も全く別のものです。訓練は、一定の練度の向上を目指してシナリオが作られ、訓練効果を上げるように仕組みが作られています。一方の演習は、ある一定の想定の下で発動しますが、どちらかというと検証作業的色彩が強く、プレイヤーにとって何も起きない場合すらあります。また逆に、プレイヤーにとって非常に好ましくない結果に終わることもあります。演習でそのような結果になった場合には、なぜそのような結果になったのかを検討して、改善がなされるのです。
では訓練であったかというと、誰のどのような練度が向上したのか全く不明です。
また、「図上演習」と「ロールプレイ」とを混同しています。若手の社員に将来の管理職としての自覚を持たせるというのであればまだいいのですが、会社の危機管理の訓練になっていません。
さらに実際の危機管理上の事態において各部の指揮を執る役員、部長クラスが傍観者、コメンテーターとなっています。彼らが危機管理の専門家であり、絶対の自信を持っているというのであれば問題はありませんが、本来は彼らこそ訓練を受けなければならない人たちなのではないでしょうか。危機管理上の事態における措置についてコメントを述べるだけの見識、経験、資格をもった役員、部長がどれだけいたのでしょうか。
私に言わせれば、これは年度業務計画に示された危機管理訓練という行事を消化するためのお芝居でお茶を濁しているにすぎません。
どのような電源設備になっているのか知りませんが、全部停電して非常灯がついているだけの支店とどうやって電話連絡をとるのか、東海地方の被害状況がわからないうちに同地のサプライヤーに見切りを付けてしまうという態度は正しいのか、また東海地方が打撃を受け、東海道線、東名高速道路などが分断されていると判断すべきときに、その代替として近畿以西のサプライヤーを探すということが正解なのか、コメントをしている役員自身は危機管理にどの程度の知見をもっているのか、私には疑問だらけのお芝居でした。
指揮官の皆様、危機管理の訓練は年度業計に計上して計画的に実施すればいいというものではありません。斬れば血の出るような具体性を持って、危機管理を指揮する面々を徹底的に鍛えなければならないのです。極端に言えば、皆様ご自身がコテンパンにされるほどの訓練でなければ単なる茶番劇に過ぎないのです。
写真は、首相官邸における防災訓練(撮影:首相官邸)