専門コラム「指揮官の決断」
第431回言葉の問題

言葉への想い
当コラムでは、言葉の問題を扱うことが時々あります。
筆者は言葉の問題には若干敏感なところがあり、それは、自分が使う言葉の意味が正しく相手に伝わるかどうかを気にしているということもありますが、何故そうなったかという理由を考えると、多分、これまでの人生経験が大きく関わっているのだろうと思っています。
まず、大学院です。
経済学研究科博士前期課程に入って最初にショックだったのは、論文の読み方が学部の頃とまったく変わったことでした。
論文の執筆者が何を主張したいのかを、言葉の一言一言から探るのです。
経済学研究科に籍を置いたので、読む論文は社会科学の論文が圧倒的に多数でした。自然科学と異なるのは、実験室のような再現性が得られず、膨大なデータを統計的に分析するか、帰納的に、あるいは演繹的にある結論を導き出していくしかないのです。
言葉の使い方に厳密にならざるを得ません。
次に、海上自衛官になりました。
命令を誤って解釈すると大変なことになります。
命令の出し方も、陸上自衛隊と海上自衛隊では組織文化が異なり、それぞれが独自の書き方をします。
陸上自衛隊の命令は、きわめて具体的で、解釈の余地のないものが多いように思いますが、海上自衛隊の命令は、包括的・抽象的であり、細部は現場指揮官に任されることが多いという特徴があります。
これは、陸軍と海軍という軍種の違いによる文化的な差異と、主として第二次世界大戦における反省という歴史的あるいは政治的背景があるのですが、そこに触れていると大変なページ数を必要としますので、別の機会に譲り、とにかく海上自衛隊では、命令が意味するところをしっかりと考えなければなりません。
逆に言うと、命令を出す際には、どうすれば現場を必要以上に拘束せず、現場での判断の柔軟性を残しつつ、しかし、誤った解釈をさせないように命令を出さなければならないので、やはり言葉を選ぶ必要があるのです。
また、30年間に及ぶ海上自衛隊生活の中で、内局への出向や海幕防衛課での勤務なども経験しました。
ここでは、防衛力整備の業務に携わっていたのですが、国会が開かれれている際には、そこで行われる国会議員からの質問に対する首相、防衛大臣あるいは局長等の答弁資料の作成も重要な仕事でした。
ここで必要な能力は、「事実に反することは書かない。」しかし、「必要に応じて真実は述べない。」ということでした。事実と真実は微妙に違っており(「ラ・マンチャの男」では、主人公のドン・キホーテが「事実とは真実の敵なり。」という名言を吐いて私を笑わせれくれましたが。)、事実に反する答弁はしてはならないのですが、「真実」に関しては、必ずしもそれを理解してもらえるとはかぎらないので、必要に応じて、真実には触れないというテクニックを使うことがあります。
この時に使う言葉は徹底的に揉まれます。揚げ足を取られず、後に嘘の答弁だったといわれることのないよう気を遣うのです。
また、海上自衛隊の部隊司令部では、筆者は監理を担当する幕僚として、指揮官の発する命令や通達類の文書審査や法令審査をすることが多かったのですが、ここでも言葉の厳密性が要求されました。
何気なく使う「等」という言葉が意味する範囲はどこまでなのか、何故1.2mではなく120cmなのか、という議論をするのです。
その職業が30年続いた結果、言葉に対するある種の感性が生まれたのかもしれません。
感性の劣化
最近、若い人たちと話をしていて、その使う言葉が分からないことがよくあります。
主として「略語」です。
筆者は、略語を使うのがあまり好きではありません。
パーソナルコンピュータをPCと略すのはいいのですが、「パソコン」という略し方は好きではありません。したがって、このコラムに「パソコン」という言葉は出てきません。
ケンタッキーフライドチキンをKFCというのに抵抗はないのですが、これを「ケンタ」と言ったり、ミスタードーナッツを「ミスド」と略すのは頂けません。
最近はナショナルジオグラフィックマガジンも自らを「ナショジオ」という品のない略し方をしています。
筆者が嫌う略し方は、素直に聞くと意味が分からない略し方です。マクドナルドをマックと略すのは問題はありません。もともとがマック・ドナルドだからです。ちなみにマックを「マクド」と呼んで通じるのは、筆者の知る限り日本だけですし、「ミスド」も同様です。
これらの略し方は、そもそも英語を知らない連中の略し方なのでしょう。
これらの略し方がどれほど品がなく、洗練されていないのかを感じる感性もなくなっているのでしょう。
たかが言葉、されど言葉
最近、筆者が危機感を持っているのは、略し方の問題ではなく、日本語の意味するところが通じなくなっていることです。
これは、日本語の意味の解釈が変わりつつあるということです。
当コラムでは「独断専行」という言葉の意味について議論したことがあります。
よく新聞などで「県知事の独断専行」などと書かれ、トップがスタッフの意見を全く聞かずに行動することを意味したりします。つまり、好ましいことではない、ということです。
しかし、この本来の意味は、現場で上級指揮官からの命令をそのまま実施すると、大きな不具合があることが判明し、上級指揮官の情勢の判断が間違っている、あるいはその後に大きな情勢の変化があったにもかかわらず命令が更新されず、その事実を報告する時間的余裕が無い場合、現場指揮官が独自の判断で最適と考えられる行動を取ることを指しており、そのような状況にある場合、現場指揮官は自らの判断で動くことが期待され、自分が受けている命令とは違うと言って受けた命令に固執して失敗した場合に免責されないのです。
これは難しい問題を抱えており、陸軍では独断専行は戒められる傾向にありますが、海軍では現場が適切に判断することが推奨されています。
この問題も軍種による文化的背景が異なるので、ここでは触れません。
重要なのは、独断専行というのは、しなければならない場合があるということです。
また、トップには「独断専行」はありません。
スタッフの進言を聞かないのは、単なる横暴なだけであって、「独断専行」ではありません。
また、当コラムではある新聞が「コンプライアンス」という言葉を使うたびに後ろに( )で「法令順守」という言葉を入れていることを批判し、コンプライアンスに「法令順守」という意味はない、と主張したことが何度かあります。
合法であってもコンプライアンス違反という事例はいくらでもあります。いわゆる「法の眼をくぐる」やり方などはコンプライアンス違反の可能性が強いのです。
しかし、この新聞がわざわざ「法令順守」という誤った解釈を載せ続けたことで、世の中のコンプライアンスに関する認識が誤ってしまっているようです。
筆者がかつて在籍した商社で、ある会議で社長が「それはコンプライアンス的には問題ないのか?」と質問された際、総務部長が「顧問弁護士に確認します。」と答えました。
その次に総務部長の隣に座っていた筆者がどう考えているかを尋ねられ、「弁護士なんかに聞いたって、コンプライアンス違反かどうかは分からないと思いますよ。」と答えたところ、一同がポカンとされてしまいました。
筆者に言わせれば、社長が恬として恥ずることなく説明できればコンプライアンス違反ではないだろうということです。
コンプライアンスとは、法律違反に関することではなく、社会規範に関する概念だからです。
メディアは幼児と同じで、新しい言葉を使いたがります。ろくに意味も知らないのに使いたがるので、とんでもない過ちをします。
その典型が、当コラムが専門とする危機管理です。
詳しくは当コラムで散々記載してきたところですが、阪神淡路大震災以降、メディアが危機管理とリスクマネジメントの意味を深く考えずにそれらの言葉を使ったため、この国の危機管理の認識がデタラメになってしまいました。
結局は、首相まで危機管理の概念を理解していないという国になり果ててしまいました。
危機管理の意味するところを理解しない首相の下で、危機管理が出来るはずはありません。
この国の命運は風前の灯なのです。
たかが言葉の問題と侮ってはなりません。
ちなみに、今回のタイトル画面は、あるYouTube番組のサムネイルです。
ここで、偉そうに対談している二人のジャーナリストは、「独断専行」の意味を知らずにしゃべっているようです。現代日本のジャーナリズムなんてその程度のものです。
この連中のお陰で、日本の首相は危機管理が理解できなくなっているのかもしれません。