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専門コラム「指揮官の決断」

第449回 

教訓を生かせ:コロナ禍から何を学ぶか その2

カテゴリ:危機管理

承前

前回に引き続き、どうやって教訓から学ぶかという話をします。

当コラムが教訓にこだわる理由があります。

執筆している筆者が海上自衛官だったからです。         

文化もものの考え方も装備も経済力も違う戦史であっても学びかたによっていろいろな教訓を導き出せるからです。

80年前の戦争が参考になるのかと言えば、装備などは全く異なるのですが、戦場におけるものの考え方などについては大変参考になります。

米軍は孫氏を一生懸命に研究しているくらいです。

わが国には、普及の名著と言われ、ビジネスマン必読の書と称えられ、現在も増刷され続けている『失敗の本質』という著作があります。

この著作は組織論の研究者と戦史の研究者がグループで執筆したもので、論文の書き方を学ぶのにはいいですし、ビジネスマンが勉強した気になるにはいい本ですが、現場を知らない学者が後知恵で書いたものなので、軍隊ではあまり参考になりません。

そこで、大学院で社会科学を専攻した者として、いかに教訓から学ぶかというテーマについて自分で考えていました。

そのように教訓の学び方を模索している中で、コロナ禍に出会い、そこから様々な教訓を見出す実践の場として扱っていこうと考えているところです。

頭の悪いコメンテーターはさておき

前回は、テレビで全国民にPCR検査をすべきという、何の意味もなく、ただ社会を混乱させ、必要な人が必要な医療を受けられなくなるだけの主張を繰り返した頭の足りないコメンテーターについて語り、併せて、テレビが繰り返し訴えていた病床のひっ迫というのが、テレビ局の単なる煽りであって実態とはかけ離れていたことを指摘しました。

つまり、テレビやそこに出てくる素人のコメンテーターの主張などはよほど注意していないと出鱈目な知識や情報を掴まされるということです。

専門家は・・・

それでは、テレビに出てくる専門家はどうか、という話になります。

コロナ禍が始まった頃、ある大学の女性教授が様々な情報番組にコメンテーターとして呼ばれていました。

物憂げな口調で語る新型コロナの恐ろしさは、人々の興味を引くのに十分でした。彼女の残したいくつかの言葉で忘れないものがあります。

曰く、「今日のニューヨークは、1週間後の東京なんです。」

当時、ニューヨークではコロナ死の遺体の埋葬が追い付かず、公園に穴を掘って埋めているというニュースが流されていました。

彼女に言わせると、日本でも日比谷公園や世田谷公園に穴を掘らなければならなくなるとのことでした。ところが、この年、前年よりも日本全体で亡くなった人数が1万人も少なかったので、墓地不足は生じませんでした。

彼女だけではコメンテーターが足りないのか、各局では何人かの感染症の専門家という大学の教員が呼ばれていました。宇都宮で呼吸器内科のクリニックを経営している医師もTBSによく出演していました。

筆者は、多くの専門家と言わずに、「何人かの」とか、特定の地方都市のクリニック経営の呼吸器内科医の話をしています。

なぜでしょうか?

多くの専門家が動員されたわけではないからです。また、多くの呼吸器の専門医がテレビに登場したということでもないからです。

ほぼ連日顔を見ていたこれらの専門家や専門医のほかにもイレギュラーな形でテレビに出てきた専門家や専門医はたくさんいたはずですが、よく見ていたのは、よく考えるとほんの数人です。

明らかになった正体

当時、筆者はある大学病院の若手医師グループに統計学の話をしていました。コロナ禍が始まる前年に頼まれて、調整ができずに手つかずだったものを、コロナ禍で数字の見方が大切だということで急遽始めたものでした。

これは筆者にとっても学びの多い経験でした。若手の医師グループからいろいろな話を聞くことができたのです。現場で勤務する医師の話を聞くことができるというのは、願ってもない機会でした。

その頃、彼らが一応に指摘したのは、テレビでコメントしている専門家というのは、多分、本来の感染症専門医からは相手にしてもらえない人たちなんだろうということでした。つまり、本物の感染症専門家であれば、この時期、連日テレビに出るなんて言うことはあり得ない、よほど暇なんだろうということなのです。彼らの大学病院の感染症専門医は、数か月家に帰っておらず、金曜日になると奥様が着替えを持って病院に来るそうでした。

さもありなんという感じでした。

筆者も彼らの能力について大きな疑問を感じていました。

致死率を計算できない専門家たち

ある時、件の女性教授が、コロナ禍について、「致死率3%という恐ろしい病気なんです。」と言っているのを聴きました。

最初の緊急事態宣言が出されたころで、筆者はこの問題を医学上の問題として、自分で研究する対象とは考えていなかったので、「そんなにすごい病気なんだ。」と思っていました。

しかし、その緊急事態宣言の出され方や、当時「8割おじさん」と呼ばれた西浦北大教授(当時)の論文に疑問を抱き、自分なりに調べ始めたのは、緊急事態宣言が出されてからでした。

彼女が3%と言った頃から、他の専門家たちも3%と言い始めたので、専門家のコンセンサスとしては致死率3%なんだ。彼らは自分たちとは異なる情報を得ているんだ。」と思っていました。

ところが、筆者たちにもたらされた情報は、それらの専門家の見解をベースにすると考えにくいものでした。そこで、この専門分野には、自分たちの知識や経験が及ばない何かがあるんだ、と考えていました。

ところが、あまりにも矛盾が多く、現状を解釈することができない期間が続きました。

そして、1年が経った頃、彼女が再度発言しているのを聴きました。「致死率が1.5%に下がったとは言え、依然として恐ろしい病気なんです。」

たしかに致死率1.5%というのは恐ろしい病気です。

致死率が70%とか80%になると、感染した人がすぐに死亡してしまうのでそれほど感染は広まりませんが、1.5%とか3%くらいだと、自分が感染していることに気付かない人が社会で動き回りますから、すさまじい感染力をもつことになります。

しかし、100人感染すると1人から2人が亡くなるので、特に基礎疾患を持つ方や免疫が弱い方にはおそろしいのです。インフルエンザの10倍以上の致死率ということですからね。

この頃、筆者はさすがにこの数字は嘘だと考えました。どう考えても、そんなに致死率が高いはずはない、と思っていたのです。

しかし、テレビに出てくる感染症の専門家たちは一斉に致死率1.5%と言っていました。

筆者は、これらの専門家の胡散臭さに気付き始めていたので、その致死率の根拠を探し始めました。

あらゆるデータを使って計算しても1年前の3%、その時点での1.5%という致死率が出てきませんでした。

ある日、疲れ切ってPCの前でビールを飲んでいるとき、何気なく見た目の前のサイトの数字を見て「?」と思った筆者は、早速計算を始めました。それは、プロがそんなバカげた計算をすることはあり得ないとして顧みることのなかった計算でした。

ところが、その計算をしてみると、1年前は3%、その時点では1.5%になるのです。

とてもではないが、専門家が計算したとは思えない雑な計算でした。

1年前のその時点でのPCR検査陽性者を母数として、その時点までのコロナ死者の累計を分子として0.03という数字を出したのです。

また、その時点での致死率もその時点でのPCR検査陽性者数を分母として、同じくコロナ死者の累計を分子として計算すると彼女の言うとおりの0.015という数字になります。

これは統計学の講義を聴いたことがなくても間違いに気づきます。

PCR検査陽性者数は検査を受けた人の中で陽性だった人の数です。一方のコロナ死者数は、たとえ事故であろうと自殺であろうと、検死の結果ウィルスが検出されたと報告された全国の死者数です。

検査を受けて陽性になった人数を分母とするなら、分子は、その陽性者で発症して亡くなった方々の人数でなければなりません。

また、全国のコロナ死者数の累計を分子にするなら、分母は全国民の陽性者数でなければならないはずです。それをPCR検査を受けた中での陽性者数を採用しているので、分母が小さく、割合が大きくなります。

また、1年後の比較をするなら、その1年間の数字を採用すべきところ、死者数は最初からの累計を取っています。当然死者数は大きくなります。

どう考えても、分母に対して分子が大きくなる数字が選ばれています。つまり、致死率が高くなる計算をしているのです。

筆者は、それでは正しい致死率は何なのかを計算しようとしました。

ちょうどそのころ、世田谷区が介護施設職員全員にPCR検査を行いました。5000人が検査を受けて、50人が陽性でした。つまり1%です。

この数字を根拠に、日本全体の陽性者数を推定すると124万人になります。

ただ、介護施設のスタッフは、この時期、特別に感染症対策をしていただろうと思われますので、一般の方々について言えば、その3倍や5倍の陽性者数であっても不思議がないところですが、根拠がないので、陽性率1%とします。

その数を分子として1年前の致死率を計算すると0.009、つまり0.9%という致死率になります。これはインフルエンザの致死率よりわずかに低い割合です。

しかも、ここで見逃してはならないのは、インフルエンザは小学生の命も奪うことです。

新型コロナ感染症で亡くなるのは圧倒的に高齢者でした。

その高齢者の多くは自宅や介護施設で亡くなり、コロナ専用病棟で亡くなる高齢者の割合は低いものでした。

つまり亡くなった高齢者の多くは、看取られて、天寿を全うして亡くなったか、癌やその他の病気で亡くなり、結果的にコロナウィルスが発見されてコロナ死となった方でした。

さらに、感染症専門家やメディアが言わなかった事実があります。

2019年の日本人の死者数よりも2020年の死者数の方が1万人少なかったのです。

前代未聞の感染症で緊急事態宣言が出されている年に、その前の年よりも1万人も死者が少なかったというのは不思議ですよね。理屈はいくらでもつけられます。人が外出しなかったから交通事故が少なかったというような理屈はつけられるのですが、コロナ死と認定された人数の中で、コロナウィルスが無かったら死なずに済んだ人数があまり無かったということでしょう。

さらに、皆が手を洗い、マスクをして、家でおとなしくしていたため、インフルエンザがりゅう攻しなかったのも影響したでしょう。つまり、インフルエンザの方が遥かに恐ろしい病気だということです。

つまり、テレビで解説をしていたほぼ常連の感染症専門家たちは、致死率の計算すらまともにできない連中だったのです。

感染症専門医が〇×なのではなく、メディアが出鱈目

感染症専門医の名誉のために申し上げておきますが、筆者は感染症専門家の能力について言及しているのではありません。その時点で現場で働きもせずにテレビで顔を売っていた専門家たちが致死率の計算もできない〇×だと言っているだけです。

感染症専門医と認定されるには、多くのハードルを越えなければならず、本来は優秀な人たちばかりのはずなのですが、中にはこの程度の専門医もいるのでしょう。連中がテレビの煽りに迎合するコメントを出すことを躊躇しないので活用されたに過ぎません。

テレビに出てコメントをする専門家の見解を鵜呑みにしてはならないという教訓です。

基本的にはテレビ局が作りたい番組に合う意見を出す専門家が出演しているということを私たちは理解して番組を観る必要があります。

写真:東京新聞撮影