専門コラム「指揮官の決断」
第456回ものを知らないのにも限度がある
はじめに
衆議院が解散されました。
このコラムは危機管理の専門コラムであり、執筆者の政治嫌いもあって政治からは一定の距離をおこうと昨年末に決意したばかりなのですが、今回は衆議院の解散を巡る問題について考えます。
これは政治を話題にしたいということではなく、そこで惹起していることが看過できないからです。
解散の大義とは
通常国会冒頭における解散を巡って、準備ができていなかった立憲民主党のうろたえぶりは見ていて滑稽なほどでした。
安保法制も原発問題も正反対の立場を取っていた公明党と連立ではなく、新たな党を作って合体してしまいました。
連立であれば、多少の見解の相違はあるでしょう。小異を捨てて大同につくのが連立です。
ところが、根本的に異なる政見を持つ両党は、連立すらできないはずなのに、この度彼らがやってのけたのは新党で合体するということです。しかも、それは衆議院だけで参議院にはそれぞれの党が残るそうです。これは政党交付金を返したくないからでしょう。
そんなことを政権与党がやったらマスコミは黙っておらず、徹底的に糾弾するのでしょうが、中道連に対しては何も言いません。
その立憲民主党と公明党のそれぞれの代表者が、現政権による衆議院の解散について「大義がない。」と批判するのは、滑稽以外の何物でもありません。
メディアの堕落
マスコミ各紙、各局は通常国会冒頭での解散には大義がなく、予算審議を遅らせ、国民をかえりみていない、と批判を繰り広げています。
メディアは予算制度について何も知らないのかもしれません。
たしかに、この時期に選挙などをやっていると年度内に予算は成立しないでしょう。そのまま暫定予算が執行されます。
暫定予算の多くの部分は、義務的経費です。光熱水料や公務員の給料、賃借料などの支払いに充てる経費などがその代表です。
もともと本予算が成立していても、第一四半期に執行されるのはこの義務的経費がほとんどです。予算審議で問題となるような事業に着手するのは、多くが第二四半期からです。
要求側の省庁でも、暫定予算になる惧れをなしとしないので、特別な理由がなければ第二四半期の契約としているはずです。
つまり、選挙後に召集される国会で速やかに予算が審議されれば国民生活への影響はそれほど大きいとは思えません。まして、今回は、予算審議の時期であることを考慮して公示から投票までの期間が歴史的に短く設定されています。
野党やメディアは石破政権が行った解散については意義などを問いませんでした。メディアは自民党総裁選挙で石破総裁が誕生したことでホッとしたからでしょう。
この度は、高市総裁なので、メディアは何とか印象操作をしようとしています。
しかし、大義という観点で見れば、石破首相の解散の方が大義がありません。石破政権では政権の枠組みも変わっていなかったからです。
信を問う解散じゃなかったのか?
もともと石破茂という男は(筆者にとって、こいつは男ではないのですが、それを言い出すと性的差別の議論に巻き込まれてしまいますので、生物学的にという意味でこの言葉を使っています。)憲法7条による解散はやってはならない、首相が解散権を行使できるのは、内閣府新案が可決されて、総辞職を選ばなかったときだけであるとしていたはずです。その意味で、彼の解散には大義がありませんでした。しかし、彼は自らやってはならないとしていた憲法7条による解散を行い、国民に信を問うた結果、惨敗して国民が信を置いていないということが明らかになったにも関わらず、それが理解できなかったのか、政権にしがみつきました。結果的に石破茂は天皇に嘘をついたことになります。
都議会議員選挙で自民党が大敗しても、参院選で大敗しても、比較第一党という不思議な表現を持ち出し、負けた原因は安倍派による政治と金の疑惑が払しょくできなかったためだと言い張り、南海トラフの地震・津波、尖閣を巡る情勢を考えると空白を作るわけにはいかないという訳の分からない理屈で居座りを続けました。
実は、そういう情勢があるから、一刻も早く退陣してほしいというのが選挙結果だったのですが、石破には理解できなかったのでしょう。
第一次石破内閣は歴史的に短い内閣であり、補正予算の審議もせずに解散したため、能登半島復興の予算が1ヶ月遅れてしまいました。不思議なことに、その遅れを批判するマスメディアは見当たりませんでした。震度7の地震に見舞われて死亡者まで出して、補正予算が10ヶ月も組まれなかったのは筆者の記憶にはありません。
今回の解散は、自民・公明の連立という枠組みが自民・維新という枠組みに変わっているので、信を問うのは不思議でもなんでもありません。
どう考えても、マスメディアは高市内閣よりも石破内閣が好きだったようです。
TBSにいたっては、同社の元記者でジャーナリストの武田一顕が各政党が目指す方向性として、自民・維新・参政を「強くてこわい日本」、中道改革連合・国民民主・共産・れいわ新選組を「優しくて穏やかな日本」と分類し、フリップで紹介するという暴挙に出ました。
これはかなり悪質な印象操作であり、公示後であることを考えると放送法違反の疑いが強いかと考えます。
問題の本質は・・・
ただ、今回問題としようとしているのは、政権批判でも、メディアの政治的嗜好の問題でもありません。
メディアのものを知らないのに呆れているのです。
今回の解散に際し、官房長官も幹事長もあらかじめ相談を受けなかったと述べています。
常日頃から、官房長官も幹事長も記者に訊かれると「衆議院の解散は、首相の専権事項である。」として質問から逃れています。
憲法をしっかりと読むと、これが誤りであることが明白です。衆議院の解散は天皇の国事行為であり、内閣は助言するだけなのです。ただ、内閣の助言に反する国事行為を天皇がすることはできないので、内閣が衆議院の解散が必要だと判断すれば、衆議院は解散されます。閣議決定がなければ解散はできないのですが、この国では、ずっと首相の専権事項と表現してきました。つまり、衆議院の解散は首相が閣議を仕切って決定し、内閣の助言として天皇が国事行為として行うのです。
閣議決定を要するということは、この国では全閣僚の賛成がなければなりません。反対者が一人でもいると閣議決定としないというのがこの国の慣例です。
その場合、首相がその閣僚を罷免して形式的に全員一致の態勢を取ります。
ところが、メディアは、首相が官房長官や幹事長に相談せずに通常国会冒頭の解散を決めたことを「首相の独断専行」と批判しました。
首相の専権事項であれば、当然のことながら相談する必要はありません。
しかも、この記事を書いた記者、それを掲載した編集長、放送したディレクターの無知、無能ぶりにはあきれ返ります。
首相に「独断専行」はありません。連中は、言葉で仕事をしているにも関わらず「独断専行」の意味を知りません。
独断専行とは、自分に与えられた命令が、現状にまったく合致せず、そのまま実施すると大問題になるような場合、その状況を報告する暇がないときに、自分の判断で最適な行動をとることをいいます。
例を挙げましょう。前線の部隊指揮官が上級司令部から命令を受けて前線に出てみたら、上級司令部の把握している情勢とまったく異なっており、そのまま命令を実行すると大変なことになり、しかし、その状況を報告している余裕がない場合に、自分の判断で命令から離れて最適と考えられる行動をとるような場合を独断専行といいます。
この場合、独断専行をしなければなりません。上級司令部から受けている命令をそのまま実施して失敗した場合には免責されません。
ところが、近年のマスコミは、記者の知的レベルの低下により、トップが部下に相談せずに自分で判断することを「独断専行」と呼び、慎まなければならないものであるかのように扱います。
新聞やテレビの情報番組のように、自分たちでは何もせずに人の批判だけしていればいい仕事はともかくとして、軍隊や飛行機、船舶の運航、商社のビジネスなど、目まぐしく変わっていく環境に対応しながらの実務の場面では、現場が判断しなければならないことなど珍しくなく起こります。新聞やテレビの記者などは、そんな経験がなくて分からないのかもしれませんが、気楽な身分です。
しかし、言葉で仕事をしているなら、もう少し勉強をするべきでしょう。
この「独断専行」だけでなく、マスコミの無知無能を証拠立てるものは多数あります。
小生が小学生だったころ、ある学校に転校したら、、日直が朝早く、朝日新聞の天声人語を板書し、それを投稿してきた児童が書き写すということをやっていたのでびっくりしたことがあります。
当時は天声人語という朝日新聞のコラムはそれなりの価値があったのでしょう。令和の今、それをやると小学生の知的レベルを下げてしまいます。
当コラムでは、メディアの記者たちが算数や英語が分からずにひどい記事を書いている状況について度々お伝えしてきましたが、最近の記者や編集長、ディレクターたちは日本語すらよく理解していないらしいので、唖然としてしまいます。
