TEL:03-6869-4425

東京都港区虎ノ門1-1-21 新虎ノ門実業会館5F

専門コラム「指揮官の決断」

第464回 

憲法改正について

カテゴリ:

憲法改正に対する意見

かなり前のコラムで、憲法9条の改正に反対であると述べたところ、海上自衛隊の多くの先輩方から「何故だ」という質問を頂きました。

この先輩たちはすべて防衛大学校出身の方々です。

このコラムは危機管理の専門コラムであり、執筆者が法律を専門としていないため、この問題に触れたくはないのですが、以前、憲法9条の改正に反対と述べてしまい、それについての根拠を求められましたので、執筆した責任を取って、今回はこのご質問にお答えしようと思っています。

質問されてこなかった方々にも、筆者が何故反対という立場を取るのかを疑問に思っておられる方もいらっしゃると拝察しています。

第九条改正が不要な理由

まず、自衛隊は憲法上、疑義のある存在ではないからです。

憲法学者や評論家、あるいはかつての野党の政治家たちは、憲法9条の第2項に反するという見方を取ります。

ここで、憲法第9条をよく読んでみる必要があります。

第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

第2項の戦力の不保持と交戦権の否認は、条文にあるとおり、前項である第1項の目的を達するために規定されたものです。

第1項は、国権の発動たる戦争と武力による威嚇と武力の行使を、国際紛争を解決する手段としては永久に放棄すると規定され、その目的のために第2項が設けられています。

つまり、外交交渉がうまくいかないからと言って武力を用いることが禁止され、そのための戦力は持たないし、交戦権も否認しているのです。

逆に言うならば、わが国固有の領土に侵入してくる他国の軍隊や、わが国へ重要物資や人々を運ぶ船舶や航空機の安全な運航を武力を用いて阻害する行為を黙って見ていろ、という憲法ではありません。

それらを確保するのは国家の自然権であり、何によっても侵すことのできない基本的、根源的権利です。

国家は、その基本的な権利を保持するとともに、国民を守る義務を持ちます。

憲法第九条によって放棄されているのは、国家の生存権ではありません。

したがって、自衛隊は憲法第九条に違反する組織ではないので、この条文を改定する必要はないと考えます。

故安倍元首相は、いろいろな成果を挙げた政治家だと思っていますが、彼の改憲論議だけは評価できません。

彼は、ある時、その改憲論の根拠として、海外に派遣される自衛隊員たちに「君たちは違憲かもしれないが頑張って来てくれ」とは到底言えない、と言ったのですが、この理屈は許容できません。

海外に派遣される自衛官たちは政治家の激励など必要としていません。できるなら、見送りに来てほしくないのです。その連中のスピーチを聞かなければならず、出迎えの儀式をしなければならないだけでうんざりです。

首相や防衛大臣は指揮系統ですから仕方なく我慢しますが、他の政治家の見送りは欲しくありません。自分が行って激励してやろうなどと考える政治家がいるとすれば、見当違いも甚だしいと言わざるを得ません。だれも政治家の顔など見たくないのです。

出発前の自衛官たちは、家族や恋人たちと数分でも一緒にいたいのであって、政治家の激励を聞いて喜ぶ奴など一人もいないはずです。

改正すべきもの

筆者は、憲法改正が不要だと主張しているのではありません。

改正は必要ですが、第九条に自衛隊を明記するだけの改正に反対しているだけです。

筆者が改正を必要と考えるのは前文です。

筆者は学生時代に暗記力を鍛えるため、米国の独立宣言、米国憲法前文及び日本国憲法前文の暗記を試みたことがあります。

独立宣言は暗記できました。これは米国人でも暗記している人が多く、筆者がその中の一文を引用するとびっくりされたことがあります。(今は全部忘れてしまいましたけどね)

ただ、日本国憲法前文の暗記は失敗しました。

読むに値しないと考えたからです。

まず、日本語として不自然です。

「(前略)ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」とあります。

法律の文章であれば、「制定する」とあるべきであり、「確定する」とは何事なのでしょうか。この疑問に答える参考書は筆者の学生時代にはありませんでした。

また、内容が戯けていると感じました。

「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」

つまり、自国の安全と生存を、自分で守って見せるという覚悟ではなく、他の国に預けているのです。日本の周辺国に「平和を愛する諸国民の公正と信義」に信頼できる国が一つでもあるのでしょうか。北朝鮮、中国、ロシアの公正と信義を信頼せよというのです。

一方、それでいて、国際社会において、名誉ある地位を占めたいと言うのです。これを『戯けた文章』と学生時代の筆者は考えましたし、現在もそう思っています。

筆者は30年近くを制服を着た国家公務員として過ごしてきましたので、憲法尊重義務があり、在職中にこの疑問を呈したことはありませんが、ずっとそう考えてきました。

このどうしようもない戯けた前文は改正の必要があり、第九条への自衛隊明記などは不要です。

九条改正に反対の別の理由

第九条をいじることに反対な理由は、実はもう一つあります。

筆者が学生時代、まだ自衛隊は社会的な認知を得た組織ではありませんでした。

自衛官が制服で街を歩くと罵声を浴びせられたり、唾を吐かれたりしました。

筆者は大学で80年安保闘争の残滓しか見ておらず、大した騒ぎではありませんでしたが、 60年、70年の闘争の頃は酷いものだったようです。

その筆者も、中学では社会科の教師から「君のお父さんは憲法違反の仕事をしているんだよ」と言われた記憶が鮮明にあります。父が海上自衛官でした。

その父は筆者が幼いころ、防衛大学校の指導官をしていたことがあります。

学校長は初代の槙校長で、首相は吉田茂氏でした。

父が直接聞いたのではありませんが、防大一期の方々は吉田首相から「君たちは自衛官在職中、決して国民から感謝されたり、歓迎されることもなく自衛隊を終えるかもしれない。ご苦労なことだと思う。しかし、自衛隊が国民から歓迎され、ちやほやされる事態とは、外国から攻撃されて国家存亡の危機の時か、災害派遣の時とか、国民が困窮している時だけなのだ。言葉を変えれば、君たちが日蔭者である時の方が、国民や日本は幸せなのだ。一生御苦労なことだと思うが、国家のために忍び耐えてもらいたい。頑張ってくれ。君たちの双肩にかかっているんだ。しっかり頼むよ」と言われたとあちらこちらで話しておられます。

筆者も防大一期生から聞いたことがあります。

防大一期以後の卒業生たちは、その言葉に従って、罵声を浴びながら、唾を吐きかけられながら、精強な自衛隊を創ることに努力してきました。

その自衛隊がトレーニングフォースからオペレーショナルフォースにかろうじてなってきたのは筆者が入隊した頃からです。

航空自衛隊はベレンコソビエト空軍中尉の操縦するミグ25が領空侵犯をして函館空港に着陸してしまった事件を機に、対領空侵犯措置を見直し、システムを換装して防空体制を一新しましたし、陸上自衛隊は昭和33年にレンジャー訓練を始めていますが、空挺レンジャーがそれなりの人数が揃ってきたのが、筆者の入隊の頃でした。

また、海上自衛隊では、海上自衛隊演習が米海軍との共同演習として行われ、当時は有事にカムラン湾方面に展開していた米海軍第7艦隊を海上自衛隊が迎えに行き、その北上してくる前のエリアの対潜途哨戒を海上自衛隊が行って、対潜掃討が終わったと宣言したエリアに米軍が入ってきて、三陸沖まで北上し、そのままストライクフォースをソ連沿海州に送るというシナリオでしたが、筆者が初めて参加した海上自衛隊演習で、海上自衛隊が掃討終了を宣言したエリアに米海軍がそのまま入ってくるというようになりました。米海軍は自分でチェックをせずに北上を続けたのです。つまり、海上自衛隊の対潜掃討能力を彼らが信じたということです。

また、筆者は当時最新鋭の護衛艦の砲術士として環太平洋合同軍事演習(リムパック)に参加しましたが、初めて8隻の護衛艦に8機の対潜ヘリを搭載して参加し、米海軍空母の直衛を行い、完璧に防護するという成果を挙げています。

その後の自衛隊の成長は皆さまご存じの通りであり、装備の量においては米・露・中に及ばないものの、精強さにおいては世界一流の軍事組織に成長しました。

これは諸先輩が、罵倒され、唾を吐きかけられても耐えて、伝統を作ってきてくれたからです。

今さら、憲法第九条をいじるのは、それら先達の努力を無にしかねません。第九条の下で、先達は耐え忍び、想像を絶する試練を自らに課してきたのです。

やるべきこと

ただし、あの戯けた前文だけはどうかして欲しいと考えます。

問題は第九条ではなく、自分の国の安全を他国に任せてきた軟弱な精神と、この国の将来を真剣に考えない一部勢力が教育を握ってきたことであり、自分たちの社会は自分たちで守るという当たり前のことを当たり前に考える習慣がないことです。

筆者が第九条の改正に反対するのは、以上の理由です。

条文の文理解釈上、どう考えても自衛隊は違憲ではないし、これを違憲としてしまうと、これまで世界有数の精強な部隊を造ってきた人々の努力が憲法違反の行為だったということになります。

改憲論者は、違憲ではないことをはっきりさせるために自衛隊を明記する必要があると言いますが、そんな必要はありません。常識の問題であり、教育の問題だからです。

問題は、自衛隊が実際に動くに際して、様々な法律が邪魔して、本来の実力行動が取れないことが多々あることです。

現在でも、普通の国の海軍艦艇には国際法上認められる権利が、国内法上、認められないという事例があります。

例えば、アデン湾・ソマリア沖において、海上自衛隊の艦艇と航空機が、航路の安全を脅かす海賊から船舶を守っています。

海軍艦艇には平時においても海賊対応が国際法上の権利として認められていますが、海上自衛隊には国内法の縛りで認められていません。

従って、この海域において海賊を発見すると、護衛艦に乗り込んでいる警察権を持った海上保安官が対応しています。

また、日本の船舶の護衛しか認められていませんので、他の国の船舶が襲われていても手出しできません。

これが国際貢献上の大きな問題となっていることを多くの国民が知りません。メディアが報じないからです。

憲法改正よりも、そのような歪な実態を何とかして欲しいと現場の自衛官は思っているはずです。