専門コラム「指揮官の決断」
第73回No.073 真珠湾空襲、演習にあらず
表題の「真珠湾空襲、演習にあらず」 “ Air raid, Pearl Harbor this is no drill “とは、太平洋戦争の開戦時、日本海軍の艦載機の攻撃を受けた米太平洋艦隊から発せられた電報の本文であり、戦史上最も有名な電報と言われています。
この電報は、アメリカ海軍航空部隊創成期のパイロットで、太平洋戦争開戦時、ハワイの太平洋艦隊隷下の第二哨戒航空隊司令官であったパトリック・ベリンジャー少将から発せられたものですが、起案したのは、たまたま庁舎の外にいた同隊のローガン・ラムジー中佐で、日本海軍の急降下爆撃機が格納庫を爆撃したところを目撃し、通信室に駆け込んで起案紙に書きなぐったものです。
起案紙には “ Air raid, Pearl Harbor this is no drill “ と書かれたのですが、ベリンジャー少将の署名を得るために届けられた電報用紙には “ AIRRAID ON PEARLHARBOR X THIS IS NO DRILL” とタイプされています。
この電報は危機管理上の事態における情報のあり方について私たちに重要な示唆を与えてくれています。
新入社員教育などで、報告は5W1Hで行えと教えられます。
さらには、5W1Hに自分の判断も付け加えて報告するのがいい部下だと教えるセミナーもあります。
皆さんこのように教えられて育つので、5W1Hが整っていない報告に対して上司は「これじゃぁ分からん!」と言って怒ります。
私が海上自衛隊を退官後再就職した商社で、私の周囲で日常的に見られた風景です。
私が新編営業部の部長を命ぜられて赴任したオフィスには、扱うものが異なる営業部がいくつか入っており、私はその数人いる営業部長の一人だったのですが、周りの部長たちが部下を叱った後、私の方を向いて「全く最近の若い連中は報告の仕方も知らない。」と苦笑するのでした。
そして、「自衛隊ではこういうことはしっかりと教育されているんでしょうね。」と尋ねられるのです。
先の電文が危機管理上の事態における情報のあり方について重要な示唆を与えていると申し上げたのは、この点なのです。
電文を読んで頂ければ分かりますが、5W1Hが整えられているわけではありません。
WhereとWhatは何となく分かるのですが、それでもかなり大雑把です。
本来ならこの電報は、「12月7日午前7時55分(現地時間)、真珠湾に在泊中の太平洋艦隊の艦艇及び陸上基地施設に対し日本海軍艦載機による航空攻撃が行われている。敵機数は約○○機、我が方の損害は△×□。我が方は全力をもって反撃中であり・・・・云々。なお、本電は訓練電にあらず。」とならなければならないのでしょう。
もしこの電報がこのような電文であったならば、別の意味で有名な電報になった可能性があります。
私ならば「その電報を起案した奴は間抜けだ。」と評価するでしょう。
ラムジー中佐が起案しベリンジャー少将が署名して発信されたこの電報は、必要にして十分な情報をすべて含んでいるからです。
真珠湾が空襲されているというということだけで、ワシントンや全世界に展開している米海軍は、日本によって対米戦の火ぶたが切られたことを理解したのです。
この当時、真珠湾を爆撃して帰投することのできる長距離爆撃機は世界中のどの国も持っていませんでした。
したがって、真珠湾を爆撃している航空機とは空母から発艦した艦載機であり、太平洋で航空母艦を運用していたのは米国と日本だけですので、敵が日本だということがすぐ分かります。
航空母艦から発艦してきたということは近くに空母機動部隊がいるということであり、だとすれば攻撃を終えた飛行機は空母に戻って燃料と弾薬を再搭載して再度攻撃してくることが考えられます。
つまり第2次攻撃に備えなければならないのです。
また、空母機動部隊には陸軍部隊を乗せた輸送船団が随伴しているかもしれないのです。
日本は空母を複数持っていましたので、攻撃対象はハワイだけではないかもしれないということも考慮に入れる必要があります。
つまり、環太平洋のあらゆる米・英の基地が狙われているかもしれないのです。
全世界の米軍に日本に対する戦闘態勢を急いで取らせるためには、この歴史的に短い電報で十分なのです。
5W1Hが無くとも、読み取る能力のある者が読めばいろいろなことが分かります。
むしろ、その第一報が速やかに届くということが重要なのです。
危機管理上の事態においては、現場の状況が錯綜しており、そこからもたらされる情報は前後の脈絡が無く、情報そのものもバイアスがかかっているのが普通です。
危機管理上の事態への対応を指揮するものは、その混乱に耐えなければなりません。
そして、もたらされる僅かな情報を分析し、そこに潜むバイアスを見抜き、何故そのようなバイアスがかかるのかも視野に入れながら何が起きているのかを把握しなければなりません。
タイムリーで正確な情報など望んではならないのです。
タイムリーで正確な情報が無ければ情勢を判断できないトップは、そのような情報が与えられても判断できません。
何故なら、情報は与えられれば与えられるほどもっと詳細な情報が欲しくなります。いろいろなことが分かってくるとより詳細なことに関する疑問がわいてくるからです。
しかし現実はもたらされる情報よりも先に進んでしまうので、いつまでたっても無能なトップは正しい決断ができないのです。
実はこの時、無能なトップは情報が無いのではなく、情報の消化不良を起こしているだけなのですが、本人は自分が決断できないのは情報が無いせいだと考えるのです。
危機管理上の事態に対応するトップは、もたらされた僅かな情報で現場で何が起きているのかを察知し、とにかく最初の一手を打たなければなりません。
これは大変につらく度胸のいる決断です。
最初の一手を打ち間違ってはならないからです。
最初にボタンの掛け違いが起きると、事態対応中にそのボタンの掛け違いを修正しなければならず、全てが後手に回り始めます。つまりマイナスのスパイラルに入るのです。
次々に下す決断の質は低下していき、収拾がつかなくなります。
一方、最初の一手が的確であると、判断に余裕が生まれ、決断の質が向上し、さらに細部まで行き届いた見当ができるようになります。
私は「これじゃぁ、さっぱり分からん。」と部下を叱っている同僚の部長を見ては、「貴方には分からないんでしょうねぇ」と思っていたものでした。
経験も十分でない若い社員が、上司が必要とする情報を適切にまとめて、自分の判断までつけて持って来れるわけがありません。
もしそれが完璧にできるのだとしたら、その上司は恐ろしく部下の育て方がうまいのだと思われます。
そのような上司は、「これじゃぁ、全く分らん。」とは言わないはずです。
若い社員が持ってきた報告で何も分からないのであれば、その部長の能力は若い社員とそう変わらないということです。
5W1Hで報告せよと若い社員に教育することは悪いことではありません。
正しい報告の仕方の基礎は教えてやらなければなりません。
しかし、現実の報告が5W1Hを満たしていないといって叱ることは百害あって一利ありません。
5W1Hにこだわるばかりに報告の適時性が失われかねないという問題を惹起するからです。
多少遅くなっても見た目に美しい完璧な報告を書こうとしてしまう社員ばかりになっては大変です。
軍人は役人ではないので、官僚的粉飾を施された文章を嫌います。
曰く「お前はヤクニンか!」と。
「兵は拙速を貴ぶ」のです。
ジュリアス・シーザーがファルケナス2世と戦って勝利を得、ローマでその結果を待ちわびていた腹心の部下に送った「来た、見た、勝った」という手紙も歴史的に短いものですが、これを受け取ったガイウス・マティウスはこの三語で全てを理解したと言われています。
シーザー(最近はカエサルと表記されるようですが。)の文章はどれをとっても簡潔明瞭であり、天性の軍人であったことを偲ばせます。
ラテン文学ではキケロがよく引用されますが、その対極と思われる文章です。
海上自衛隊出身の私は冗長な報告を聞くのがあまり好きではなく、「要は何だ?」と尋ねることが多いのですが、こういう上司には5W1Hは無用です。