専門コラム「指揮官の決断」
第74回No.074 リーダーシップ論が失敗した理由
リーダーシップに関する議論の胡散臭さ
以前、当コラムにおいてリーダーシップ論について述べたことがあります。
私は大学及び大学院で組織論を専攻しておりましたが、その組織論の大きな柱が「意思決定論」であり、もう一方が「リーダーシップ論」でした。
拙稿で私は当時のリーダーシップ論の胡散臭さについて語っています。
詳しくはこちらをご覧ください。
専門コラム「指揮官の決断」 No.022 リーダーシップ論の変遷
それは、1940年代以降に実証的に研究が行われてきたリーダーシップ行動論以降のリーダーシップ論の「実証性」に疑問があることに端を発し、そもそも結論ありきの実証研究ではないのかという疑いを払拭できないという主張です。
リッカートのマネジリアルシステム論、ムートンやブレイクらによるマネジリアルグリッド論、レヴィンのアイオワ研究などのいろゆるリーダーシップ行動論以降の実証的研究は、基本的には高い業績を上げる組織のリーダー達のリーダーシップスタイルを見極め、実証的にどのようなリーダーシップのタイプが高業績上げたのかを検討しています。
多くはリーダーシップスタイルを専制的、独裁的、民主的、参加的などに類型化し、「参加的・民主的」リーダーシップスタイルが有効であるという結論に達しています。
日本におけるリーダーシップ論の大御所である三隅二不二氏も、リーダーの計画を立てたり指示を与えたりする目標達成機能であるP機能と、集団の雰囲気を良好に保ち、維持しようとする集団維持機能であるM機能に着目し、その要素が強い時に大文字、弱い時に小文字を使い、リーダーシップをPm, pM, pm , PMに分類しています。
その結果、集団の意欲が低い場合にはPm型リーダー、メンバーにP気質が多い場合にはpM型リーダーシップによってまとめることが望ましいが、理想的にはどちらにも力を注ぐPM型が最も望ましいと主張するものです。
これらの結論は、類型に与えられた名称を聞いた瞬間に推測がつきますし、それは小学生だって異論を唱えない結論でしかありません。
リーダーシップ行動論の次に現れたのは、リーダーシップの有効性はその状況に依存するというコンティンジェンシー理論ですが、これも各類型のリーダーシップスタイルが機能する状況が異なるということを言っているだけであり、類型論の範疇を出ていません。
何がリーダーシップ論を誤らせたのか
ここにリーダーシップ論の失敗の根本的な原因が潜んでいます。
類型論はリーダーシップのスタイルと組織の業績との相関関係を述べているにすぎません。
つまり、業績の高い組織のリーダーのリーダーシップスタイルはどのようなものなのかを研究しているのです。
この議論の前提は、リーダーシップのスタイルをf(x)とすると、組織の業績yは次の式で表されるということにあります。
y=f(x)+α
この前提がそもそも誤っているのです。
これはリーダーシップの機能をどのように定義づけるかにもよりますが、もし、
リーダーシップ = マネジメント
という定義であるのなら、この公式は正しいのですが、リーダーシップとは、少なくともチームを率いていく能力のことであり、それはリーダーとフォロワーの人間関係に関する議論のはずです。
極論をすれば、リーダーシップとは組織をいかに凝集性の高いチームとし、メンバーの貢献意欲をどれだけ引き出せるのかという議論でなければなりません。
であるとすれば、上記公式は誤りです。
何故なら、優れたリーダーが常に高業績を上げるとは限りませんし、高業績を上げているリーダーが必ずしも常に優れたリーダーであるとは限らないからです。
確かに長期的に観察すれば拙劣なリーダーの下で組織が大きな業績を上げ続けることはできないかもしれませんが、優れたリーダーの組織を長期的に観察すると必ず高業績を上げるようになるとは言えないからです。
日露戦争において、旅順要塞の攻略を担当した満州派遣第三軍司令官であった乃木希典中将は、リーダーとしては圧倒的な統率力を発揮しました。
しかし、彼の作戦の拙劣さから第三軍は旅順要塞攻略に大損害を出し、在満州の全日本陸軍を窮地に陥れかけました。
彼のリーダーシップが優れていたからこそ損害が大きくなったのです。
乃木司令官のために兵士たちは命を惜しまずに戦い続け、その結果大被害となったのです。
リーダシップ論をどのように語るべきか
つまり、組織の業績はリーダーシップと意思決定の関数であるという視点が必要なのです。
つまり、
組織の業績 = リーダーシップ × 意思決定
なのですが、従来の組織論はこの視点が抜けており、組織の業績とリーダーシップの相関関係にしか言及していないのです。
この視点なしに、組織の業績を見てそのリーダーのリーダーシップスタイルを分類しても何も得ることはできません。
案の定、この視点を持っていないリーダーシップ論はコンティンジェンシー理論以降進展を見せず、堂々巡りを続けています。
どのようなリーダーを目指すべきか
それでは私たちは組織を率いていく際に何から学べばいいのでしょうか。
昭和の時代の経営者は歴史を読むことが好きだったようです。戦国の武将の采配を学んだり、日露戦争や太平洋戦争を戦った軍人のエピソードに詳しかったりします。
年号は平成からまもなく新しいものに変わりますが、21世紀に生きる私たちが学ぶのは、必ずしもスティーブ・ジョブスやマーク・ザッカーバーグではありません。
現代の組織においてリーダーが最も重視しなければならないのはフォロワーとの「絆」です。
テクノロジーが恐ろしい勢いで進化していく中にあって、この極めてアナログな人と人の「絆」がより一層大切なものになっていきます。
政府が進めている働き方改革に決定的に欠けている視点がこれです。
時短は問題を解決しません。
問題がそこに無いからです。
どこに問題があるのかは、当コラムで言及していますのでそちらをご覧ください。
専門コラム「指揮官の決断」 No.025 リーダーシップ:働き方改革
人と人の「絆」の問題を顧みずに勤務時間を短くするだけでは状況は悪化するだけになってしまいます。
やらなければならない仕事量が変わらないのに時間が短くなるとより人間関係がギスギスしてくるのは眼に見えています。
リーダーシップ論は組織の業績をリーダーシップの有効性の尺度としました。
尺度とすべきは、リーダーがどれほどフォロワーとの間に「絆」を作ったかであるべきです。
リーダーとフォロワーの間に結ばれる「絆」の太さは人数による弊害を受けません。
いかなる大きな組織であってもリーダーがしっかりとした覚悟さえ持てばその太さは舫い綱のように太く強いものになり、いかに小さな組織でもその覚悟の無いリーダーとの間には細く今にも切れそうな糸のようなものしか結ぶことができません。
それがどのような覚悟なのか、このコラムの第1回に記載しています。
専門コラム「指揮官の決断」 No.001 経営者に必要な「指揮官の覚悟」
「誰よりも耐え、誰よりも忍び、誰よりも努力し、誰よりも心を砕き、誰よりも求めず、誰よりも部下を想う」という覚悟です。