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専門コラム「指揮官の決断」 

No.025 リーダーシップ:働き方改革

 政府の働き方改革の大きな柱である時間外労働規制の政労使合意案として、繁忙期の月上限を休日労働を含んで月100時間未満とすることが「働き方改革実現会議」で了承されました。
 過労死やメンタルダウン、その結果としての自殺などを防ぐための施策なのでしょう。
 しかし、この長時間労働を規制する規則では問題を解決できるとは到底考えられません。
 やらねばならぬ仕事を家に持ち帰ってすることになるだけではないでしょうか。そうなると家にいても仕事が目の前にあり、気分の切り替えが出来なくなってしまいます。
 
 かつて公務員制度改革の一環として各省庁で定時退庁日という制度が導入されたとき、この恩恵に浴したのは、本当は仕事があまりないのだけど、同僚や上司が忙しそうに働いているのでなんとなく先に帰ることに後ろめたさを感じていた職員でした。本当に忙しい職員は一度退庁したふりをして戻ってきたり、週末に出勤したりしていたのです。
 
 私は制服の自衛官だったので国家公務員法の適用を受けず、自衛隊法の下で勤務していたので、時間外労働という概念とは無関係だったのですが、それでも海上幕僚監部のようなお役所勤務をするセクションでは定時退庁日の制度が始まった当初は早めの退庁を余儀なくされていました。それも3か月くらいたったときには完全にもとに戻っていたように思います。
 
 確かに極端な長時間労働は健康を損なうかもしれませんし、メンタルダウンしてしまう人も出てくるかもしれません。
 しかし、私の経験から申し上げると、人がメンタルダウンするのは別の理由です。
 
 かつて、2年間で17日間しか休みを取れなかった勤務をしたことがあります。2年間というと104週間ですから、土日だけでも208日あったはずで、その他に祝日があり、夏や年末に認められる特別休暇などもあったはずです。しかし、その2年間で私が一日に一回も職場に顔を出さなかった日は17日間しかありませんでした。
 
 それは佐世保を母港とする護衛隊群の司令部幕僚として勤務していた時のことです。年間150日近くは海上に出ており、母港に戻っても連日深夜まで司令部で仕事を続け、土日の夕食くらいは船で食べるのではなく街へ出て食べようかという勤務でした。
 私の能力の問題もあったかもしれませんが、とにかくそれだけ仕事をしても間に合わないのです。
 
 その護衛隊群は佐世保を母港としており、8隻の護衛艦から編成されていました。東シナ海で有事があった場合、最初に飛び出すのは自分たちだという自負もあり、伝統的に猛烈な訓練を行うことで知られていました。
 
 訓練を指導する群司令及びその司令部幕僚は、訓練で外洋に出ると、その訓練を指導しつつ次の訓練の計画を立て、母港に戻るとその具体化のための調整を行い、そしてまた訓練に出ていくということを繰り返していました。
 航海中は訓練の合間のちょっとした時間をつなぎ合わせてやっと1日4時間程度の睡眠を確保するのが精一杯という状況でした。
 
 その司令部幕僚勤務を2年間続けた後、今度は少しはのんびりできる配置に就けるかなと期待していたら転勤先は海上幕僚監部の防衛課というところでした。海上自衛隊の防衛政策の立案にあたるセクションで、私は年度業務計画を策定する部門に配属になりました。ここでは予算要求と業務計画の作成及び実施の監督が主な業務です。
 
 予算要求では予算編成に当たる財務省の主計官、主査からの質問にいつでも答えなければならず、それは深夜になるのが普通でした。また、国会開会中は大臣の答弁資料などを作るために質問に立つ議員の事前通告を待たねばならず、これも深夜になるのが普通でした。
 さすがに当直は免除されていましたが、この防衛課勤務では月曜日に出勤して金曜日に帰宅するのが普通でした。室内にあるソファで寝ることができる日は稀で、大抵は机の下で寝袋で寝ていました。
 
 この勤務もちょうど2年間続きました。つまり、4年間にわたって、凄まじい激務が続いたことになります。しかし、私は健康を損なうこともなく、メンタルダウンすることもなく過ごしました。
 
 たしかに護衛隊群司令部幕僚勤務では、海の上にいることが嫌いではない私にとってはオカの勤務を続けるよりは良かったのですが、その後の海幕勤務は私の大嫌いな大都会での役人暮らしでした。しかも相手はオヤクニンやマムシより嫌いな政治家たちでした。
 途中で、ひょっとしたらもうダメかもしれないと思ったことがないわけではありません。
しかし、耐えることができた要因は、今考えると二つあります。
 
 一つは、使命感を満たすことのできる仕事だったということです。
 海上自衛隊の最精鋭部隊の司令部幕僚として、その錬成を指導するということは大変な仕事ではありますが、同時に遣り甲斐のある仕事でした。海幕勤務も、各部が立案してくる予算要求案を査定して、日本の海上防衛に必要だと判断する事業を担ぎ、予算を獲得するという仕事は責任も大きいですが遣り甲斐もある仕事でした。
 
 もう一つは、人間関係だったと思います。
 群司令部幕僚部には、それぞれが全く異なる分野の専門家が集まっていますが、それぞれの専門的な知識、経験に敬意を払い、それを尊重しつつチームとして仕事をしていました。お互いの足りないところを補い合っていたのです。
 また、指揮官はそれぞれの幕僚の専門的見解に納得のいかないところは情け容赦なく指導を加えましたが、突き放すことは無く、最後まで徹底的に指導をしていました。指揮官としても最精鋭部隊をいかに鍛えるか、必死だったのでしょう。司令部全体で、いかに精強な部隊を錬成するかという課題に取り組んでいたのです
 
 海幕防衛課の勤務では、数十人の課員の中に候補生学校の同期生が何人かいて、激務の合間に気の置けない雑談を楽しむこともでき、また、各班も班長の指導の下にチームワークがよく、夕食を一緒に取るのが普通で、国会のための待機が長引くことが予想されるときなどには軽く飲みに出ることもありました。
 
 要するに、思いだしてもゾッとする激務の4年間でしたが、この間、職場にいることがつまらないとか、上司や同僚が嫌だと思ったことがありませんでした。相談すればいつでも乗ってくれる同僚や、指導を仰げばいつでも一緒に考えてくれる上司に恵まれていたことになります。
 
 この経験から申し上げると、人は少々の激務では潰れません。しかし、人間関係が良くないとあっという間に潰れてしまいます。
 
 かつてマザー・テレサが述べた有名な言葉があります。
 「愛情の反対は憎悪ではありません。それは無関心です。」

 電通で、若い有能な女性社員が自殺をするという悲劇的な事件がありました。彼女も激務で死を選んだのではないと思います。上司や同僚が見てくれていなかったのではないでしょうか。特に直属の上司が見てくれていないと、経験のない社員は耐えがたい孤独感に襲われます。

 人を生かすも殺すも人間関係です。
 そして職場の人間関係の鍵を握っているは中間管理職です。中間管理職が管理職であることの自覚を持っていないと、職場の人間関係に気を配ろうとしません。活気ある組織にはなりません。軍隊でいうと中尉、大尉クラスが元気がないと精強な部隊にならないのです。

 しかし、中間管理職に管理職たる自覚、認識を持たせる努力や教育がしっかりとなされている企業は少ないのではないかと思われます。
 自衛隊は、幹部候補生学校で1年かけてその自覚を醸成させるのですが、それでもなかなか現業に就くと、自分の仕事を覚えることで手一杯で部下に目を配る余裕がなくなってしまうのですが、そういう教育さえ受けずに管理職になってしまった初任管理職はもっと大変です。
 この中間管理職に管理者としての自覚を持たせ、人間関係に気を配らせることによって活気ある組織をいかにして作るか。それが時短よりも重要な課題だと思っています。

 ちょっとしたリーダーシップ教育によって、彼らの意識を変えることが出来ます。それが組織全体を活気づかせ、そこに集う人々が生き生きと働くことができるようになるのであれば、その教育に今すぐ手を付けるべきではないでしょうか。