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専門コラム「指揮官の決断」 

No.078 あったに決まってるだろう

まったく無かったとしたら異常なできごと

 私は以前から、政治家に何の期待や希望や幻想を持っていないことを表明してきていますが、昨年からの国会を見ていると本当にうんざりします。
 かつてない安全保障上の危機に我が国が置かれているにもかかわらず、その安全保障態勢をどのように整備するかを議論すべき予算委員会で蕎麦とうどんの議論ばかりされているからです。
 モリとかカケというのは、いい加減に特別委員会でも作って議論してもらいたいと思っています。

 何故、国会で官僚の政権に対する「忖度」があったか無かったのかが議論されなければならないのか理解に苦しみます。
 
 あったに決まっています。

 まったく無かったとしたら異常な事態です。
 
 我が国は三権分立制を取っており、各権力はそれぞれ相互牽制することが期待されているように見えますが、立法府の優位は確立されています。
 それは国民から直接信任を得て成立している唯一の権力だからです。
 つまり、政治が優先されるのです。

 まして平成26年以降、官僚の人事権を内閣人事局が握っています。
 それ以前は事実上各省庁で人事が行われ、政治の圧力に屈しない公務員の矜持を持ち続けたことが評価されて事務次官になった強者もいましたが、平成26年以降、そのような官僚は存在できなくなりました。
 これは政治主導を最も強化した施策です。

 「忖度」というのは、もともと他人の心中を推し量ることです。
 立法府の優位が我が国の基本であり、かつ、制度上も政治が主導するような仕組みが作られている国家にあって、官僚が政権を忖度することは当然に期待されることであり、それができない官僚は失格です。
 
 官僚は政権の意向に配慮し、出来る限りそれに沿うような行政を心がけなければなりません。それが政治主導です。
 官僚が政権の意向に無関係に自分の理想を追求し始めたら恐ろしいことになります。
 政権が出鱈目であった時、優秀な官僚がその意向に忠実な仕事をすると、それも無残な結果を生むのですが、それはその政権を選んだ国民の責任なのです。

何が問題なのだろう

  

 問題は官僚が忖度したかどうかではなく、政治が行政に対して、正当な手続きに寄らずに圧力を掛けたかどうかでしょう。

 政治はそのような自らの責任を官僚に押し付けるのに必死です。
 与党は政治の責任を逃れようと官僚に責任を負わせるのに必死であり、野党は官僚に忖度させた与党の責任を必死に追求しています。

 参議院自民党に和田政宗という議員がいます。
 今期国会の参議院予算委員会で答弁を求められた財務省理財局長に対し「かつて民主党政権時代に野田首相の秘書官を務めていたから、安倍政権をおとしめようとしているのではないか」という発言をしました。

 この発言は一理財局長に対してではなく、ありとあらゆる国家公務員を侮辱した発言です。
 私は、国会の場でこれほど公然と国家公務員が侮辱されたのを聞いたことがありません。
 
 かつて、別の政権の副総理が「霞が関は大馬鹿」と発言したことはありますが、これは院外での発言であり、かつ、その直後、財務大臣になったものの、公共投資の乗数効果と消費性向の違いが分からないという無能振りを院内の質疑で披瀝したという茶番でしたが、和田議員の発言は議事録を取っている委員会の質疑の中で行われたものです。

 国家公務員のほとんどは、公務員になるに際してそれなりの理想を持ち、そして自分の職務に遣り甲斐と誇りを見出して仕事をしています。
 
 一般の皆さんが考えるほど公務員は恵まれているわけではありません。
 確かに身分保障がありますので勤務先が倒産するということはありませんが、その代わりバブルの時代になろうが処遇が変わるわけではないのです。
 
 私もかつては国家公務員でしたが、バブル景気の頃、学校の同級生が3年で年収が2倍になったなどと言っているのを聞きながら、定期昇給で月額1700円上がったなどと言って家で安物のワインで乾杯したりしていたのです。
 ところがバブルがはじけた後、多くの企業が倒産したりリストラが始まったりしたにもかかわらず公務員はそのような目に合わないことからバッシングが始まり、ついには民間に合わせて給料の減額が始まったのです。
 給料が上がっていないのに下げられるとどうなるのかは説明の必要はないでしょう。
 それでも官僚たちはこの国を何とか世界に伍していける国に押し戻すために必死になっているのです。

 そして彼らは、与えられた職務で常に最善の成果を出そうと必死で仕事をしています。 
 それはより上位のポストに就きたいという単純な権力欲もないとは言い切れませんが、より大きいのは、より重要なポストでより大きな仕事をしたいという意欲があるからです。
 
 その官僚に対してかつて別の政権の首相秘書官をやっていたから現政権を陥れようとしているという発言をするということは、官僚の仕事を全く理解できないていないとしか思えず、また、現在の職務を一生懸命にやろうとしている公務員を愚弄する発言以外の何物でもありません。
 
 さらに許しがたいのは、参議院予算委員会が理事会においてこの発言が不適当であったとして議事録から削除することを決めたことです。
 院の品位を汚しているということでしょう。
 つまりこの程度のレベルの低い議員の発言があったこと自体を抹消しようとしているのです。
 
 この発言は議事録に永久に留め、この程度の参議院議員が存在したという証拠として残されるべきです。
 そして参議院というのはその程度の議院であることを自ら恥じるべきでしょう。
 
 多分、和田議員は何回生議員となっても政務官や大臣などの要職には就けないでしょう。任命されたとしても、官僚のサポート無しに仕事をしていかざるを得ないはずで、ろくな仕事にはなりません。
 あの発言を官僚たちが許すはずがないのです。
 
 一方の野党はどうでしょうか。
 当コラムで何回か指摘しましたが、東日本大震災において事故を起こした福島原発を冷却するために、陸上自衛隊がヘリコプターにより直上から散水するという、世界のどの国の軍隊もやったことのない危険な任務の実施を命ずるに際し、時の防衛大臣は「私と首相の想いを統幕長が汲んで決断してくれた。」と決定の責任を制服トップに転嫁しました。

 この政権は「政治主導」を高々と看板に掲げ、「事業仕分け」などという政治ショーを演じてのけたにもかかわらず、政治が決断しなかったばかりかシビリアンコントールまで放棄してしまったのですが、この「私と首相の思いを統幕長が汲んだ」というのは「忖度」そのものです。
 
 政治主導を掲げておきながら「忖度」してくれたとして責任を回避するという態度に出ているのです。
 少なくともこの政権に参加していた政治家に官僚の「忖度」を云々する資格があろうとは思えないのです。

「忖度」ということの意味

 大きな問題なのは「忖度」ということがあたかもやってはいけないことのように扱われることです。
 
 以前に「独断専行」という言葉について記載したことがあります。
 多くの識者や学者がこの「独断専行」という言葉の本当の意味を知らずに使うので、あたかも独断専行はやってはならないことのように思われてしまっているのですが、そうではなく、現場がその責任を果たすための適切な行動をするために「独断専行」をしなければならないことがあることについて言及しました。(専門コラム「指揮官の決断」No.067 「独断専行」の意味 をご覧ください。( https://aegis-cms.co.jp/1030 )

 同じことを「忖度」という言葉についても指摘しなければなりません。

 「忖度」というのは、他人の心中を推し量ることであり、これが無ければすべてを言葉にして指示しなければなりません。
 文書や口頭による指示なしには何もしないということになると業務の停滞や質の低下は避けようがないのです。
 
 私は海上自衛隊において指揮官配置も経験していますが、司令部の幕僚勤務も経験しています。
 軍隊では幕僚には人格すらないと言われます。つまり、指揮官の頭脳になりきって勤務しなければならないのです。
 官僚も政権の意図するところを汲んで、その都度細部まで指示されずとも的確に業務を遂行していくことを期待されています。
 
 それが「忖度」です。

 「忖度」があったか無かったなどを議論する必要は全くありません。
 あったに決まっているからです。
 
 だから何なんだ?ということなのです。

 英語にはこういう場合のいい言い回しがあります。
 
 “ So what ? “