専門コラム「指揮官の決断」
第81回No.081 組織改革の可能性
『組織風土』とは
組織論の専門用語に「組織風土」という言葉があります。英語では” Organizational atmosphere “ と言われます。 グーグルではOrganizational climate と訳されますが、これは誤訳です。
この組織風土という概念は組織心理学の観点から面白い議論を繰り広げていますが、ここでの基本的な前提は、組織風土というものは、一度作られるとなかなか変えることができないというものです。
実証的に申し上げると、組織は堕落するのは簡単であるが、元に戻すのは至難であるということが言えます。
これを説明すると、白いペンキが入った缶を思い浮かべて頂ければ分かりやすいかと思います。
白のペンキが入った缶にスポイトで黒いペンキを一滴垂らします。
たちまちペイント缶はグレーになってしまいます。
慌てて白いペンキを流し込んでも、元の白には戻りません。どれだけたくさん注ぎ込んでも、二度と真っ白に戻ることはありません。
組織も同様で、一度そのような状態になってしまうと、元には戻らないというのが組織風土に関する議論の基本的前提です。
経営者はこのことをよく胸に叩き込んでおく必要があります。
自分が理想とする会社を起こして、どれだけ頑張ってきても、その会社の体質が一度堕落してしまい、創業の理想を追い求めることを怠ってしまうと、二度と元に戻ることが無いのです。
それが組織論の定説です。
財務省や年金機構の改革の可能性は?
最近、財務省の事務次官がセクハラ発言問題で辞任するという事件が起きました。
財務省はこのところスキャンダルだらけです。
年金機構も発足から5年間で事務処理のミスが10000件を超えているそうです。
旧社会保険庁時代、5000万件の年金記録が名義不明になっているという事実が判明して大騒ぎになりました。
しかし、これは事実が判明したのではなく、単に露見したにすぎません。多くの社会保険庁職員は、年金記録が出鱈目になっているのを知っていたのです。しかし、それを表立って騒ぐと組織の中で潰されてしまうので黙っていたにすぎません。
私は元国家公務員ですが、社会保険庁の職員宿舎が豪勢なことは我々の間では有名でした。それは、通常の公務員宿舎は財務省に予算要求して建設するために、贅沢な仕様が許されなかったのに対し、社会保険庁は年金のために徴収しているお金の中から、事務管理費として社会保険庁内で使用する枠をとり、その中から建設費を出して宿舎を作っていたからです。
その反省のもとに社会保険庁が解体され、日本年金機構となったはずなのですが、私の理解を遥かに超えることに、多くの社会保険庁職員がそのまま移籍されたのです。
一部、採用を見送られた職員もいましたが、彼らの多くは年金事務の取り扱いの出鱈目さの責任を問われたのではなく、労働運動など反政府的な言動があった職員だったと言われます。
つまり、問題の本質であった年金記録をいい加減に扱ってきた職員たちの大半はそのまま年金機構に移ったのです。
その結果、発足から5年足らずで10000件もの事務処理のミスを生じさせ、過去の記録ミスによる支給漏れを支払う「時効特別給付」を行うことになっているにもかかわらず、それを行わずに10億円の未払が発覚し、さらに昨年は125万件の個人情報を流出させ、今年は、10万人に過小支給、4万5千人に過大支給をしていたことも分かりました。
このような組織は、どのような手を尽くしても本来あるべき姿に戻すことはできません。
それどころか年金機構は、旧社会保険庁を解体するという荒療治を受けたにもかかわらず、その出鱈目な体質に拍車がかかっています。
財務省もついには事務次官のセクハラという破廉恥で人格を疑われる言動による辞任というところまできています。この省も基本的な改革は困難でしょう。
一度灰色になったペンキは、二度と真っ白に戻らないというのが組織論上の定説なのです。
防衛省も、あれだけ騒がれた日報問題で、今頃になって見つかったとか、見つけていたのに報告しなかったなどという論外のスキャンダルを続けています。
制服を着たミリタリーが絶対にやってはならないことは、保身のために嘘をつくことです。保身のための嘘をつくのは政治家や役人の専売特許であり、政治と対極にいなければならないミリタリーは「保身」を考えてはならないのです。
何故か?
保身をまず考えるような者が、命を投げ出して任務を完遂しようなどという覚悟を持っているはずがないからです。
この防衛省・自衛隊も、組織論の定説に従えば、その体質を改めることはできません。
それでは組織の改革はできないのか?
ところが私は、海上自衛隊で実際の組織を自分の肌で観察してきた結果、その組織論の定説を疑うようになりました。
海上自衛隊で様々な勤務に就き、いろいろな部隊を見ていくうちに、ある瞬間に劇的に体質が変わる例をいくつも見てきたのです。
それまで限りなく黒に近い灰色だったものが、ある瞬間に真っ白に戻ることはないものの、明るいオレンジ色に変わる部隊があるのです。
「ある瞬間」と述べていますが、それはどういう瞬間かお分かりになる方がいらっしゃるでしょうか。
「指揮官の交代」です。
沈んだ、活気のない、どことなくよそよそしい雰囲気が漂っていた部隊を再度訪れた時に、その部隊に活気が溢れ、隊員が元気よくその任務に取り組んでいることが空気で分かる、そんな部隊に変わっていることがあります。
よく考えてみると、指揮官が交代しているのです。
それまで演習や訓練検閲などで大した成績を上げることができなかった部隊が、一挙にトップに躍り出たりすることもあります。
つまり、組織改革に成功しているのです。
私はこれら部隊の実情をつぶさに観察し、大学院で研究してきた組織論の定説と合わせて考えてみました。
組織論でいう「組織風土」を変えることは確かに大きな困難が伴います。
しかし、必ずしも不可能ではないという結論に達しました。
一つの絶対的な条件さえ満たせば、組織風土は変えることができるのです。
それは何でしょうか。
組織の改革を成し遂げるために絶対に必要な条件
「トップ」の覚悟です。
いい加減な覚悟ではありません。何が何でも組織を変えてみせるという徹底した覚悟、いかなる困難にも耐え、あらゆる自己犠牲を惜しまずに組織を変えていくという覚悟が必要なのです。
財務省は事務方のトップがセクハラ発言で辞職せざるを得なくなるような組織です。
この組織は改革できません。
役人や政治家に組織風土と闘う能力はないのです。
日本年金機構は、あれだけの大改革を行ったあとに、さらにひどい組織になりました。
過大請求の事案に関しては、過去5年分に関しては返還を求めるのが法律の規定だとして、私の知人にも150万円の返還を求める書状が届いています。年金生活者から何年も前に多く支払ったからといって150万円もの金額を取り返そうというのです。
一方で、彼らの記録の出鱈目さから本来受給できるはずの年金を受給できずに貧困の底で苦しんですでに亡くなった人々に対する措置は何も取らないのです。
歴代トップがその覚悟をもって改革にあたっていないこの組織が生まれ変わることはありません。
一方、日本航空は稲盛和夫氏が無給で社長として乗り込み、再建を果たしました。
最初の役員会議の昼食時、会議室に準備された贅沢な仕出し弁当の値段を役員の誰も知らなかったことに稲盛氏が激怒したことは有名です。
そして見事に再生しました。
役人や政治家には堕落した組織を立て直す力はありません。
それができるのは、ビジネスの現場を戦い抜いてきた経営者だけです。
覚悟が違うのです。
それでは、海上自衛隊の私が見てきた部隊は何故変わることができたのでしょうか。
やはり指揮官の覚悟です。
自分が部隊を率いて戦場に出なければならない指揮官は、その部隊を最強の部隊に育てようと一生懸命になります。文字通り命懸けの改革なのです。
そのような覚悟の無い指揮官が指揮する部隊は変わりません。あるいはもっと悪くなっていきます。
つまり、組織風土は変えられないのではなく、ほぼ命懸けの覚悟をもってあたらなければ変わらないというのが真相なのです。
残念ながら、ほぼ命懸けの覚悟をもって組織改革に臨むことができるのは、ビジネスの現場で社運を賭して戦い抜いてきた経営者か、文字通り命懸けの戦いに部隊を率いて出て行かなければならない制服を着た者たちだけのようです。
不吉な予言
不吉な予言をしなければなりませんが、財務省や年金機構が立ち直ることはありません。
私たちは彼らに期待をせず、自らを救う途を探さなければなりません。
英語の諺に次のようなものがあります。
Heaven helps those who help themselves.
天は自ら助くる者を助く
老後は国が何とかしてくれるだろうとか、年金を当てにするなどということをしてはならないのです。