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専門コラム「指揮官の決断」

第103回 

No.103 『失敗の本質』再考:自らの使命は何なのかを問い続けよ。

カテゴリ:コラム

何故、再び『失敗の本質』なのか

 当コラムでかつて「『失敗の本質』の失敗の本質」というタイトルの一文を掲載したことがあります。(専門コラム「指揮官の決断」 No.030 『失敗の本質』の失敗の本質  https://aegis-cms.co.jp/560   
 ビジネスマン必読の書と言われる『失敗の本質』(ダイヤモンド社 1984年 野中幾次郎他)という本についての私の見方を記述したものです。
 
 私の見解は自衛官OBには評価されましたが、組織論の研究者からは一部を除いて反論を受けました。またビジネスの関係者の方々はよく分からないという反応がありました。
 
 自衛官に評価されたのは、現場の感覚では『失敗の本質』という本が釈然としない思いがあったところを私が説明したからにほかなりません。
 
 組織論の研究者はお一人を除いて、お前のような端くれが何を言うかというものでした。
 
 この本の執筆者たちは当時の組織論や戦史の第一線の研究者であり、特にまとめ役であった野中幾次郎先生は私たち組織論を学ぶ者たちにとっては遥か頭上に輝く星だったのです。
 私は野中先生の業績を否定するものではありません。野中先生の組織論における業績はいくら高く評価しても過ぎるということはありませんし、私の組織論研究の基礎となっています。
 
 しかし、この『失敗の本質』だけは、世の中の評価とは逆に私はほとんど評価していません。むしろ、この本がビジネスマン必読の書とされることに危惧の念を持っています。
 
 なぜなら、この本の出版後、この本に影響を受けたと思われる論評やコメントが数限りなく現れてきているからです。
 それらがほとんどこの本の受け売りであり、また、それらの論点が、当コラムで問題にしている点だからです。
 
 かつて当コラムでこの本に論及した際、多くの論点を1回のコラムに盛り込んでしまったため、説明不足になっている感があり、そこでビジネスの方々がよく分からないと思っておられることに気付きましたので、改めて何回かに分けて私の考え方を述べさせていただこうと思っています。
 
 なぜこれにこだわるかと言うと、『失敗の本質』という書物が扱ったテーマが戦場における意思決定であり、それは危機管理上の意思決定そのものであり、私たち危機管理を専門とするものが避けて通ることのできないテーマだからです。
 
 私は独自にシステム化した危機管理手法であるイージスクライシスマネジメントシステムにおいて、「意思決定」「リーダーシップ」「プロトコール」が危機管理の3本柱であると常々主張しておりますが、この『失敗の本質』という本が、その「意思決定」に関する大きな問題を提起していると考えています。
 そこで、これから何回かにわたり、この書物が提起する問題について考えていきたいと思います。

意思決定は何のために行うのか

 
 今回は意思決定の目的について考えます。
 そもそも意思決定は何のために行うのかという根本的な問題から見直さなければなりません。
 
 一般に意思決定は目的を達成するために行います。
 
 新古典派経済学においては「合理的意思決定者」がモデルとされ、意思決定は合理的に行われると仮定されました。
 
 それでは合理的な意思決定とはどのように行うのかということが問題となりますが、これはあらゆる代替的選択肢をすべて列挙し、その選択肢についての評価を行い、その比較において最も良いものを合理的選択肢として取り上げることにより達成されます。
 
 近代組織論はさすがにその合理的意思決定者モデルを採用することは無理だと考えます。
 あらゆる選択肢を列挙することなど不可能であり、やったとしても不経済極まりなく、またその評価も推測の域を出ないからです。
 そこで近代組織論は満足基準というものを考えます。
 徹底的に合理的であることを追及することをあきらめ、あるいは不必要な列挙はしないという態度をとるのです。ある種のアルゴリズムの採用と言えるかもしれません。
 
 これは皆様方も感覚的にご理解頂けるかと思います。
 
 結婚している方にお伺いしますが、結婚相手を決めるとき、世界中の異性を比較しましたか?
 あるいは人気絶頂の芸能人などを自分の相手の候補者として考慮しましたか?
 多分、自分の手の届く範囲で見極めをつけ、その中でベストと思われる選択をしたはずです。これは悪く言えば現実との妥協の産物ということも言えます。(私の場合は違いますよ。他の選択肢を考慮する必要はないという見極めをつけた結果です。念のため。)
 しかし、いずれの立場を取るにせよ、意思決定が目的を達成するために行われるという基本は譲ることはありません。

 この本の著者たちはこのことが分かっていないのか、あえて無視しているのかのどちらかなのです。
 
 この本の著者たちは日本海軍による真珠湾攻撃を成功した事例として扱い、沖縄をめぐる戦いを失敗した事例として扱っています。
 戦史マニアや自衛隊で現場指揮に任じている若い幹部であればまだその解釈に頷けないではありません。確かに戦術的には真珠湾攻撃は戦果を挙げ、沖縄の陸海軍はほぼ壊滅状態となったからです。
 しかし、これを組織論の枠組みで考えたとき、真珠湾攻撃を成功事例とし、沖縄戦を失敗事例として扱うことは大きな誤りです。

 なぜなら真珠湾攻撃は戦略目的を達成せず逆の結果を生み、沖縄戦は現地軍に課せられた任務を見事に全うしたからです。
 目的を達せられなかった作戦は失敗であり、目的を達した作戦は成功と評価されなければなりません。結果として鮮やかな戦果があがっていようと失敗は失敗であり、住民を巻き添えにした悲惨な結果を生もうが成功は成功なのです。
 社会科学の研究者は生起した事象に捉われることなく、論理的思考で結論を導き出さなければなりません。

真珠湾攻撃は成功だった?

 真珠湾攻撃の目的は何だったのかを改めて考えます。
 
 立案者の連合艦隊司令長官山本五十六は、開戦劈頭、米海軍太平洋艦隊の主力を撃破し、米国に日本と戦うことの困難さを強烈に印象付け、一挙に外交交渉での解決に持ち込もうと考えたのです。つまり、米国の戦意を挫くことが目的でした。
 そのことは彼が書簡に残しておりますし、日米開戦に反対の態度を取り続けた彼が、どうしても米国と戦わなければならないのであれば、この作戦を実施することは必須であると譲らなかったことからもわかります。
 
 結果はどうだったでしょうか。
 
 当初、欧州の情勢にしか関心のなかった米国民は「リメンバー・パールハーバー」の合言葉のもとに結集し、対日戦への戦意をかき立てたのです。
 目的と正反対の結果を生んだ作戦を成功と評価することはできないのです。
 これを成功と考えるのは目先の華々しい戦果に目を奪われているだけであり、冷静な社会科学者の目で見ているとは思えません。

沖縄の悲惨な戦いの意義は?

 
 一方で沖縄戦はどうだったのでしょうか。
 
 沖縄の戦いの目的はつまるところ本土決戦の準備のための時間稼ぎです。
 絶対国防圏をあっという間に突破され、本土決戦が必至となったのち、その準備の時間を稼ぐというのが沖縄防衛に当たった陸軍の第32軍に与えられた究極の目的でした。
 沖縄で米軍に大量の出血を強要すれば、米国は本土進攻を断念するかもしれないという期待もありました。
 
 沖縄が攻撃される前、戦場は硫黄島でした。米軍はこの硫黄島を1週間で攻略できると考えていたのですが、硫黄島守備隊司令官の栗林中将は硫黄島の戦いの意味するところをよく理解しており、玉砕戦を行わず、徹底的に持久する作戦を取った結果、米軍は攻略に1か月を要したのです。そのためにその間に沖縄の防衛の準備を進めることができました。
 
 このことが硫黄島守備隊の兵士たちにどれだけの苦痛を強いたかは想像を絶するものがあります。食べるものも飲むものも満足にない、どの地下道に潜り込んでも摂氏40度を超え、中には50度以上になる地下陣地もあるところで、絶対に勝つことのできない戦いを続けることは地獄以外の何物でもありません。どれだけ早く万歳突撃を敢行して楽になりたかっただろうかと思うと胸が痛みます。
 それでも硫黄島は1か月持ちこたえ、沖縄に戦う準備時間を与えたのです。
 
 その沖縄は米軍が攻略に1か月と見積もりを立てていました。しかし実際には3か月を要し、その間、7万数千名の犠牲者を出し、攻略部隊総指揮官のバックナー中将を戦死させるなどの大犠牲を強いたのです。
 結果的に沖縄は住民を巻き込んで10万名の犠牲者を出し、稀に見る悲惨な戦場となったのですが、作戦目的は達したのです。
 
 これを失敗と評価するのは、住民の犠牲という事実に目を奪われて作戦目的を忘れた分析としか言うことができません。
 沖縄の犠牲はそれゆえ尊いのです。沖縄があっという間に陥落していれば、米軍の本土進攻が早期に行われ、本土決戦となり巻き込まれた住民の数は一桁多くなっていたおそれがあります。戦後70年を経てもこの事実を忘れてはなりません。
 
 しかし、そのことと意思決定論上の議論は別の次元で語られる必要があります。
 
 『失敗の本質』は真珠湾攻撃と沖縄戦の本質を理解していないとしか思えないのです。

意思決定の目的を理解しなければならない

 
 この意思決定の目的をしっかりと理解するということは危機管理のみならずあらゆる戦略策定の基本です。
 何を当たり前のことを言っているのかと思っておられる方も多いかと思いますが、実はこれがしっかりと理解されず、組織が存立の危機を迎えるということは珍しくなく、日常茶飯事に起こっています。
 
 コンプライアンス違反がそれです。
 
 データ偽装を行っていたことが露見した三菱自動車、あるいは三菱マテリアルなど、そのウェブサイトを見れば、どのような理念が掲げられていたかが分かりますが、その高く掲げた理念と彼らのやったことの間には何の整合性もありません。
 自分たちがどのような企業であり、何を目的としているのかを理解せず、目先の利益を追ったのです。

自分の社会的使命を自らに問い続けよ

 
 自分たちの使命は何かということの理解、さらには自分たちは何者なのかという定義づけがしっかりとできていない戦略策定や意思決定は目的を達成できないばかりか、組織を危機に陥れかねない危険な決定となります。

 組織論・意思決定論の専門家ですら意思決定の目的を履き違えることがあります。
 経営者は絶えず自分たちの使命は何か、自分たちは何者なのかを自分に問い続けなければなりません。
 P・ドラッカーもまったく同じ指摘をしていることに気が付かれた方も多いことと存じます。
 
 意思決定の目的をしっかりと理解するということはとても重要なことなのです。