専門コラム「指揮官の決断」
第108回No.108 即応態勢を整備するということはどういうことか
時代劇に見る即応
私は地上波のテレビをあまり観ないのでよく知りませんが、最近は時代劇をあまり放映していないようです。
昔は「水戸黄門」や「遠山の金さん」などという番組が人気で、長寿を誇っていたようです。ほとんど関心がなかったのであまり観たことがありませんが、一つだけ感心することがありました。
水戸の黄門さまや旗本の三男坊に化けた徳川吉宗が悪代官や天下騒乱を目論む老中などの屋敷に乗り込んでいき、いよいよの場面となると決まって出てくるセリフがあります。
「出会え、出会え この者を切って捨て!」
そのセリフに合わせて立ちどころに30人程度の屋敷に詰めている侍が飛び出てきますが、皆さん羽織を着て、大小をしっかり差しています。
この即応態勢は見事です。
一方で「赤穂浪士」の映画を観ると、吉良上野介の屋敷に詰めていた侍たちは、討ち入りを警戒していたはずなのに、皆寝込みを襲われたため迎え撃つにあたって浴衣で応戦しています。
陣羽織の下に鎖を纏い、兜まで被った赤穂の浪士たちに、12月の深夜、雪が降っている中で浴衣だけで応戦して勝ち目があるはずはありません。
自衛隊では?
私は海上自衛隊におりましたので、この「即応」ということを常に考えていました。
歴代で「即応」を指導方針に掲げなかった海上幕僚長は多分いなかったであろうと思われますが、海上自衛隊にとっては「即応態勢の堅持」は至上命令でした。
その態勢を必死になって維持してきたことの成果が東日本大震災で現れました。
この日、午後2時46分、神奈川県横須賀市は震度4の揺れを感じていましたが、その横須賀に司令部をおく自衛艦隊司令官倉本海将が「可動全艦出航せよ。」という命令を出したのは、発災から6分後です。
まだ津波も押し寄せておらず、現地でどの程度の被害が生じているのかまったく情報が無かった時点でした。
発令から47分後、横須賀から護衛艦「さわゆき」が飛び出し、引き続き全国各地の海上自衛隊基地から次々に護衛艦や特務艦が出航し、午後3時50分までに42隻が出航しました。
これには自衛隊の反応を注意深く見守っていた諸外国の駐在武官が圧倒されました。
停泊状態にあった軍艦が下令後1時間以内に40隻以上が飛び出していったのです。世界中の海軍でそれができるのは多分海上自衛隊だけでしょう。
自衛隊だけはこの地震が起きることを特殊な情報網で察知していたに違いないと本気で疑った駐在武官もいました。
しかし、自衛隊や海上保安庁、消防署がそのような即応態勢を整えておくということはある意味で当たり前のことです。
それが任務だからです。
即応の目的とは
それではそもそも何故「即応」が大切なのかという問題を根本的に考えてみます。
実はこれには二つの理由があります。
一つは、当然のことながら、対応すれば失われずに済む大切な価値を、対応が遅れることにより失うおそれがあるからです。
火事を例にとると分かりやすいのですが、家が燃えて崩れてしまってから消防車が来ても手遅れです。
もう一つの理由は、最も初期の段階で対応しておくことが一番簡単なことが多いことです。
先の例で申し上げれば、初期消火が大切なことは言うまでもありません。うまくすれば小さな消火器やバケツの水で消すことができます。
病気を考えてみます。
癌などが典型かと思われますが、ステージ0の段階で発見して適切に治療すれば他臓器への転移もなく、根治治療ができる可能性が非常に高いそうです。
実は、同じ即応でも第一の理由と第二の理由とでは対応が微妙に異なります。
例えば自衛隊は第二の理由による即応をとることができません。
憲法上の制約があるという解釈がなされているからです。
どういうことでしょうか。
専守防衛の建て前があり、先制攻撃が認められないと解釈されていることに起因しています。
他国による我が国への侵略の企図を察知した場合、その策源地(部隊が出撃してくる基地等)を先に攻撃してしまうのが最も簡単かつ当方に被害を受けないやり方で、これが軍事上の常識であり、国際法上これは自衛権の発動と見做されるのですが、これが我が国では「国権の発動たる武力の行使」と見做され、憲法上の制約を受けると解釈されているので、この方法を取ることができないのです。
仕方なく、敵に最初の一発を撃たせて、我が国に現実の被害が生じてからでなければ自衛権の発動に伴う武力の行使(Big Gun と呼ばれます。)ができないのです。
したがって、東日本大震災では世界中を驚愕させた即応態勢を見せた海上自衛隊ですが、我が国の防衛上の事態に関してはそう鮮やかな対応ができないかもしれません。
現在の憲法上の考え方を貫くためには、国民の生命や財産に損害が生じることを許容しなければなりません。
陸上自衛隊が昭和の時代に必死になって防衛力を整備し、作戦計画を立て、訓練や演習を繰り返してきたのは、北海道や本州、あるいは九州に直接着上陸侵攻をしてくる他国を迎え撃つためでした。
つまり本土決戦に備えていたのです。
沖縄での住民を巻き込んだ戦いがどれだけ悲惨だったのかを思い返して頂ければ分かりますが、本土決戦というのは壮絶な戦いとなります。
しかし、現在までの専守防衛の考え方を貫く限りこの犠牲は許容しなければならないのです。
一方、国際法上認められる自衛権の発動の範囲で策源地攻撃を企図するのであれば、洋上遥か遠くから打ち込む巡航ミサイルを準備すれば足ります。
つまり、同じ即応でもその理由如何によって、準備すべきモノが異なり、覚悟も異なるのです。
自衛隊がその行動に際して様々な制約を課せられているのは、その不幸な生い立ちからして仕方がないのかもしれません。
ビジネスの世界における即応態勢の整備はどうするのか
しかし、ビジネスの世界における即応の考え方は、経営トップの考え方次第でどうにでもなります。何の制約もありません。
ビジネスの世界においても情勢の変化に即応していくことは重要なことですが、その即応が何のための即応なのかをはっきり定義しておかないと見当違いの即応態勢整備が行われ、いざという時に役に立たない無駄な整備となりかねません。
いずれの理由によるにせよ、それ以前に危機管理で最も重要なことは、そもそも組織を危機に陥れないことであり、そのために必要なのは、それら自分たちにとって危機となるあらゆる要素を、その芽のうちに摘んでしまうことです。
その芽には二種類があります。
一つは自らの内側にあるものです。
コンプライアンス違反などは典型的ですが、組織の内部に危機の芽が生まれていることがあります。
企業が創業の理念を忘れ、目先の利益を追いかけ始めるとこの芽が急速に成長してしまします。
この問題については、私どものお薦めしている論理的意思決定過程の標準化により、そのような意思決定が行わることを防ぐことができます。
もう一つは自分たちの環境にあるものです。
環境の変化や競合の行動に存在する自分たちにとっての危機の芽です。
大きな経済変動や競合による新製品の開発などをイメージして頂ければ結構です。
あるいは地球温暖化や南海トラフに起因する大地震などもそのカテゴリーに入ります。
これらの変化を敏感に嗅ぎ取る感性は、プロトコールに関する感性を磨くことによって養われます。環境の僅かな変化を見逃さない感性です。
このように考えていくと、危機管理にはお金や施設や装備、あるいは専門部門や専従職員が必要なわけではないことが分かります。大切なのは覚悟や感性なのです。
先程、即応には2つの目的があり、準備が微妙に異なると申し上げましたが、両者に共通していることもあります。
それは「初度全力」という原則です。
即応しなければならない事態が生じた際、その事態がどの程度の規模のものであるのかをしっかりと見極め、それに十分な態勢をとるというのは、一見正しい対応のように聞こえます。しかし、これは誤りです。
手遅れになるおそれがあります。
とりあえず、全力を挙げて反応しなければなりません。
そして、事態が判明してきたら、不要な対応を次々に終結させて引き上げればよいのです。
間違っても状況を先に見極めようなどと考えてはなりません。
このコラムでも度々申し上げてきましたが、危機管理に重要なのは正確な情報の収集ではありません。
即座に反応することです。しかも、その最初の一手を差し違えてはならないのです。
いかにすれば、最初の一手を差し違えずに反応できるのか。
100回を超える回数書き綴ってきたこのコラムのあちらこちらにそのヒントがちりばめられています。丹念に読み返して頂ければ幸いです。
海上自衛隊が東日本大震災に際して、発令から1時間以内、発災からでも1時間4分で42隻を出航させたのは、自衛艦隊司令官が震源地が東北沖であるという情報だけで「可動全艦直ちに出航せよ。」と命令し、乗員たちがしっかりと反応したからです。
司令官は詳細な情報を要求しませんでした。
乗員たちは即応の覚悟を常日頃から持っていました。
日頃の心構えの問題だったのです。
行政機関や企業、病院などにおいても、事情に程度の差こそあれ即応態勢の維持は必要です。それなりの心構えをしておくことにより、それは特別なことではなく、日常になります。
それが本当の即応態勢の維持ということです。
特別なことをやっているという意識はないけれど心の片隅にしっかりとした覚悟が出来ているということが即応態勢なのです。
P.S.
海上自衛隊の広報用ビデオが配信されているのを見つけました。
『精強即応』という海上自衛隊の合言葉がタイトルです。https://www.youtube.com/watch?v=tqvQCZy9IcY&t=284s
私たちが幹部自衛官となるための覚悟を叩き込まれた懐かしい江田島の幹部候補生学校も一部紹介されています。広報用ビデオなので、過酷な訓練状況はカットされて極めてソフトに描かれています。