専門コラム「指揮官の決断」
第120回No.120 真実を見極める眼
論理の飛躍
テレビの通販では健康にいいと称する食品や錠剤などがよく売られています。ただ、その説明を聞いていると、機能性表示食品などの指定を受けているのだから、相当な科学的データを積み重ねてきているのでしょうが、説明にあまりの論理の飛躍があってついて行けないものが多々あります。
例えば、鶏の卵からある成分を抽出したという機能性表示食品などは、ヒヨコは生まれてすぐ立って歩けるから足腰が丈夫、つまりその成分を摂取すると足腰が丈夫になる、また、ヒヨコは生まれた時から羽毛に包まれている、つまり、その成分を摂取すると毛が生えるという説明なのです。
こういう説明を聞くと腹が立ってきます。この論理が正しいのなら、イノシシ鍋を食べるとすさまじいパワーがつくはずですが、柔らかくて美味しいとは思うものの筋骨隆々となったという記憶はありません。また、私は刺身が好きでよく食べますがマグロをいくら食べてもあれほど早く泳げるようにならないのは何故でしょうか?
このようなもっともらしい論理のすり替えや飛躍はビジネスや政治の世界ではよく行われることです。
政治家は?
かつて安全保障関連法案(反対派からは戦争法案と呼ばれましたが。)が国会で審議された際、野党の政治家が質問に立つとき掲げた論理が、この法案が徴兵制に繋がるというものでした。つまり、この法案が成立すると、アメリカが始めた戦争に日本も加担することになり、自衛官に殉職者がでるようになる、そうすると自衛官の退職者が増大し、かつ入隊希望者がなくなってしまうので徴兵制にせざるを得なくなるというものでした。
これは風が吹けば桶屋が儲かるという論理と同じです。現実に、陸上自衛官の志願者は陸自のイラク派遣を境に増えています。海上自衛隊の幹部候補生志願者もソマリア沖の海賊対処行動を機に増えています。具体的に国際貢献できる自衛隊になったことから志願率が向上したことは明らかです。この時、野党の政治家が、自衛官の皆さんの安全を確保しなければならないという主張を繰り返したのも不思議でした。自衛隊が違憲で不要のものであるのなら、身の安全を心配するよりも、違憲であるという主張をすればよいのです。
そもそも自衛官は「事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務め、もって国民の負託にこたえることを誓います。」という宣誓をして入隊しています。
覚悟をした集団です。
その覚悟を決めた集団に対して、犠牲者が出ると退職者が増えるなどという失礼な発言は許容できないところです。どこまで神経を逆なですれば気が済むのかと思って聞いていました。
勉強してからものを言って欲しい
ビジネスや政治ではこのような論理のすり替えや詭弁は常套手段ですが、始末に悪いのは、本人が論理のすり替えや詭弁だと思わず、それが正しいと信じていることも少なからないことです。
以前にも指摘しましたが、イマヌエル・カントの『永遠平和のために』を読んでもいないのに、カントが常備軍の廃止を説いているとして非武装中立を唱える政治家は少なくありません。これはそんなに分厚い本でもなく、とてつもなく難しい本でもないので一日あれば読むことができます。しかし、多くの政治家、評論家がカントが非武装を唱えていると勘違いしているのは、読んでいない証左です。
カントは確かに常備軍の廃止は提唱していますが、非武装を提唱しているわけではありません。カントの言う「常備軍」が「傭兵」のことだからです。彼は自衛のための戦力を保持し、その訓練をすることを否定していないばかりか、明示的に肯定しています。読んでいない人は、カントが常備軍を廃止せよと主張していると聞くと、それが非武装の理論だと勘違いするのです。
勝手な解釈は困る
また、「独断専行」という言葉もそうです。あたかもやってはいけないことのように使われるこの言葉ですが、この誤解が蔓延しているために、この国では自分の責任でものごとを決めるということができません。すぐに本国だの本社だのと調整してからお答えするなどいうことになり、欧米の政治家やビジネスマンをうんざりさせているのです。この「独断専行」という言葉が誤解されるのも政治家や学者が本来の意味を知らずに使うからなのです。
独断専行とは、上級司令部が判断したときと情勢が変わって、その命令に忠実であると失敗することが明らかな場合に、上級司令部に報告し新たな指示を待っていては対応が遅れてしまうため現場の指揮官が自分の責任において判断することを指しており、そのような状況下においては、現場指揮官は上級司令部の命令から離れて最善の措置をとることを求められ、上級司令部の命令を固守しても免責されないのです。つまり、状況によっては独断専行しなければならないことがあるのです。
しかし、これを理解していない学者もいます。例えば『失敗の本質 戦場のリーダーシップ編』において野中郁次郎氏は次のように述べています。
「独断専行とは本来、事態が急変する戦場で、上官の命令や指示を待っていたのでは対応がおくれてしまうので、現場で自主的に判断して行動する、という意味であった。第一次大戦では、従来よりも戦闘単位が小さくなり、下士官が指揮する分隊を単位として戦闘する傾向が強まった。したがって、日本陸軍でも下士官や兵士の自主的判断に基づく対応を奨励したのである。ところが、やがてこの独断専行は、上官あるいは上級司令部の命令や指示を無視して、あるいはそれに反して行動することを指すようになった。」
これは野中氏の個人的な感想でしかなく、「独断専行」の意味が変質したのではありません。まともな軍隊では「独断専行」の要件が厳格に定められています。
例えば、海上自衛隊では次のように教育されます。
1 常日頃、上級指揮官との間に十分な意思疎通ができており、上官の意図に従った意思決定ができる。
2 緊急の事態であり、明らかに上級指揮官の命令があらゆる状況に照らして不合理であるが、上級指揮官の判断を改めて仰ぐ手段がない。
3 事後、可能な限り速やかに報告をする。
4 恣意的ではなく、結果について全責任を自ら取る。
野中氏の言う状況はたんなる「命令違反」または「暴走」でしかありません。独断専行という言葉にはそれなりの意味があるのです。
これを知らない政治家が「首相の独断専行」とか、経営コンサルタントが「トップの独断専行」などと表現することがありますが、トップに「独断専行」はありません。「独断専行」とはトップが周りの意見を無視して自分の意見を押し通すことを言うのではないのです。トランプ大統領の政策も独断専行ではありません。単なる暴挙です。
惑わされない方法
このように、政治やビジネスの世界などには、論理の飛躍やすり替え、知ったかぶり、無知ゆえの誤解などが蔓延しています。
そのような情勢下、私たちが状況を正しく把握し、正しい判断を下していくということは大変なことです。
私はデカルト的態度を大切にしています。つまり「自己の精神に明晰かつ判明に認知されるところのものは真である。」という態度であり、そうでないものについては若干距離を置いています。宗教が「信じる」ところから始まるのに対して、科学は「信じずに距離をおく。」という原則を守るべきだと考えていますが、社会科学も例外ではないはずです。「本当か?」とちょっと疑ってみる、そして、疑わしいものは自分で確認する、そのような態度が必要だと思っています。
先日、ある老練な政治家が、最近の新聞を指して「日付、死亡記事、テレビ番組欄」以外は信用していないと言って笑わせてくれましたが、確かにマスコミに対する考え方はこれでもいいかもしれません。
したがって、この専門コラムも鵜呑みにしてはならないとお伝えせざるを得ません。この専門コラムは危機管理の専門家としてかなりの力を注いで書いておりますが、しかし、お読みになる皆様にはやはり「本当にそうなのか?」という懐疑心をもって読んで頂きたいと思います。
私の方は、その皆様の懐疑心に応えるための努力をする、それが私自身の成長に繋がると考えています。