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専門コラム「指揮官の決断」 

No.145 参院選挙:これは黙っていられない

悪夢の日々

 第25回参議院議員通常選挙が公示され、17日間の選挙戦の真っ最中です。

 私が最も忌み嫌う日々が続いているということです。

 毎日テレビでは立候補者の政見が放送され、ニュースでは選挙戦の模様が報道され、各候補者や政党の党首の顔が繰り返し出てきます。
 街中にはポスターが張られ、駅では候補者が政見を書いたチラシを強引に手の平に押し付けてきます。
 政治家がマムシより嫌いな私にとっては悪夢の期間です。

 なぜ私が政治家を嫌っているのかはこのコラムのバックナンバーのあちらこちらに出てきますので、暇を持て余している方はどうかそれらをお読みください。
 
 当コラムは危機管理の専門コラムであり、社会一般や政治あるいは外交の問題はあまりとりあげません。私自身が安全保障問題の専門家ではないので、安全保障に関する問題も危機管理の観点から考えることはありますが細部に及ぶことは避けています。
 これは公務員としての守秘義務に退職後も縛られているということもありますが、自分が第一人者として自信をもって語ることのできない分野についての議論は避けるべきという基本的な考え方によるものです。

 したがって、参院選挙についてコメントするなどということも本当はしたくありませんし、政治や選挙のことなどは不愉快になるので考えたくもないというのが本音です。

 しかし、今回の参院選の争点に改憲論争が取り上げられていることに鑑み、元自衛官としてどう考えているのかを表明しておくことも、このコラムを継続的に読んでいただいている皆様への責任かと考え、あえて筆を執っている次第です。 

 多くの自衛隊出身者や現役自衛官は、多分、自衛隊が憲法に明記されることを歓迎しているのではないかと思います。誰だって日陰者として生きていくのはつらいですし、日陰者のまま職務に命を懸けるということには一抹の虚しさを感じるだろうからです。
 

憲法9条には何と書いてあるのか

 私自身はどうかと言えば、9条の改正には反対です。理由は簡単です。

 現行憲法下で自衛隊は違憲ではないからです。
 憲法学者の大半は自衛隊は憲法違反だとする説をとっていますが、彼らには日本語が読めないのかと疑っています。

 第9条は次のように規定しています。

 第9条
 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 陸海空軍その他の戦力を保持せず、交戦権も否認するのは、「前項の目的を達するため」と明記されています。
 
 前項の目的とは「国権の発動たる武力による威嚇又は武力の行使を国際紛争を解決する手段」として使わないということです。
 
 簡単に言うと、話がもつれたときに武力で脅かしたり、実力行使に訴えたりしないということに過ぎません。
 つまり、北朝鮮が核合意に反して核兵器の開発を進めているからこれを破壊してしまおうとか、韓国が徴用工問題で日本企業の資産を凍結しようとしているから武力でこれを抑えようなどということは絶対にしないということです。
 
 一方でどこかの異形の大国が我が国の南西端にある島々に武力侵攻をしてきたとき、これを排除することは国権の発動たる戦争をしかけることでも、国際紛争を解決する手段として武力によって威嚇することでもありません。
 
 これは自然権として主権国家に当然に認められる自衛権の発動以外の何物でもありません。
 
 何が国際紛争上の武力行使にあたるのかについて言及していると国際法の教科書を書くことになりますのでここでは触れませんが、興味のある方は1986年の国際司法裁判所「ニカラグア事件」判決をお読みください。
 
 自衛隊はこの自衛権を行使するためのみに創設され、そのためのみの装備体系を構築し、あらゆる訓練もそのためのみに行われています。
 
 最近公開されて話題となった『空母いぶき』という映画をご覧になった方は覚えておられるかと思いますが、某国に攻撃を仕掛けられた海上自衛隊の第5護衛隊群(現実には海上自衛隊は4個護衛隊群しか持っていません。)の各指揮官は、彼らの戦闘が国家間の戦争に拡大することを極力回避する作戦を取ります。攻撃してくる敵に対する反撃も極めて抑制的で、敵の戦死者を局限するための攻撃をどう行うかで悩みます。防衛出動が下令された後ですら、いかに犠牲者を少なくするかを考え続けています。
 
 それが自衛隊です。
 
 つまり、第二項に「前項の目的を達するため」という一文があるために軍隊ではなく自衛隊が創設されているのだというきわめて簡単なことなのですが、どうもほとんどの憲法学者は日本語が読めないらしいのです。
 
 最近憲法の教科書など読んだことがないので近頃の学者がどのような学説を持っているのかを知りませんが、私の学生時代、この論点を正しく解説したのは最高裁の裁判官を勤められた伊藤正巳先生だけでした。

自衛官への最大の侮辱

 私が9条の改憲に反対なのは、現憲法下においても自衛隊の存在は違憲ではないからですが、これは自民党も基本的には同じです。しかし、自民党は多くの憲法学者が違憲であるという学説を取り、中学・高校の教科書でも違憲論に触れられ、国会においても違憲であると主張する政党があることから、自衛隊の存在を明記してそれらの議論を無くしてしまう必要があるとして改憲が必要だとしています。
 
 「君たちは違憲かもしれないけど、命がけで戦ってこい、とはとても言えない。」という主張なのだそうです。

 私に言わせればこれほど自衛官を侮辱する見解はありません。
 
 東日本大震災の災害派遣で出動した隊員たちは、霙の降る東北の被災地で泥水につかりながら懸命の捜索をし、被災者に温かいものを食べさせるために自分たちは5月まで冷たい缶詰の行動食のみで闘い続けました。
 
 彼らは自衛隊を支持してくれる方々のみにそのような救援活動をしたのではありません。
 
 政治家に激励されて現場に出向いたのでもありません。
 
 そこに自分たちを必要とする人々、自分たちを待っている人々がいたから彼らは死に物狂いの闘いを繰り広げていたのです。
 彼らが鼓舞されたのは政治家の応援ではありません。被災者の涙や笑顔や声でした。
 
 現実に、自衛隊の最高指揮官である首相は、ついに一度も自衛隊の部隊に激励に来ませんでした。疲れ切った彼らに声をかけてくれていたのは歌手の長渕剛さんたちでした。(このことについては弊社が配信しているメールマガジンに記事を載せていますので、そちらをお読みください。https://q.bmv.jp/bm/p/bn/list.php?i=aegismm&no=all&m=80 )

 最高指揮官の首相が激励に来ないからといって現場の隊員たちががっかりしたりすることはありませんでした。
 もともと政治家などに何も期待していないからです。

 彼らは自分たちの存在が憲法論的にどうなのかなどと考えて出動したのではありません。
 この事態に対応できるとすれば自分たちしかしないという覚悟だけで現場に向かったのです。

 昭和の時代、自衛隊は違憲の存在とみなされていました。私も高校までそう教えられてきました。
 
 私は防衛大学校出身ではありませんが、防衛大学校1期生は当時の吉田首相にある言葉を語り掛けられています。
 
 「君達は自衛隊在職中、決して国民から感謝されたり、歓迎されることなく自衛隊を終わるかもしれない。 きっと非難とか叱咤ばかりの一生かもしれない。御苦労だと思う。しかし、自衛隊が国民から歓迎されちやほやされる事態とは、外国から攻撃されて国家存亡の時とか、災害派遣­の時とか、国民が困窮し国家が混乱に直面している時だけなのだ。言葉を換えれば、君達が日陰者である時のほうが、国民や日本は幸せなのだ。どうか、耐えてもらいたい。」
 
 自衛隊はそのような国民の多くの冷たい視線の下に税金泥棒扱いされながら防衛力を整備し、猛訓練によって部隊の練度を高め、今日、世界一流の部隊を作り上げてきました。
 
 今や、PKOや国際緊急援助活動などで自衛隊の部隊が到着すると先に到着していた諸外国の部隊に動揺が走ります。彼らはプロの軍人ですから、到着してきた自衛隊の部隊を一目見て、その秩序と練度が並ではないことを一目で見抜くのです。
 
 そしてイラクに派遣された陸上自衛隊の部隊は任務終了に際して地元で「日本部隊は帰らないでくれ」というデモが行われるまでの信頼関係を築き、海上自衛隊部隊は環太平洋合同軍事演習に参加するたびに他国海軍がどこもできない米艦艇撃破の戦果を積み重ねています。

 隊員たちは政治家に「君たちは合憲の存在なんだから、頑張ってこい」などと言われなくとも、それが自分たちにしかできないとなれば出ていくのです。

 憲法に自衛隊の存在が明記されずとも、黙々と自分たちの使命を果たして国民の信頼を勝ち得てきた自衛隊なのですから、これからもそのような道を歩み続ければいいのです。
 逆に憲法に明記されることで緊張感を失ってしまうことの方が恐ろしいと考えます。

 米国では軍人の社会的地位が日本に比べて遥かに高くなっています。私はカリフォルニアで米国法人のCEOを勤めた経験がありますが、米国人の社長などと話をしていて、元海軍士官だというと急に態度が変わるのを感じたことが幾度もありました。
 それまでは日本の小さな会社が売り込みに来た、という程度の認識でのお付き合いだったのが、急にこちらの話を真剣に聞いてくれるようになり、当初予定していなかった会食に誘われたりということを何度も経験しています。
 
 しかし米国における軍人に対する敬意は湾岸戦争以後のものであり、ベトナム戦争以後の20年以上にわたり軍隊に対する風当たりは相当強かったようです。
 
 つまり、憲法上の位置づけがどうであろうと、軍隊が国民から評価され、軍人が敬意をもって遇されるかどうかは別の次元の話なのです。
 
 自衛隊もあえて必要もないのにその存在を憲法に明記するのではなく、創設時の先達の苦労に想いを馳せ、常に緊張感をもって実力の向上に努めていくことの方が重要だと思っています。
 
 驕ることなく、謙虚に身を慎み、誠実に国民の負託に応えていくことが自衛隊にとっては必要です。
 
 先の第2次大戦の教訓から学ぶとすれば、軍隊を驕らせないことです。

 吉田首相が述べたように、軍人が肩を張って闊歩する社会ではない方がこの国は幸せなのです。
 普段は顧みられることがなくとも一朝事ある時には必ず国民の負託に応えるということでいいかと思っています。
 
 私も米国に連絡官として駐在した経験があり、米国軍人が享受している特権をうらやましいと思ったことはあります。ミリタリーディスカウントで超一流のホテルも安く泊まれ、基地内の官舎は完全空調で快適であり、ゴルフコースも基地内に整備され、オフィサーズクラブではいろいろなイベントが開催されるなどの施策がうらやましくないわけがありません。
 
 一方の自衛隊は勤務は自衛隊法で規律されるのに処遇は国家公務員法の準用を受けるといういじめとしか思えない身分しか与えられず、軍人としての名誉などは認められていません。
 
 しかし、ある時から私は自衛隊はそれでいいと考えるようになりました。
 私たちは誰に頼まれたのでもなく、強制されたのでもなく、自らの意志で宣誓をして入隊したのであって、名誉や処遇を当然に要求できる身分ではないからです。
 それらは私たちが本来の任務を果たしたときに自然についてくるものであって、制度としてそのようになっているべきものではないのです。
 
 つまり、憲法に存在を明記しなければ自衛官の士気が上がらないなどと考えるのは自衛官に対する侮辱であり、権力欲や名誉欲にとらわれている政治家の浅知恵でしかありません。

改憲論の論点の過ち

 私は9条の改憲には反対ですが、変えなければならないところもあると考えています。
 
 前文です。

 「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」 
 
 この戯けた文章は、日本語として何を言っているのかよく分かりません。

 それだけではなく「諸国民の公正と信義に信頼して、自国の安全と生存を保持する」などということは正気の沙汰とは思えません。
 
 国際社会において名誉ある地位を占めたいと思う国家がこんな無責任な態度でいいはずがなく、改憲すべきは前代未聞の悪文であるこの前文です