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専門コラム「指揮官の決断」

第168回 

緊張感を欠いた社会 

カテゴリ:危機管理

桜・・・

前回、当コラムではこの社会は危機管理に無関心なので、次に起きる大きな危機管理上の事態に対してなすすべを持たずとてつもない被害を受けて右往左往するであろうという不吉な予言をしました。

国の機関や自治体などは適切であるかどうかは別として危機管理の必要性の認識のもとに少ない予算をやりくりしながら対応を図ろうとしています。

ひどいのは企業です。

責任は評論家やマスコミにあるのですが、ビジネスの社会はリスクマネジメントとクライシスマネジメントの違いを理解せず、BCPを作ればいいものと思い込んでいるらしく、目先の利益を追求するのに必死で、いざという時の備えがまずできていないでしょう。

3日分の食糧の備蓄とかそういう問題ではありません。

企業がその体たらくである理由は、そもそもこの社会自体が緊張感を欠いているからです。

今月9日に臨時国会は閉会しましたが、なんと争点は「桜」でした。

その臨時国会を総括するマスコミも関西電力役員の金品の授受、NHKのかんぽ報道に対する圧力、「桜を見る会」の問題などについて行政監視ができないまま閉会したと非難しますが、もっと大切な論点についての議論がなされていないことについての批判はしていません。

この臨時国会期間中に真剣に議論すべき論点の一つは中東への海上自衛隊艦艇の派遣でしょう。

我が国の生命線であるシーレーンを如何に防護するのか、イランとの関係をどのようにしていくのか、など真剣に議論すべき論点について国会がスルーしてしまうというのはどういうことでしょうか。

派遣の名目は「調査研究」ですが、何か起これば直ちに「海上における警備行動」が命ぜられ、武器の使用を考えなければならない事態となります。

野党がこれらの問題に関して政府の見解を糺し、自分たちの論陣を張らないのはなぜでしょうか。

選挙で票にならないからです。

選挙を優位に戦うためには安全保障問題に触れず、スキャンダルを糾弾する方がいいのでしょう。

また、安全保障問題を真剣に議論できる人材が野党にいないという事情もあるでしょう。

民主党政権時代、わずかにいた安全保障問題をしっかりと勉強していた議員たちは早々に民主党を離れ、立憲民主党には参加していません。自民党に入党した議員すらいます。

つまり現在の野党には安全保障問題を議論できる政治家がいないのです。

マスコミは・・・

マスコミに目を移します 

冷え込んでいる日韓関係に比べて日中関係は対話が進展しています。

来年に予定されている習近平国家主席の訪日を如何に意義あるものにするかという議論は大切です。しかし、実はその陰で中国公船の尖閣諸島付近に対する接近回数は過去最大となっていることを政府は発表しているのですがマスコミは取り上げようとしません。

北朝鮮の弾道ミサイルも昨年は一度もなかった打ち上げを今年はすでに10回以上行っています。

さらには新たなロケットエンジンの燃焼試験を行っているということが分かっても大騒ぎになりません。

これはかなりの長射程ミサイルの開発が進んでいることを雄弁に物語っているのですが、日本のマスコミは対岸の火事のような報道に終始しています。

南海トラフに起因する地震津波の発生確率を無効30年以内に70%としてきた政府が70%から80%と上方修正したのは昨年の1月です。その時点からすでに2年近い時間が過ぎました。

カウントダウンは着々と進んでいます。ひょっとするとオリンピックなどと浮かれている状況ではないのかもしれません。

しかし、政府機関や一部自治体を除き、その問題にはあまり触れられません。最近NHKが連続で特集を組んだのが異例でびっくりしたくらいです。

ノストラダムスの予言の時にあれほど騒いだマスコミがこの問題を避けているようにしか見えません。

あるテレビ局の方から聞いたことがあるのですが、この問題を真剣に取り上げると、被害が予想される地元から不安感をあおっていると風評被害で訴えられるのだそうです。

ビジネスの世界は・・・

企業の危機管理が最低であることについては前回も触れました。

東日本大震災で懲りた企業はサプライチェーンの確保対策には手を付けているはずです。バックアップの電源なども準備しているでしょう。

私が相談を受けるのもその類の案件です。

しかし、それらは地震の被害が生じた場合の物的な対応にすぎません。

人的な被害をどう局限するかという問題やそのような危機管理上の事態において経営陣をどうサポートするのかという対策とはなっていないのです。

経営陣がどのような事態になっても毅然と対応してみせるという覚悟を持っているのであれば結構ですが、大方の経営者はどの時のことから目をそらせているだけでしょう。

あるいは危機管理部門を充実させればいいと考えているのかもしれません。

ところが問題は危機管理部門にリスクマネジメントの専門家を採用して事足れりと考えている経営者が大半であるということです。

当コラムでは繰り返し申し上げておりますが、リスクマネジメントと危機管理は別物であり、リスクマネジメントはしっかりやらねばなりませんが、だからといってそれで危機管理ができるというものではありません。それはビタミンが体に必要だからといってビタミンAだけ大量に摂取していればビタミンCはいらないということにはならないのと同じです。

付言すれば、危機管理はトップの専管事項であり、担当部門に丸投げしてはなりません。担当部門に補佐させるのはいいのですが、あくまでもトップが陣頭指揮を執らねばならないのです。

そう考えている経営者がどれだけいるのでしょうか。

そして私たち自身は・・・

私たち自身が私たちの社会が直面している危機に対してどのように考えているでしょうか。

防災は政府や自治体の責任だと考えるのが普通かもしれません。

しかし、この国は民主主義国家です。

この民主主義を勘違いしている方が圧倒的多数ですが、この態勢は本来お上が何でもやってくれる態勢ではありません。

特に代表民主制をとる我が国にあっては、自分たちの思いを代表者を通じて政治に反映させることが必要であり、政府や自治体に何をすべきかを指示してやらねばならないのです。

国家や自治体の不作為や不正を糾弾するのであれば、まず、そのような政権を選んだ自らが糾弾されなければなりません。

自治体がしっかりとしていないのであれば、そのような自治体を育てた地域住民の責任です。

政治や行政の悪口を言うのは簡単で誰にでもできます。しかし、しっかりとした対案を出して批判するということは簡単ではありません。選挙で代表者を選んでこの国の、あるいは自分たちの地域の運営を行っていくということは、責任をその代表者に委ねるということではありません。

あくまでも責任は選んだ私たちにあるのです。だからこそ私たちには言論の自由が認められており、さらにはリコールや住民投票の請求権が認められているのであり、ただ権利だけ主張するのではなく、それらの手段を通じてこの社会の将来を築かなければならないということは憲法前文にも明確に記述されています

憲法に関する論議の中で、憲法がそのような責任を国民に負わせていることを指摘する学者も評論家も見たことがありません。

つまり、誰もそのような責任を自覚していないのでこの国の危機管理はまともな国家から見れば噴飯物のレベルであり、到底東日本大震災という世界史上稀にみる1000年に一度の大災害を経験した国とは思えない緊張感を欠いた国家になり下がっています。

私たち自身が現実的な危機感や緊張感を取り戻して国や自治体を指導していかなければこの国の民主主義は育たないのです。