専門コラム「指揮官の決断」
第167回危機管理とはそもそも何をするマネジメントなのだろうか
根源的な問い
京都アニメーションのスタジオで起きた放火殺人事件はまだ記憶に生々しいものがあります。世界中に夢を発信し続けた多くのスタッフの方々が犠牲となったこの事件は、治安のいいことに自信をもっていた日本にとっては異様な事件であり、考えなければならない論点を数多く含んでいます。一刻も早い事件の原因の究明が望まれます。
この事件を受けて、いろいろな方から危機管理の専門家はこの事件をどうとらえるのかとご質問を頂きました。
これはむしろ危機管理とは何かという根源的な問いと受け取るべきかと考えています。
危機とは何か
危機管理とは何かという定義は危機管理の専門家の数と同じだけあると言っても過言ではありません。しかしその大半はクライシスマネジメントとリスクマネジメントの違いも理解できない専門家たちによるものですので、あまり気にする必要はありません。
要は、一定の安定した状態にあった生体や組織あるいは広義のシステムの安定が崩され、放置すれば回復不可能な望まない状態に突き進んでいくかもしれない状態を指して危機と呼んでいます。
この危機を分類する方法もまた無数に存在しますが、その一つに「避けられる危機」と「避けられない危機」という二つに分類する方法があります。
「避けられない危機」の典型は自然災害です。南海トラフに起因する地震津波災害などは人知の及ばぬ避けられない危機です。しかも、この危機が生ずることは100%確実であるという始末の悪いものです。富士山の噴火も同じで、避けることができないだけでなく、富士山がいずれ噴火することも100%確実です。
日本列島の南岸に横たわるプレートのぶつかり合っている部分に圧力が溜まっている以上、これがいずれ弾けることは単に時間の問題に過ぎず、また、富士山の下でマグマが溜まっている以上、これが限度を超えて噴き出してくるのも時間の問題に過ぎないのです。
私たちが重大な関心を持っているのは、それが「いつ」で「どのくらいの規模」で起こるのかという問題であり、それらが生起すること自体は確実な事実です。
戦争やテロ、疫病などは政府がしっかりとしていればある程度防ぐことのできる危機ですが、個人や企業などにとっては避けられない危機です。
一方の避けられる危機の典型は、コンプライアンス違反を代表とする企業のスキャンダルです。昨年起きた日大アメフト部のスキャンダルは大学当局の対応のまずさから危機管理上の問題とされてしまいました。危機管理学部を持つ大学が危機管理ができていないという驚くべき事態となったのは記憶に新しいところです。
この事件などはしっかりと対応していれば危機にはならなかったはずです。
では危機管理とは?
さて、それでは危機管理とは何をするマネジメントなのでしょうか。
危機管理とは社会や組織、あるいは個人を守るためのマネジメントであり、そのためには避けられない危機に対してはその被害を局限し速やかな回復を図ることであり、避けられる危機は生じないようにあらゆる対策を取ることが必要です。
どちらの危機に対しても事前の対策が重要であり、クライシスマネジメントの成否の9割方は危機の前に決まっていると言えないこともありません。
中小企業庁が出している文書では、企業は事前にリスクマネジメントをしっかりとやっておき、危機が生じたならば速やかにクライシスマネジメントに移行すべきだと書かれていますが、経済産業省がリスクマネジメントとクライシスマネジメントの本質を理解していないことは明らかです。
事前にしっかりとやっておくのはクライシスマネジメントであり、事態が生じてから行動に移すのはリスクマネジメントです。
一言で説明しましょうか。
何も起きていない状態でBCPを発動する企業がありますか?
準備されたBCPの発動は事態が起きてからです。それまでは危機を起こさない体質、危機に対応できる実力を作っておくことが重要です。それがクライシスマネジメントです。
危険性(リスク)を事前に評価し、準備し、そして危険性が現実のもとなったときにあらかじめ計画されたとおりに対応するというのは通常のマネジメントの一環であり、特にクライシスマネジメントと呼ぶ必要はありません。
マネジメントがクライシスマネジメントと呼ばれるようになるのはそれでは対応できない状況に社会や組織や個人が対応しなければならないことがあるからです。
もし事前の評価による準備で対応できるのであればそれは一連の手続きに過ぎないのですが、事前に評価しなかった事態、あるいは評価を遥かに超えた事態が生起して準備では対応できない場合には危機管理を発動しなければなりません。
つまり危機管理には二つの側面があるということです。
一つは事前にできることにあらゆる手を尽くしておく、もう一つは思いもよらない事態の生起に対して的確に対応するということです。
事前にあらゆる手を尽くしておくというと、保険に入ったり防災備品を準備したりということを考える方が多いのですが、それはリスクマネジメントの範疇です。
クライシスマネジメントにおいて事前に尽くす手というのは、より根幹にかかわるものであり、それは危機に陥りにくい体質を作ることから始まります。
会社が掲げた理念の周知徹底を図りコンプライアンス違反などを起こさせない気風を醸成することなどが典型でしょう。
イージスが重視しているのは「意思決定」「リーダーシップ」及び「プロトコール」の三本柱ですが、そのどれもが危機に陥りにくい体質を作り、そして危機が生じたならば毅然と対応できる態勢を作るために重要です。
当コラムはすべてその三本の柱のどれかを視点として危機について語っています。
経営者は勉強しているのか
私も最近だんだん理解してきたのですが、社会においては「危機管理」は全く理解されていないと言って過言ではないようです。
私は長く公務員生活をしていましたのでビジネスの社会のことはほとんど理解せずにきました。そして時々垣間見るビジネスの世界に対し幻想を持っていたようです。
なぜなら書店に行くと様々な書籍が積まれ、雑誌などではドラッカーがこう言ったとかコトラーによれば・・・などという議論があふれていました。
公務員の中でも一般社会との接点のあまりなかった業務についていた私はビジネスの方々は毎日が戦争で生き馬の眼を抜くような生活を続けているので、そのような勉強を必死になってしているものと思い込んでいたのです。
そして公務員生活を終えてビジネスの世界に入り、商社で営業部長などをしているうちに「?」という思いが湧いてきて、さらにコンサルタントになって様々なコンサルタントと付き合っていくうちに「?」の数が際限なく多くなっていくのを止めることができなくなってしまいました。
ドラッカーを本当に読んだことのあるビジネスマンなどはほんの僅かに過ぎず、逆にその方々はビジネスにとてつもなく深い造詣をお持ちで、その他の多くのビジネスマンは雑誌などでドラッカーが何を言ったかを読んで知っているという程度だということが徐々に分かってきたのです。
はなはだしきは経営コンサルタントで「ドラッカーが述べているように・・・」とよくおっしゃっている方でもその程度であることも珍しくないことを知りました。
さらにはマスコミに登場する評論家やジャーナリストと呼ばれる人々の多くもその類であることにも気づきました。
WiKiペディアが誤ると評論家やジャーナリストが一斉にコケてしまうのが可笑しいくらいです。
私たちの社会は危機管理に無関心
そして危機管理です。
当コラムで何度も何度も主張しているように危機管理は誤解されています。
その誤解が何故誤解のまま放置されるかと言えばマスコミに登場する評論家たちの責任も大きいのですが、危機管理というものを真剣に考えないからです。
特にひどいのがビジネスの世界です。
3.11を経験し、タイのバーツに始まる通貨危機やリーマンショックを経験したにもかかわらずビジネスの世界は危機管理をまったく顧みていません。
BCPを作らない会社には銀行が融資をしてくれないからBCPを作ることは作るのですが、そのBCPのストレスチェックなどするつもりは毛頭なく、作られたBCPはカギをかけた金庫に放り込まれて誰も見ることがありません。
なぜそうなのかを時々考えます。
多分、それは私たち日本人の熱しやすく冷めやすい国民性に由来するかもしれません。
3.11も通貨危機もリーマンショックもすでに過去のことになっているのでしょう。しかもなんとか凌いで今に至っているという思いがあるのでしょう。
さらに危機管理の重要性は分かるがその前に収益を上げなければと多くの経営者が考えていることも事実でしょう。
危機管理をしっかりとやると体質が強化されるので収益も上げやすくなるのですが、経営者の多くはそもそも危機管理は何をするマネジメントなのかを考えないのでそこに気が付かないのです。
危機管理コンサルタントの不吉な予言
危機管理専門のコンサルタントとして不吉な予言をしなければなりません。
来る大きな危機、それは南海トラフに起因する地震津波災害かもしれませんし、富士山の噴火かもしれません。あるいは他国による我が国への直接あるいは間接の侵略かもしれませんし、宇宙人の攻撃などという想像もつかない事態かもしれませんが、この社会は近い将来またとてつもない被害を受けて右往左往し、国の対応の遅れなどと責任の転嫁が図られるでしょう。
私たちの社会はリスクマネジメントとクライシスマネジメントの違いすら理解できていないのです。
危機への備えを真剣に行わない者が手痛い仕打ちを受けるのは当然のことです。
私たちの社会は危機管理ができるような社会ではないのです。