専門コラム「指揮官の決断」
第192回言論という名の暴力
ネット上にはびこる暴力
ネット上の誹謗中傷で自殺に追い込まれた女性レスラーの問題で社会に大きな議論が巻き起こされました。この議論は詰まるところ、ネット上の誹謗中傷の匿名性の問題に尽きるようです。
しかし、事が言論に関わる問題であるだけに簡単に規制もできず、結局は匿名の意見など相手にしないという社会に変わっていくしかないのではないかと考えています。
匿名性に隠れて誹謗中傷を行うのは、嫉妬心からでしょう。何とか相手を自分以下に貶めてやりたいという卑しさが根底にあるからであって、自分が優位に立っていると認識しつつ誹謗中傷するのであれば、それはサディスティックな異常性としか言いようがありません。
匿名で他人を誹謗中傷するようなメッセージや人物は社会全体が無視してしまうというムーブメントが起きてくれば解決できるのではないかと考えています。
しかし、このような問題はたとえ匿名でなくとも生じてきます。その原因は「言論の暴力性」です。
なぜ言論が暴力性を持つかと言えば、それにほぼ無制限の自由を与えた日本国憲法に理由があります。
現行憲法下においても、言論の自由は思想・信教の自由などの内心の自由に比べると公共の福祉の制約を受けますが、しかし、ほぼ無限大の自由を持っていると言っていいでしょう。さすがに公共の電波を使って、極端に品のない誹謗中傷などを繰り返すと規制の対象になりますが、オブラートに包んでしまえば規制を逃れることができます。
また、事実に反することを述べても規制されることはありません。それが公共の電波を使ったメディアであってもです。
そのようなメディアの性格は、時として暴力と同じくらい社会に害悪を及ぼします。
メディアはいかに嘘をつくか
いかにメディアが嘘をつくのか、最近の例が示しています。
5月7日に放送されたテレビ朝日の「グッド!モーニング」でインタビューに答えた澁谷泰介医師がご自身のフェイスブックで「真逆の意見とみえるように編集された。」と抗議しました。
澁谷医師によれば、テレビ朝日からコロナウイルスの診療に関して依頼されたインタビューにオンラインシステムで応じたのだそうです。澁谷医師は3月に帰国するまでベルギーの病院で心臓外科医として勤務され、感染症の専門家ではないので一般の医師としてお答えしますという条件でインタビューに答えたのだそうですが、その40分にわたるインタビューの中でPCR検査に関してこれから検査数をどんどん大きくしていくことが必要ではないかというコメントを繰り返し求められたそうです。
澁谷医師は「現段階ではPCR検査をいたずらに増やそうとするのは得策ではないとその都度コメントした」のだそうですが、本番ではそれは完全にカットされたのだそうです。
カットされただけではなく、「潤沢な検査をできる体制は本当に必要な患者にとっては必要であるが、無作為な大規模検査は現場としては全く必要としていない。」とコメントしているにもかかわらず、ヨーロッパ帰りということでヨーロッパでのPCR検査は日本よりかなり多く、日本はかなり遅れているという論調の中でインタビュー映像が使用され、したがってPCR検査を大至急増やすべき、というメッセージの一部として編集され真逆の意見として見えるように放送されたということです。
この抗議ともいえるフェイスブックがネットでも大きな話題になったにもかかわらず同局は翌日に何のコメントもせず、5月12日になってようやく訂正を行っています。
当コラムではすでにPCR検査をむやみに行ってはならない理由を解説しています。感染症の専門的見地からではなく、統計学から見た理由なのですが、感度・特異度ともに現実よりもかなり高い数字を使って計算しても感染者数が1万人程度の日本においては条件付確率を求めると1111人に1人しか正確に判定できません。つまり、むやみに検査しても検査機関の能力を超えてしまい、本当に必要な新型コロナウイルスの症状がはっきりと現れて対応を誤ると本当に重篤化しかねない患者に対する検査ができなくなるということです。
この統計学的な確率はしばしば私たちの直感との乖離を生じます。
これを解説しようとするとモンティ・ホール問題やベイズの定理などの説明をしなければならなくなるので割愛しますが、「直感で正しいと思える解答と、論理的に正しい解答が異なる問題」としてよく議論されます。
一般にがん検診が本当に有効かどうかという議論がなされる際、がん検査の感度(陽性が正しく陽性と判定される確率)80%、特異度(陰性が正しく陰性と判定される確率)95%で条件付確率の問題を解くと、検査で陽性である場合に本当にがんである確率は4.6%しかありません。桁の間違いではありません。ヨンテンロクパーセントです。
つまり、むやみなPCR検査はせず、本当に必要な患者に対してだけ貴重な検査資源を使用することが大切なので、まともな医師はむやみにやっても意味がないとおっしゃるのです。
実際に現場の医師に聞いても、経験を積んだ医師なら新型コロナウイルスの感染を疑うべきかどうかは検査せずとも分かるという方がほとんどで、医学部の学生やインターンならともかく、まともな医者ならPCR検査など必要ないという方ばかりです。ただ、本当に重篤化するおそれがあると診断される患者は、その先の治療法を検討しなければならないので検査の必要があるという点では一致しています。
現場がそう考えているからこそ、PCR検査に健康保険を適用し検査態勢も1日2万件に増やしても検査数が伸びなかったのです。それが分からない野党議員は、国会において何故検査数が増えないのかを厚労相に問いただすという訳の分らない質疑を繰り返して時間を無駄にしました。
現場はむやみにPCR検査を増やすべきではないと言っているのに、なぜ私たちの耳に入らないかと言えば、マスコミが澁谷医師へのインタビューのように情報を操作しているからです。
マスコミは何故か是々非々で臨むことはせず、基本的にアンチテーゼしか述べようとしません。それが報道の使命だと思っているようです。
あるいは徒に恐怖を煽って視聴率を稼ごうとしているのかもしれません。
そして、クルーズ船で感染者が発生した際に日本の検査態勢が十分でないことに目をつけ、一斉にPCR検査が必要だという論陣を張りました。諸外国の検査態勢を引き合いに出し、日本が極端に遅れていると主張しました。その諸外国が医療崩壊を起こした原因については一切論及せず、単に検査数のみを比較して検査を拡充すべきという論陣を張ったのです。
そして、日本の感染者数が欧米に比べて極端に少ないのは検査をしていないからであり、本当に検査をすればこの何十倍もの感染者数が発覚するのを恐れているという主張まで繰り広げました。この主張にまったく根拠がないのは、いまだにこのウイルスによる国内感染の死亡者が1000人に達しないことでも分かります。もし実際の感染者が何十倍もいるのであれば、日本のこのウイルスによる致死率は1%を遥かに下回ることになってしまい、説明ができません。
つまり、マスコミは一度PCR検査を広く行うべきだという主張をしてしまったので、いまさらあれは間違いでしたと言えず、自分たちが正しかったということを裏付ける番組しか作らないのです。
したがって、澁谷医師の場合のように真逆の意見に見えるように編集されるか、あるいはテレビ局の意に沿う発言しかしない医師ばかりが登場することになります。テレビで準レギュラーのように度々お見かけする感染症専門医ではない医師はそのようなテレビ局のお気に入りなのでしょう。
感染症の専門医がなかなか登場しないのにも理由があります。一つには感染症の専門医は必死に現場で戦っているのでテレビなどに出ている余裕がないのと、専門医ですからいい加減なことを言わないのでテレビ局の意向に沿ったコメントをしないのでしょう。
ある局のワイドショーによく登場するお医者さんが2月下旬ころ、国から送られてきたというマスクを振りかざして、「政府はこんなマスクで我々にウイルスに立ち向かえと言うんですよ。こんなマスクで若い医師たちに体を張って治療に当たれと言うんですか!」と檄して見せました。それでその局のお気に入りになったのかもしれません。以後ほとんどレギュラーのように出演されています。宇都宮で開業しているクリニックの院長で感染症が専門ではなく呼吸器内科のお医者さんだそうです。ほぼ連日出演しているのですが、宇都宮から毎日東京に出てくるのも大変だろうとは思いますが、要するに治療のために死に物狂いになっていないということなんでしょう。それより何よりもびっくりしたのは、感染症の治療にあたる医師やクリニックがマスクすら準備していなかったのかということです。それも3か月以上経った5月の話ではありません。2月下旬の話です。
自衛隊も潤沢な防衛予算を与えられているわけではないので継戦能力に関しては心細い限りですが、それでも1か月で音を上げるような情けない集団ではありません。(何か月戦えるかは申し上げることができません。)それを、2月の時点でマスク不足で怒りを表明するなど、とても感染症に関してコメントするプロとは思えません。感染症を舐めていたとしか思えません。というよりも、感染症が拡大するとどうなるのかを全く知らなかったのでしょう。
このように情報操作はマスコミの得意とするところで、私たちがPCR検査をむやみにやるべきではないという専門家をテレビで観ることがないのは、そのような見解を述べてもオンエアされないからです。
レベルの低さも問題
情報操作もよく行われますが、事実誤認にいたっては日常茶飯事です。
そもそもテレビ局の勉強不足や出演者の無知によって誤った番組作りが行われることがあります。
この度の騒ぎで突如有名になった某大学の女性教授の発言にびっくりしたことがあります。東京都が軽症者を収容するために準備したホテルについて、「医師がいないところで、重篤化したら問題だ。」と発言したのです。東京都が準備したホテルには日中は医師が容体を観察しており、看護師は24時間常駐しています。そして容体の急変に備えて交代で待機する医師が指定されていて、看護師の要請ですぐに駆けつける態勢になっています。これは総合病院で当直の救急救命医が救急患者の対応をしている場合よりも速やかな措置が行えると言われています。東京都が準備した病院の態勢を確認していなかったのでしょう。
また彼女は4月に新型コロナウイルスによる死亡者が多くなってきたころに同じくびっくりする発言をしています。3月20日頃から10日おきに死亡者数が10人以上増えていった状況について、指数関数的だと発言したのです。つまり、3月20日頃は10人、4月1日頃は20人、4月10日頃は30人となっていることを指して指数関数的として恐怖を煽ったのです。ワイドショー向きの発言ではありますが、とても感染症学者の発言とは思えません。
感染症の専門家は数学の専門家ではないかもしれませんが、統計学の基礎知識を持たなければ論文を書いたり読んだりできないはずです。
一方、私は感染症については素人ですが、統計学の初歩だけは大学で教わりました。
この死亡者の推移を見ると直感でも横ばいであることが分かります。わざわざ片対数グラフを書く必要もありません。まして両対数グラフを取って乗数を決定する必要も全くありません。
理由は簡単で統計学や数学の基礎的な知識も必要ありません。小学校1年生でも十分にわかります。
死んだ人は生き返らないので、死者数は減ることがなく、増え続けるだけだからです。
これがまだ等差数列だというのならデータの取り方の誤解で済みますが、これを指数関数的と呼ぶのはまったく理解していないとしか思えません。
同じくワイドショーの番組で、韓国がいち早く規制を緩和し、街に多くの人が出て日常生活を取り戻している様子が報道され、一方で、日本は宣言は解除されたものの、新しい生活様式だのと自制努力を要求されている違いを指摘し、この際、冷え切っている日韓関係を改善するためにも韓国に協力を求めてはいかがかと発言したキャスターがいました。しかも「日本が頭を下げて」と発言したのです。
韓国と日本がまったく違うのは韓国は大胆に私権に立ち入ったことです。感染者を徹底的に調査し、その感染者がどのような行動を取ったのかをPC上でフォローできるように公開して、接触した可能性のある人々に病院での検査を促したのですが、日本ではいまだに感染者の国籍すら判明していない人が多数います。
台湾が素早く対応したのは称賛に値しますが、しかし、マイナンバーで全国民が管理されていなければあれほど迅速な対応ができなかったでしょう。日本ではマイナンバーと住民票が紐付いていないので、一律給付金すら手作業で配布しなければならない状況です。これはマイナンバーによりプライバシーが損なわれるという、およそ犯罪者でもなければ心配する必要のない反対によりマイナンバーが活用されないからです。
そのような背景を無視して、ひたすら外国の事例を紹介し日本が遅れていると主張して何になるのかと思います。
時事問題を極めて分かりやすく説明することで評価されている池上彰氏も意外なところでその無知ぶりを披歴したことがあります。
先月初旬の池上氏の番組で、コロナウイルス対策の財政政策についての解説があったのですが、その中で池上氏は管理通貨制度について言及し、日本銀行券は価値のあるものと交換でなければ発行できず、昔は金、現在では国債を持っていることが条件であると説明されました。
私は耳を疑いましたが、録画を観ると間違いなくそう説明しています。
私は大学院で経済学研究科に籍を置きましたが、研究室での専攻は組織論であり、ヒト・モノ・カネのうち、モノ・カネの勉強はしていません。(ヒトについて、何を学んだのかも怪しいといえば怪しいのですが。)経済学の勉強は学部の時に授業を聴いていただけでしかありません。なので、私がここで経済学の初歩についての蘊蓄を垂れるのは筋違いなのですが、しかし、この管理通貨制度についての説明は、学部程度の経済学の知識から言っても間違いであり、これでは財政学や経済政策の単位は取れません。
管理通貨制度はそのような有形資産の裏付けを必要としません。だから無制限に発行するとハイパーインフレを引き起こす恐れがあるので(あくまでも理論上であり、日銀がいくら頑張っても2%のインフレ目標すら達成できていません。)、管理通貨制度と呼んで、通貨の発行量を政策的にしっかりと決める必要があるよね、という議論なのです。
多分、池上氏はその程度のこともご存じなかったのかもしれません。もともと池上氏の財政、金融に関する解説は過ちが多く、日銀が国債を買う原資は私たち国民や企業が銀行に預けてある預金を銀行が日銀に預託して、それを原資としていると説明されているのですが、これも誤りで、日銀当座預金からそれに見合う金額が国に移るだけなので、私たちの預金が使われるのではありません。この説明をするためにはわが国の財政制度を解説しなければならないのですが、さすがに学部で経済学関連科目の単位をかろうじて取得(優秀な成績で卒業したわけでないことは我が母校がよく承知しています。)しただけの私の手には余りますのでここでは割愛しますが、大学で財政学を学んだ者であれば、だれでも知っている(とは言いません。皆授業で聴いたことがあるはずというのが適切な表現かと思料いたします。)程度の内容を池上氏は誤って認識しています。
しかし、恐ろしいことに私たちが社会で起きていることを知ろうとするとニュースやワイドショー以外にソースがなく、また、それを理解しようとすると、そこに登場する識者と言われる人々に頼らざるを得ないのです。
池上氏の解説はその分かりやすさから、多くの視聴者が信じ込んでしまうでしょう。しかし、彼の財政学や金融論に関する基本的認識は誤っていることが多々あり、うっかり納得してはいけません。
私たちの情報リテラシーを磨くしかない
私たちはマスコミの正体をしっかりと見極め、さらにネット上を駆け回る情報についてしっかりとした態度で臨まねばなりません。
つまり、根拠なく誹謗中傷だけするようなネット上の発言は徹底的に無視して、だれも気に留めないようにする、そのデマを信じないというリテラシーが必要かと思料します。
マスコミについては、私たちが広い世界で起きていることを正しく認識するためにもより厳しい態度で臨む必要があります。つまり、意図的な編集などにより事実を捻じ曲げたり、あるいは十分な検証も行わずに行う番組作りなどをしていては視聴率が取れないという視聴者のリテラシーの向上が必要です。
そのためにはデカルト的懐疑が必要となります。本当に確かなものは何かを常に追い続けることです。
宗教は信ずることから始まりますが、科学は疑うことから始まります。
私の態度は徹底して後者です。そうすると、この国のマスメディアというのがいかにいい加減なものか、いろいろと見えてきます。
このコラムをお読みの皆様も、まずその第一歩として、このコラムの主張していることが果たして読むに値するような内容かどうかをお考えになることをお勧めします。