専門コラム「指揮官の決断」
第215回危機管理概念の混乱はどう始まったのか その2
危機管理概念混乱の原因はメディアだけにあるのではない
前回、当コラムでは日本において危機管理概念の混乱がどう始まったのかについてお伝えしました。メディアがリスクマネジメントとクライシスマネジメントの違いを理解せずに言葉だけを乱発した結果、リスクマネジメントと危機管理の概念が混乱し、今やリスクマネジメント=危機管理 という理解が一般的になってしまいました。
昨今のメディアのレベルの低下は目を覆わんばかりです。活字メディアは玉石混交ながらも、質の高いものが多く見受けられますが、酷いのはテレビです。その場で発言が消えていってしまうという気安さがあるのかもしれませんし、出演者が専門外のものにもコメントしなければならなくなるという事情がある場合もあるでしょうが、この度のコロナ禍においては視聴率を稼ぐための番組作りのために都合のいいコメントのみが報道され、しかも、事実を捻じ曲げてでもそのようなコメントに編集してしまうというおそるべき手法を駆使したため、私たちは「コロナ怖いウイルス」に脳を侵されたがごとくに行動をせざるを得なくなってしまいました。
しかし、危機管理概念の混乱に関しては一概にメディアの責任だけ問うこともできません。専門の学者たちですら理解していないことが多々あります。
危機管理ができない危機管理学部
一昨年、日本大学アメリカンフットボール部の選手が試合においてルール違反の危険なタックルを行って大きな事件として取り扱われたことがありました。
この事件では日大アメフト部の体質なども問われましたが、しかしそれよりも大きく取り上げられたのが日本大学自体の対応でした。
なかなか記者会見を開いて事情の説明を行わず、やっと開いた記者会見があまりにもお粗末であったことから、大学が危機管理をまったくできていないと批判されました。
たしかにこの時のマスコミ対応は私の目から見ても素人そのものでしたが、興味深いのはこの大学には危機管理学部があるということです。
危機管理専門の学部を持ち、その教育と研究が行われているはずの大学が危機管理をできていないのは何故なのかということこそ問題とされるべきでしょう。
理由はそれほど複雑ではありません。
この当時の日大危機管理学部の教員の大半がリスクマネジメントの研究者だったのです。この学部は元々法学部から枝分かれしてできたので、教員の多くはリーガルリスクの専門家でした。そして残りがテロ対策の専門家などで占められていました。
現在は危機管理の専門家も教員として在籍しているようですが、当時、危機管理はテロ対策の専門家しかおらず、残りはほとんどリスクマネジメントの研究者だけだったのです。
つまり、日大自体が危機管理というものを理解していないのですから、大学が危機管理をできるはずはないのです。
これはその学部を認可した文科省も危機管理を理解していないということを示しています。医師だけを集めて農獣医学部を作ったり、獣医を集めて医学部を認可するようなものです。
このように専門家ですらリスクマネジメントと危機管理の違いを理解していないことがあります。
リスクマネジメントの専門家がリスクマネジメントを理解していない
リスクマネジメントを学問的に研究を始めた先駆者は関西大学の故亀井利明先生でした。
亀井先生は元々保険論を専門とされていました。以前に当コラムで述べていますが、リスクマネジメントは保険などを使っていかに企業の資産を守っていくかという議論からスタートしていることからも、亀井教授が保険論の専門家であったことに違和感はありません。
ただ、問題はこのリスクマネジメントの権威であり、リスクマネジメント学会の理事長を勤められた亀井教授の言動にあります。
平成9年に出版された亀井教授の著書に『危機管理とリスクマネジメント』という書物があります。時期としては阪神淡路大震災の2年後であり、メディアにおいて評論家たちがリスクマネジメントと危機管理の違いを理解せずに得意になってリスクマネジメントを語っていたころです。
ちょっと長くなりますが、亀井教授の危機管理とリスクマネジメントについての認識をご紹介します。
「それゆえ、リスクマネジメントと危機管理はどう違うのかということが往々にして問題となる。しかし、どちらも危険克服の科学や政策で、そのルーツを異にするに過ぎない。強いて区別するならば、リスクマネジメントはリスク一般を対象とするのに対し、危機管理はリスク中の異常性の強い巨大災害、持続性の強い偶発事故、政治的・経済的あるいは社会的な難局などを対象とする。
それゆえ、危機管理とは家計、企業あるいは行政(国家)が難局に直面した場合の決断、指揮、命令、実行の総体をいうが、とくにリスクマネジメントと異なるところはなく、その中の一部を校正しているにすぎない。」
「リスクマネジメントという言葉が一般に知られるようになると、その内容の十分な展開なしに、言葉だけが一人歩きをし、リスクマネジメントが企業の発展ないし成長のための何か有難い特別のマネジメントやノウ・ハウのように思ってしまう人がいる。これはとんでもない誤解である。リスクマネジメントは決して企業成長や収益増大を志向した攻撃のマネジメントではなく、企業保全や現状維持のための企業防衛のマネジメントである。それは決して積極的に収益や利益の増大には機能しない。しかし、収益にチャージされる費用(とくに危険処理費用)の節約を通じて間接的に利益増大に機能する面は有している。」(『危機管理とリスクマネジメント』同文館出版 P8)
亀井教授がこの文章のなかで主張しておられることで極めて印象的なポイントがいくつかあります。
まず第一は、リスクマネジメントと危機管理は本質的に同じものであると述べている点です。リスクマネジメントがリスク一般を対象としているのに対して危機管理はその中で特別な難局にあるものを対象としているだけで本質的な違いはないといおっしゃっています。
次に、リスクマネジメントが企業の発展ないし成長のための何か有難い特別のマネジメントやノウ・ハウのように思っている人が多くなったがそれは間違いであるとおっしゃっている点です。
そして最後に、リスクマネジメントは決して企業成長や収益増大を志向した攻撃のマネジメントではなく、企業保全や現状維持のための企業防衛のマネジメントであり、決して積極的に収益や利益の増大には機能しないと述べています。
繰り返しますが、亀井教授はリスクマネジメントの権威者でした。
しかし、最初の点で、危機と危険性の違いを理解されていないことが分かります。
また、第二の点において、リスクマネジメントが企業の発展や成長のためのマネジメントではないとおっしゃっていますが、企業のあらゆるマネジメントは発展や成長のために行われるのであり、それに寄与しないマネジメントはありません。そのようなマネジメントを行う必要はないからです。
つまり、亀井教授は企業のマネジメントが何を目的として行われるのかも理解されていないようです。
そして第三の点において利益や収益の増大に機能しないというは明白な誤りです。何故なら、リスクマネジメントをしっかりと行っていれば、競業他社が怖れて入れないマーケットに堂々と入ることができます。ノーリスクはノーリターンですがハイリスクはハイリターンをもたらします。そのハイリスクを如何にハイリターンにしていくかがリスクマネジメントの腕の見せ所であるはずなのです。
実は亀井教授も阪神淡路大震災を受けて、リスクマネジメントと危機管理の際が理解できなかったお一人です。
亀井教授は阪神淡路大震災以後、危機管理に関する著書や論文を多数出されています。つまり、震災後の危機管理ブームに際して、ご自分も危機管理の専門家であるとの主張を展開され始めたということです。
ただ、それらはいずれもリスクマネジメント論であり、危機管理の議論は展開されていません。亀井教授はあくまでもリスクマネジメント専門家であり、危機管理をご理解されているとは到底思えないのです。
しかし、問題はご専門のリスクマネジメントについての認識にあります。
先に指摘した如く、リスクマネジメントは企業の発展や成長に貢献するマネジメントであり、利益や収益の増大に大きく関係するマネジメントです。
リスクマネジメントの専門家である亀井教授はそれも理解されていなかったということです。何のためのマネジメントであるかという根本認識が間違っているのです。
リスクマネジメントの権威者がその程度の認識を披歴しているため、不勉強な評論家たちが誤るのも無理はないのかもしれません。
専門家の妄信は危険
2014年にフィリピンが中国を国連海洋法条約違反で提訴したことがありました。
これは中国が主張する九段線に囲まれた海域に関して中国が主張する歴史的権利が国際法に違反するというものであり、国連海洋法条約の仲介裁判所の判決が2016年に出され、中国の主張していた歴史的権利は国際法上の法的根拠がなく国際法違反という判決が確定しました。
ところがこの判決が出された日、ある外交評論家がこの裁判は中国が受けて立っておらず、フィリピンだけが当事者となっているので国際法上の判例とはならないというコメントをしました。その結果、その日と翌日、そのようなコメントをするコメンテータがテレビに登場していました。それらコメンテータはいつも中国寄りの発言をする人々であったのですが、しかし、それまでに国連海洋法条約に関心を持っていたとは到底思えない人達でした。ですから、それらコメンテータはある番組での専門家の意見を聞いてコメントをしていたのでしょうが、問題はそもそもの外交評論家です。
彼は国連海洋法条約の仲介裁判がハーグの常設裁判所で行われたことから、国際司法裁判所の判決と勘違いしているのです。国際司法裁判所への提訴であれば、たしかに中国が受けて立たなければ裁判が始まりません。しかし、国連海洋法条約の仲介裁判は提訴されれば受けなければなりません。受けようと受けまいと裁判が始まるからです。
フィリピンの提訴に対し中国はそれを受けて立たず、敗訴した結果を「ゴミだ」と論評して国際法違反の事業をさらに推し進めています。これは受けて立てば国際法違反との判決が出ることを中国も知っているので押し切るつもりだからです。
ただ、日本の評論家たちは国際司法裁判所の裁判と国連海洋法条約の仲介裁判の性格の違いを理解せずにものを言ったことは事実です。さすがにその論評は長くは続きませんでしたが、しかし、その類の専門家や評論家の誤解など列挙すれば枚挙にいとまがありません。
その外交評論家は現在でも活躍されており、あえてお名前は控えますがテレビに登場する専門家というものがどのような人々なのかを示す格好のエピソードだと思っています。