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専門コラム「指揮官の決断」

第223回 

危機管理の原則とは

カテゴリ:危機管理

新しい年に

2021年は新型コロナウイルスさえいなければ本当に穏やかな元旦を迎えました。

このコロナ騒ぎの元凶が、メディアと医師会と政治にあることが分かったので、もうコロナについて言及することは止めようと思っていました。当コラムは危機管理の専門コラムであり、地に堕ちたジャーナリズムに歩調を合わせるつもりはないからです。

ということで、本来の危機管理の話に戻そうと思ってはおりますが、しかしながら再度の緊急事態宣言の発出という事態を受けて、まったく関係のない話もできませんので、若干話題に取り入れてまいります。

昨年の後半くらいから、当コラムでは危機管理とはそもそも何なのだろうという話題を取り上げてきました。この国では危機管理が正しく理解されておらず、リスクマネジメントとの概念の混乱が見られ、その結果、リスクマネジメントも正しく理解されず、しっかりとしたリスクマネジメントすらできていない状況にあるからです。

危機管理の原則は?

かつて危機管理の原則とは何かと問われてお答えに窮したことがあります。質問があまりにも漠然としているからです。

危機の態様があまりにもバラバラで一口で表現のしようがないので、その原則はと問われてもお答えのしようがなかったのです。

そこで、今回は危機管理の原則とは何かを考えてみます。

そもそも危機管理が対象とするものは何かという根本を議論しなければなりません。

何をつまらないことを言っているのかと思われる方も多いかと存じますが、実はこの点が極めてあいまいです。

理解されない危機管理

日本においては危機管理が何を管理するマネジメントなのか理解せずに危機管理を語る評論家や専門家が多いのです。

危機管理なのですから「危機」に関するマネジメントであるはずなのに、「危険性」を議論する連中が多すぎます。

「危機」と「危険」は意味がまったく異なります。どちらにも「危」という文字が入っているので勘違いする人が多いのですが、この両者は別物です。

「危険」はある程度承知で許容することがありますが、「危機」はそうではありません。何があっても避けるべきものです。

しかし、リスクマネジメントを危機管理だと考えている人々はその違いが理解できないようです。

その違いが理解できずに危機管理を語るため、その危機管理論は出鱈目であり、さらに彼らの理解するリスクマネジメントすらいい加減であり、しっかりとしたリスクマネジメントができていないことが多々あります。

そもそも危機とは

話を危機管理に戻します。

危機管理が対象とする「危機」とは何かを考えなければなりません。

「危機」を定義すると国語辞典のように漠然としたものになりますので、危機の特徴を考えてみます。

危機には以下のような特徴があります。

・ 個人、家族、社会、組織、国家、人類などに大きなダメージを与える。

  全く何のダメージも与えないとすれば、それは危機ではありませんね。

・ いつ起こるのか予測がつきにくい。

  危機の種類によってはこれらに当てはまらないものも当然あります。

例えば、小惑星が地球に衝突するという事態を考えると、これがとてつもない大きな危 機だと考えられますが、一度そのおそれのある小惑星が発見されれば、衝突の時間は正確に計算できます。しかし、小惑星との衝突がいつなのかが分かったとしても、これが危機であることは間違いありません。

・ 何が原因で起きるのかを事前に察知することが困難

これも地震や火山の噴火などは何が原因なのかが分かっているのですが、しかし、それが危機である現実には変わりありません。

・ 結果の重大性の予測が困難

  例えば、夫婦間の危機などは、結果の重大性は概ね推測できます。

  最悪は離婚です。しかし、危機は危機ですね。

・ 対応するのに十分な時間が与えられない

二つの危機

 これらの特徴があるうえに、危機には二つの種類があります。

 「避けられる危機」と「避けられない」危機です。

交通事故などは被害者にとっても加害者にとっても大きな危機ですが、被害者側でも相当の注意を払っていれば事故にあわずにすむ場合が多いし、加害者側にとっては注意さえしていれば事故を起こすことを避けられる場合がほとんどだろうと思われます。

私は学生時代からのヨット乗りで、仕事でも船に乗っていましたが、海難事故は避けられない事故はほとんどありません。小さな飛行機を飛ばすための免許も持っていますが、航空機の事故も避けられない事故はほとんどありません。それらのほとんどは、不注意、ミス、過信、予測の甘さなどが原因です。

会社が起こすコンプライアンス違反などのスキャンダルなども避けようと思えば100%避けることができます。

一方で、東海・東南海・南海トラフに起因する地震津波災害は30年内に70から80%の確率で生じるとされていますが、これを避けることはできません。この地震が起こる確率は100%であり、私たちができるのはその地震によって引き起こされる津波の被害をいかに局限するかだけです。富士山の噴火も同様です。

戦争やテロは政治による解決はできるかもしれませんが、個人や企業が避けることのできる代物ではありません。

危機管理の対象は

危機管理論が対象とする相手はこのような特徴をもつ怪物たちなのです。それでも、その生起する確率がいくらかでも分かっているものについては対応策をある程度準備できますからいいのですが、問題は想定外の事態が起きた場合にどうするのかということです。

危機管理はその想定外の出来事を議論の対象としています。

つまり危機管理は「何が起きるか」「どうなるのか」「いつなのか」が分からない事態を対象としているだけでなく、実際にその事態が起きてみても「何が起きているのか」「どうなっているのか」がよく分からない状態が続く事態への対応をしなければならないのです。

そのような状況に対する一般原則など打ち立てることができるはずはありません。

そのような危機管理上の事態が生じて、次から次へと情勢が変化していく中にあって、的確に情勢を分析し、間違いのない意思決定を次々にしていかなければならないのが危機管理です。

コロナ禍を例にとると

準拠すべき原則はありませんし、済々とした対応など望むべきもありません。

それはこの度のコロナ禍を見ればよく分かります。

昨年当初、私たちは横浜港にコロナ患者を乗せたクルーズ船が入港してくるまで何が起きているのかを知りませんでした。

その後も何が起きているのか正確に理解することができず、事態がどのように進展していくのかも分からない状態が続きました。

感染症の専門家たちが、それまでの知見を活かして必死に状況を理解しようとし、医療関係者たちは次々に運び込まれる患者たちをどう治療していいかも分からないながら最善の方法を模索し続けました。

危機管理上の事態における現実はそうなるのが普通です。根拠を持って済々と対応するなどということはできないのが危機管理上の事態です。

それでは危機管理は不可能なのかということになってしまいます。

そうではありません。どう対応するのかを要素ごとに分けて考えればいいのです。

混乱した状況を整理し、何が起きているのかを明らかにし、その影響の及ぶ範囲を推定し、与えられる問題を解決する方法を検討するという作業を行うことです。

それでは現在のコロナ禍がなぜ収束しないのかということになります。

当初、原因となる新型コロナウイルスの正体がほとんど分かりませんでしたので、どう進展するのかが分かりませんでした。したがって政府はどう対応すればいいのかもほとんど分からないまま様々な決断を強いられました。

しかし、その後半年以上が経過し、多くのことが分かってきました。関連する医学論文も何千本も発表されています。

ところが、純粋に危機管理上の意思決定を行うことのできない様々な事情が生じました。

たとえば、病死した患者から新型コロナウイルスの遺伝子が少しでも検出されると、それは新型コロナによる死者とカウントするというWHOの方針が出たことです。このため、末期癌で死亡してもそれは癌が死因ではなく新型コロナウイルスによる死亡となり、本当に新型コロナウイルスによって死亡した人数が大きく水増しされてしまっています。

またPCR検査で陽性と判定された人数を感染者としてテレビが報道するので、異様に感染者が多いように見えるのですが、他の病気疾患で感染者の数で評価するものはありません。すべての疾患は感染者ではなく発症者をカウントします。なぜなら、感染者は検査を受けた人の中からだけ発見されるので、全体数を把握できないからです。日本では症状が出ていないのに検査をしていたのは結核だけでしたが、その結核の検査も結核予防法の改正により学校での検査が行われなくなりました。

そこへ目を付けたのがテレビを中心とするメディアです。彼らは社会心理学上のアンカリング効果を最大限に使い、連日の陽性判定者を感染者として報道し、しかも、過去最多という表現を使うためにあらゆる作為を行います。単純に最多記録ではない場合には、「曜日としては最多」などと表現し、それもできない場合には「〇×人以上となるのは〇日連続」という表現を用い、なるべく現状が酷くなっているという印象操作をして、視聴率を稼ごうとします。視聴者の不安を煽ると、その先がどうなるのかを知りたい視聴者を釘付けにできますが、大したことがないとなると視聴者はテレビから離れてしまうからです。

この結果、日本においては例年のインフルエンザの感染者の方が100倍以上多く、死者も数倍多いにもかかわらず、冷静な判断が行われなくなりました。

テレビしか情報ソースのない一般の視聴者から「大変だ」という空気が醸成され、その空気が政治を動かしてしまうので、政権も純粋に危機管理上の判断ではなく、政権への批判をいかに回避するかという観点からの政策判断をせざるを得なくなります。

政権を責めることはできません。支持率は政治にとっては最重要課題です。

この他にもしっかりとしたコロナ対応ができない要因はたくさんあるのですが、そのような障害を排除しつつ適切に対応していくだけの危機管理能力を政権も自治体も持ち合わせていないことがコロナ禍の収束に時間がかかっている主な理由でしょう。

COVID-19の正体はだんだんに判明しつつありますし、どう対応すればいいのかもわかってきています。

ただ、それらを把握しつつある専門家たちはテレビでコメントなどを述べている暇などなく、また、たとえ時間が調整できても、局の意向に沿う発言をするわけではないので、テレビで発言する機会はまずありません。したがって、それらの見解を一般の視聴者が聞くことができず、社会の空気はテレビ局に操られたままとなります。

テレビに登場する専門家という人たちは、テレビ局の意に沿う発言をすることが予定されている人たちです。このため、多くの専門家が登場するわけではありません。特定の、テレビ局の意に沿う専門家しかテレビには登場しません。大多数の専門家の見解は番組に反映されることはないのです。

これは満州事変を煽り、国際連盟脱退を煽り、対米英開戦やむなしという空気を作った戦前の新聞と同じです。

この国の危機管理がうまく機能していないのは、テレビを中心とするメディアの利益追求のためであり、その結果生まれた空気に逆らえない自治体と、その空気をうまくコントロールする発信力を持たない政権の能力の問題なのです。

危機管理の原則とは?

今後の危機管理論の大きなテーマとして、社会のメディアリテラシーをいかに高めるかということが大きく取り上げられる必要があるでしょう。

結論を申し上げれば、危機管理に原則はありません。したがって教科書も書けません。これが危機管理が難しい理由です。

しかし、戦い方はいろいろあります。

当コラムや弊社コンサルティングでご紹介しているのがその戦い方です。

今後、しばらくの間、危機管理原論ともいうべき、そもそも危機管理とは何かという問題について語ってまいります。危機との戦い方がメインテーマとなります。