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専門コラム「指揮官の決断」

第224回 

危機の迎え撃ち方 敵の「重心」を突くということ

カテゴリ:危機管理

危機管理には一般原則がない?

前回のコラムでは、危機管理に一般原則はないと申し上げました。さすがにこの主張に対してはご意見のある方が多いらしいのですが、危機管理にも一般原則があるとおっしゃる方は学者か現場経験のないコンサルタントのどちらかだろうと思っています。

当コラムには辛口ご意見番がいて、ちょっとへまな口を利くとたちまち集中砲火を浴びせてくる方が何人かいらっしゃいます。ほとんどが海上自衛隊の先輩で、とてもありがたくご意見を拝聴しているのですが、困るのは当コラムだけでなく、当コラムの更新をお知らせするために配信しているメールマガジンについてもご意見をくださいます。このメールマガジンでは何度もくどいくらいに何の役にも立たない、どうでもいい内容について書き綴るので、サッサと読み飛ばして頂きたいと記しているのですが、どうも海上自衛隊の先輩はまじめな方が多く、後輩をしっかりと育てるのが自分たちの使命であると思い込んでおられるようで、ありがたいような困ったようなというところです。

しかし、そのような辛口のコメントを下さる先輩方からも危機管理に一般原則はないという見解に対して異論はありませんでした。学者やコンサルタントではない危機管理の現場に立ってきた方々にはご理解いただけているようです。

何と言われようと、私は危機管理に一般原則はないと考えておりますし、そのような原則を打ち立てようなどとも考えておりません。なぜなら、前回申し上げたとおり、危機には様々な特徴があり、一口で語れないというだけではなく、そもそも避けられる危機と避けられない危機があるという背反する性格を持つので、一般原則などを打ち立てるのは無理なのです。

ただし、危機をいかに迎え撃つかということであれば、原則とは言いませんが外してはならない重要なポイントはいくつかあります。今回はその一つをご紹介します。

クラウゼヴィッツの「重心」

クラウゼヴィッツは『戦争論』において、敵の重心を突けと述べています。

クラウゼヴィッツの「重心」が何を意味するのかはちょっと解釈が難しく、その難解な書物の中でも微妙にニュアンスの異なる使い方をしていますし、解説書に至っては解釈がバラバラです。経営コンサルタントでこの書物を引用する人もいるのですが、彼らはほとんど「弱点」と解釈しているようです。

私はクラウゼヴィッツの「重心」は「弱点」とは違うと考えていたので、本場のドイツ人はどう解釈しているのかと思い、ある時、駐日ドイツ大使館付きの国防武官に尋ねたことがありました。彼によれば、敵が戦略上最も重視しているポイントであり、逆に言えば、そこが攻撃されてダメージを受けると敵の戦略が実現できなくなるポイントを言うのだそうです。

それは敵が最も護りを固めているポイントかもしれません。単なる弱点ではないということです。

いずれにせよ、この重心を攻めることによって勝利をものにすることができるということです。

危機管理上の事態においては、前回のコラムでも申し上げたとおり、何が起きるのかがよく分からないだけではなく、そのような事態になっても何が起きているのかがよく分からないことが珍しくありません。しかし、何が問題なのかをしっかりと理解して対応しないと問題が解決しないばかりか、別の問題を惹起する恐れすらあります。つまり、「重心」はどこにあるのかを理解しなければなりません。

これを説明するために、現在の私たちを取り巻く危機である新型コロナウイルスの騒動を例に挙げます。

緊急事態宣言が再度発出され、飲食店に対して午後8時までの営業とするように求められています。メディアは一斉にこの緊急事態宣言が中途半端であると批判し、ヨーロッパのようなロックダウンくらいにしなければウイルスの根絶はできないという感染症専門家の見解などを紹介しています。医師会なども中途半端であるという批判を繰り返しています。

そしてそのような批判を受けて今月招集される通常国会では特別措置法が改正され、休業要請に応じない業者等への罰則が検討されています。具体的には店名の公表などが考えられているようです。

唖然・・・

これが危機を迎え撃つに際してやってはならないことの典型であり、重心を誤って評価しています。

新型コロナウイルが感染症であることを忘れ、どのように人から人へ移っていくのかを誰も理解していないという証左です。

ウイルス感染症は冬になれば猛威を振るうのは常識のはずです。毎年、インフルエンザウイルスは夏にはほとんど患者は発生しませんが、根絶されているわけではないので冬になるとすさまじい流行となります。それを2月7日までというのは何を考えているのでしょうか。どう考えてもピークになることが間違いない頃を期限とするのは愚の骨頂でしょう。

テレビに登場する専門家と称する人々も、1000人がベースラインであったのが10日で2000人がベースラインになるなど常識では考えられないとして危機感をあらわにしていますが、本当にこの人たちは感染症の専門家なのでしょうか。インフルエンザの統計を見れば、季節になればそのような増え方になるのが常識であって、コロナがウイルスによる感染症だということを知らないのでしょうか。

首相は緊急事態宣言の発令に際し、専門家会議が飲食店の感染が主要原因としていると述べ、対象を飲食店に絞るという意向を示しました。いろいろな自治体においても飲食を提供する店が感染源とされ、時短要請が行われてきました。

これは迎え撃つべき敵の重心を見誤った典型です。感染症がどのように広がるのか、まだ政府は分からないようです。

何が起きているのか分からないので、恐怖のあまり藪に向かってむやみやたらに弾を撃ちまくっているようなものです。

私の知る限り、この国の飲食店はそれぞれ必死に工夫をして感染防止対策を取っています。潤沢なお金がなくてパーティションなどを準備できない店では座席の間隔を広げたり、まめにアルコール消毒をしたりしています。

本来、新型コロナウイルスの感染防止のためには店の準備はその程度で十分です。

しかし飲食店が感染源であるとの烙印を押され、必死に工夫して何とか営業を続けようとする努力を顧みずにアッサリと午後8時までと切られ、それに応じないと店名公表など見せしめに合わせるというのです。

飲食店が提供するもので食中毒などが起こっているのであればその措置は仕方ないでしょう。

しかし、飲食店がコロナウイルスをバラまいているのではありません。

問題なのは飲食店で酒を飲んで騒いでいる客同士での感染です。

私も昨年来、何度も外食をしていますし、年末には東京での陽性判定者が急増している中、ディナーショーなどにも出かけています。しかし、ほとんどはホテルのレストランやあるいは郊外の静かなカフェなどで、家族や2~3人の少人数での会食です。

しかしいまだに何の問題も生じていません。

密にならない店で静かに会食しているからです。飲みに行ったりもしますが、カラオケのあるスナックでダラダラ飲んでいるわけではなく、馴染みのバーでマスクをしたマスターと話をしている程度です。

居酒屋にも行きました。半個室になったような部屋で3人で面倒くさい会議の後の食事でした。焼酎などを傾けながらの反省会でした。しかし誰も感染などしていません。

少なくとも私の知人でコロナを発症した者はおろか陽性判定を受けた者もいません。ほとんどは現役で仕事をしていますから、この期間に引きこもっていた者ばかりではありません。適当に外食などもしているはずです。

つまり、飲食店からウイルスを移されるということはまずないのです。起こっている事実は「飲食店から」ではなく、「飲食店で」移されているということです。

ウイルスを移されているのは、一緒に店で飲んで騒いだ人からというのがほとんどでしょう。あるいは隣のテーブルの客からかもしれません。

いずれにせよ、飲食店で感染したという人たちは、飲食店の従業員などから移されているのではありません。

にもかかわらず、自粛せよと言われるのは飲食店なのです。

自粛しなければならないのは、他人にウイルスを移すような食べ方や飲み方をしている客の方です。

特措法の改正にあたり、罰則規定は人権に配慮すべきなどと公明党や野党は見当違いの指摘をしていますが、この連中は憲法を読んだことがないとみえます。

営業の自由は憲法に明文規定はありませんが、22条1項がこれを保障しているとするのが通説です。これは職業選択の自由を認めた条項ですが、職業選択を認めても営業の自由を認めないと職業の選択肢が失われるからです。

つまり時短の強制そのものが憲法が保障する経済的自由を見当違いに奪っているのに、そこにさらに罰則をかけるに際して人権に配慮も何もあったものではないでしょう。

コロナ騒ぎの「重心」はどこにあるのか

特措法改正で罰則を設けるのであれば、政府や自治体が示しているガイドラインに沿わない行動をして感染した客の氏名を公表すべきでしょう。この連中のお陰で店は閉めなければならなくなり、医療機関がいっぱいになってしまうのですから。

業務上の所要があって、PCR陽性判定者のデータを見せてもらうことがありますが、まったく自覚のない行動をして陽性判定を受けている人数の多さには唖然とさせられます。40代、50代の社会人は分別があると一般的に思われているようですが、もっとも自覚がないのがこの世代です。感染するべくして感染している例は枚挙にいとまがありません。

データによれば少人数で静かに会食していて感染することはまずありません。

大人数になると、飲んで騒いでいなくとも声を大きくしなければ聞こえなくなります。そのテーブルで声が大きくなると隣のテーブルも声を大きくしなければ会話ができなくなります。これが悪循環を生みます。

つまり、やるのならそのような会食をして感染した人の名前の方を公表すべきです。この国の医療を崩壊させつつあるのはそのような連中なのですから。そのような人々は飲食店の営業が8時までとなったら、昼間から飲み始めるだけで問題の解決にはなりません。

感染者の差別に繋がるという議論がありますが、そのような連中のために必死で生き残りを図ろうとしている飲食店が一斉に時短を求められ、店名の公表をされるというのは本末転倒でしょう。むしろ、自業自得の感染者のみを公表するということにすれば、その他の感染者はやむなく感染したのであって差別されなくなるはずです。酔って騒ぐ人々の行動を抑制する効果にもなるでしょう。

そのような人々のために、静かに会食したいという一般人の日常が妨害されるのはいかがなものかです。

問題は、どちらを制限するのかということです。飲んで騒ぎたい人々を抑制するのか、飲食店の営業の自由をはく奪し静かに会食したいという人もすべて一緒に抑制してしまうのかということなのです。

夜8時までなら、飲んで騒いでも安全ということではありません。逆に、深夜であろうと二人で静かにワイングラスを傾けながら食事をしていて感染などしません。

飲食店を規制するなら、5人以上のグループでの入場を認めず、4人掛けのテーブルはアクリルのパーティションで仕切り、1時間でラストオーダー、1時間半で入れ替えくらいにしておけば感染のリスクなどほとんどゼロです。

重心を見誤らなければ、飲食店に犠牲を強いることなく、感染を削減していくことができるはずです。

マスクを外した状態で長時間飛沫が飛ぶ勢いでの会話を続けることによってコロナが移っていきます。家庭内感染が増えているのはそのためです。

したがって、データによれば、家庭内に陽性判定者がいても、食事の時間を別にし、テレビなどを別室で観て、寝室を別にしていれば感染のリスクはあまりありません。

ということは、飲食店での感染リスクをなくすのは簡単なことなのです。

ダラダラと飲んで大声で長時間しゃべるような会食をなくせば、まず感染などはしないということです。

戦う相手を間違うと戦いには勝てない

自動車事故をなくす目的で自動車の販売を禁止したりするなどということはあり得ません。事故で罰せられるのは自動車を売った側ではなく、運転していた者です。

戦う相手を間違うと戦いには勝つことはできません。これは誰が考えても分かる簡単な原則です。

危機管理というのは、実はそれほど複雑な原理原則があるわけではないのです。

当たり前のことを当たり前にするのが危機管理なのですが、何が当たり前なのかが分からない人々には危機管理ができないというだけのことなのです。